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足りないのは発想力ではなく

中学生の娘をみていると、今の学校教育は「考えて書かせる」ことをかなり重視していると感じる。

娘も中1の夏から、私が大学時代に書いたようなレポート課題に取り組んでいる。参考資料として、担当の先生が大学院生の時に書いた論文をもらってきたりするのだが、こちらはつい数か月前までランドセルを背負っていた13才。前提となる知識が圧倒的に不足しているから、テーマを設定したり、関連図書を探すなんてところからつまづいていた。

入学から2年がたって、だいぶマシにはなってきたが、それでも毎回、何を書けばいいのかを決めるまでは悶絶している。私はといえば、テーマ決めから参考図書を選ぶまでは、夏休み最終日に自由研究を手伝う小学生のお母さん状態である。

他の子はこの課題を一人でできるのだろうか。

一度、保護者面談の際に、娘一人ではとてもできないと相談したことがある。

すると、学校側は親のサポートは織り込み済みで、周りと相談しながら、知識の幅を広げてほしい。課題提出までの期間を長く取っている狙いはそこにある、とのことだった。

まさか家庭のサポートを前提としていたとは。私が受けた公平さを旨とする公教育とは、まるで別モノである。

そんなこんなで、いつもテーマの設定は手伝っているのだが、このままだと私の興味関心に引っ張られすぎてしまう。娘は常に「自分には発想力がないからテーマが思い浮かばない」と嘆いているが、足りないのは発想力ではなくて、前提となる知識なんじゃないかと。何もないところでウンウン唸っても、そりゃアイデアが思い浮かぶわけもなく。

そこを乗り越えて、何ごとも自分で考える訓練をしていかないと、このままでは大学の学部選びにしろ、職業選択にしろ、常に自分以外の誰かの価値観に左右されてしまう。

どうすれば娘自身が興味関心の幅を広げ、ひとりでテーマ設定ができるようになるだろうか。

ヒントになりそうな本を、大型書店に探しに行ったら、館内に入ったら早々に「天才はいない。天才になる習慣があるだけだ。」という、こっ恥ずかしくなるようなタイトルの本(ゴメンナサイ)が目に飛び込んできた。まっ黄色で、とにかく目立っていた。

「すごいタイトルつけるなぁ~」とパラパラめくったら、クリエイターを目指す若者向けに、インプットの質と量の重要性を説いた本だった。

一冊、最初から最後までただひたすらに、優れたアウトプットのためには、インプットが大事と、あの手この手で言い続けているだけの本なのだが(褒めているのか、けなしているのかわからない書き方ですが、前者です)、クリエイター志望に関わらず、若い人が知識の引き出しを増やすには、この著者のいうような正攻法でいくしかないだろうな、と。大人には当たり前の話だけど、中学生にはわかりやすくていいかもしれない。

いい年をしたおばさんがレジに持って行くのは、「あなた、その年で天才を目指すの?」と店員さんを驚かせちゃいそうで、かなり勇気がいったけれど、とりあえず買って、娘の机に置いてみた。まだテスト中なので読んでいる暇はなさそうだけど。

もうすぐ夏休み。まずは娘とお勧されている映画をみてみようかな。











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