2020/06/19

起きた。今朝は玄米フレーク。最近、玄米に注目している。健康志向だとか言いたかったのだけど、何てことはなく、味が好きということに気づいてしまった。今、玄米フレークだけでも何種類かあるし、そう気がついてからスーパーの米のコーナーをよく見てみると玄米も部分的に売っていて、ご飯に混ぜて食べられるというので実験もしている。人間は(フグだが)人生のどこかで、玄米に目覚めるものではないだろうか。

また多く寝てしまった。夜中の4時前まで起きており、午前11時前頃に起きた。これで6時間半寝た。もちろん足らないから、14時頃からもう1回寝て16時半頃に再度起きた。そこから外出して所用をこなして(後述するかもしれない)帰ってきたのが22時半である。用事自体はもう少し早めに終わっていたのだけど、帰りのバスの時刻がうまく噛み合わなかった。

バスに乗るための時間調整のため、稀に行くこってりラーメン屋に寄った。このご時世、空いてないという可能性もあったけど、空いていたので食べた。席の埋まり具合は7割くらい。かなりジャンクなこってりさをウリにしているので、久々に食ったら、帰りのバスで若干酔った。実は、いわゆる「自粛生活」の方が自分の本来のエネルギー量に合っており、普通の生活をするのは大変なのでは? と思うことはときどきある。

それでも、各種創作イベントは開催できるようになってほしいよね、とは思う。市民館の一角を借りたような小規模な同人イベントなどから開けないないだろうかということは考える。すごく特徴的な絵を描く方がいらっしゃって、各地の大きなイベントでもときどきお会いしてイラストの複製などを買っていたのだけど、その方と、そういうごく地元の20スペースほどのイベントでばったり会って、同郷の方だったんですね……と話が弾んだことがあった。奇運ですねというやつだ。無数の小さな縁で「人間」はできているのではないかということを思い知らされる。

イチローかなんかのインタビューを読んでて気になったこと、最近のメジャーリーグなんか確率統計で戦うことが徹底していて、守備でも計算で弾き出された位置に必ずいなくてはならないのだそうだ。イチローはそんな野球ばっかりしてると感性が死んでくるのでは? みたいなことをもう少し柔らかい口調でいっていた。

人間関係の実態が無数の小さな縁であることを、あえて忘れさせて大同小異に押し込めた方が扱いやすい、というのが大規模マーケッティングの考え方だから、それ似たような状況を感じる。実際、その方法は強い。それでも僕は小さな縁の方に期待を感じる。

数学で難しい理論を修めることも、ゲームでスゲェものを作ることも、ある種の強さへの追求で、僕が数学をしたり創作したりするときも、強さという尺度を全く無視することはできない。だけどそれより僕は、ほとんど自分の感性から突っ走って研究したり創作したものが偶然、誰かのなんだか気になるものになっていく方に芽を感じている。木ではなく芽を感じるのだ。

- 英単語 500words
- 数学の演習 (2/-/-/-)
- ヒザ曲げ立位体前屈 2min
- 睡眠 4-10.5, 14-16.5 (9h)

まだ1日にやりたい開発量を下回ってる。こういうときは止めたくない。この止めたくない感じが創作の何かなんだよな、と思っている。何なんだろう。

(2020/06/20 へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?