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【ニッポン大移民時代】東海地方屈指の南米タウン「三重県鈴鹿市」で喰らうガチなペルー料理+お嬢様聖水

我が国日本で56+1年ぶりに開催された東京五輪も、その本来のお祭りムードとは程遠い、新型コロナウイルス・デルタ変異株の深刻な感染状況を前に、もはや政府もマスコミも機能停止状態で「もうどうにでもな~れ」と開き直ってしまったのか、連日の五輪報道に危機感はかき消され、世間様は五輪やってるからいいじゃんとばかりにこぞって外出し「赤信号みんなで渡れば怖くない」モードに突入。感染者数は指数関数的な伸びを見せている、かつてない“第五波”の猛威…この調子じゃ、また今度のお盆休みも引きこもるしかありませんね…

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旅行・外出しなければ“ネタ集め”できない当方の立場からすれば、もう絶望しかないというのが今の状況だが、ましてや海外旅行なんて、いつになれば再開できるのか…と昔の写真を見ながら溜息をつくだけの毎日を送っております。今から10年以上も前に地球の裏側、南米はペルー共和国にあるマチュピチュ遺跡に訪問した時の記憶を振り返って、そう言えばまだ行ってなかった「南米タウン」が日本国内にあった事を思い出した。

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コロナ感染状況が若干落ち着き気味だった先月、わざわざ足を運んだのが三重県鈴鹿市である。東海地方と言えば軒並み工業都市揃いで外国人移民街揃いというのが随分前からの認識だが、保見団地知立団地がどうこう、愛知県のそれはともかく、三重県側は殆どの手付かずだった。

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