父さんの羽化
1 通話
あの頃はいつもそうしていた。みんなそうだ。
無駄話に基準などない。あるわけもない。
玄関の下駄箱に置かれた黒電話がちりりん、と鳴る。誰が一番乗りするか。板張りの廊下を走る足音が響く。
耳を澄ませば応答が聞こえるかもしれない。
さつき、かをる、まさみ。
呼び出されたのは誰?
待ちきれずに階段を駆け下りてしまう。ところがチン、と受話器は置かれた。間違い電話だってさ、と。間違いでもいい。誰かと話してみたかった。電話は外界への窓なのである。
もちろん二階の窓からは電信柱も見えている。
電力線に交じって束ねられている電話線を言葉が走っている。かをるにはそれが目視できるらしい。
も、し、も、し、
と前傾姿勢のひらがなたちが線をたわめて自らの姿を模りながら進んで行くのだ。まさかね、と驚くと口元に人差し指を当て、内緒、と言う。通話の秘密もまる見えらしい。お隣さんの借金やご主人の浮気、嫁姑の諍いも。それだけではない、愛の囁きや長々と続くセールストーク、ごみの捨て方に関する説教やらペットの苦情、介護疲れの愚痴や水漏れ修理の依頼まで。
しばらくするとお向かいさんの窓に顔が現れるようになっていた。口を大きく開いて叫んでいる。声は聞こえない。あれはなにを知らせているのだろう。もたもたせず電話に出ろ、ということか、それとも出るなという事か。
ハロー、ハロー、ハロー。
どうやら催促らしい。
いきなり「ATMから振り込んでください」などと言われれば詐欺だと気づくが、あなたの学費は私が出したはず、とか家を建てる時、ローンの保証人になってあげたでしょうなどと恩着せがましい話を重ねた挙句、困っているからなんとかして、すぐに返すからと粘られれば応じてしまうこともあるかもしれない。
重い話ですね、父さん。
かつて電話機のダイヤルはバネ仕掛けで重かった。指を差し込んで金具の位置まで回すのだが、一番離れているゼロだとぐるりと回すのが億劫だしダイヤルが戻るのにも時間がかかる。おかげで電話番号は指先で覚えられた。通話を始める前、心を鎮めるための儀式でもあった。プッシュ式に代わったばかりの頃はボタンがあまりに軽くて物足りなかったがピ、ポ、パ、という音に未来を感じたのは確かだ。音を覚えて娘が付き合っている男の番号を察知してしまうスパイまがいの父親もいたらしい。
小さな四角いプラスチックのボタンを押せばすぐにつながってしまうので慌てる。いざつながるとどう切り出していいのかわからない。思わず、
やめて!
と叫んでしまった。相手の息遣いが聞こえ慌てて受話器を切ってしまう。これではなにをやめたらいいのかわからない。不気味なだけだ。タバコでも酒でもない。パチンコでも競馬でもない。貧乏ゆすりとか口笛くらいならまだいいだろう。
会社? 学校?
このへんになるとヘビーだ。リストカットや麻薬だったらもっとやばい。
やめて、やめて、やめて。
これも重いですね。
ねえ、あなたたち電話でなにを話しているの? 長いってことは問題があるわけでしょう、隠してもわかるのよ。
母さんは厳しい。
いつもはっきりした答えを要求する。ごまかしは効かない。
なに、って言ったってね、とにかくうまくいかないの。なにもかも全部よ。
一流ホテルのコンシェルジュだったら満足な回答を提示できたかもしれない。どのような難題にも回答するのが彼らのサービスだから当然です。プロとしての矜持があるしそれなりの報酬ももらっているはず。だけどお小遣いさえもらっていないあたしがなんでそこまで言われるのよ。あたしだって好きにしたいのよ、と娘は抗議する。
まあいいじゃない、
とあなたは笑うかもしれないけど本人たちにとっては深刻な問題だ。
母さんの小言は基本的に同じことの繰り返しで「嘘をつくな」「自分のことだけではなく他人の気持ちを思いやれ」「迷惑はかけるな」ときわめて常識的な指導である。
検討は緻密に
決断は慎重に
行動は迅速に
という毛筆で書かれた色紙が台所に張られていた。なんでも父さんの会社の方針でこれを基準にしろ、ということらしいが勘弁してほしい。そもそもこんなふうに決めつけるのが間違っている。例えば決断を早くして行動は慎重にしたほうがよくないか? 場合による、と言えばそれまでだが。同じことでも聞くたびに意味が変わってしまう場合がある。だから何度でも質問する。
父さんはどこにいるの?
仕事をしているのよ。
だからどこで?
わからない。毎晩、遠くで走っている。いつも動いているから「どこ」と特定できない。
なぜ帰ってこないの?
いつか帰ってくる。それまで待つしかない。
いつもこんな調子で埒が明かない。
当然、文句も出る。まずはかをるから。
もう待てないよ、と。
かをるの瞳ではオタマジャクシが泳いでいる。左目だ。たいていの人は気がつかないがときおり、くるりと尻尾を現わしたりする。右はコウモリだ。昼間はおとなしくしているが夜になると素早く飛び回る。かをると見つめ合うとどこかちぐはぐな印象があるのはそのためである。左右で行動原理が異なるからだ。注意深く観察すれば実はかをるはほんど何も見ていない、ということに気がつくだろう。
かをるの目は回送電車みたい、
と評したのはさつきだったかまさみだったか。いや、母さんかもしれない。
一日の運行を終えた電車が車庫に向うとき、行き先表示幕はルーレットみたいにくるくる回り読み取れない。ご利用になれません、とアナウンスされているのにまあいいか、と飛び乗るの。ロシアンルーレットみたいに死んじゃうことはないにしても、思いもよらないところに連れていかれたりして、それはそれでけっこう楽しいかもね。
修理できる、と主張したのは彼女が務めている放送局のビデオ・エンジニア、略してVEだった。
ただのノイズです。トラッキングの問題ですね。簡単に治りますよ、と笑う。実際、彼の傍にいる間、かをるの瞳に異常は見あたらない。VEが巧みにエモーション・コントロールしているわけだ。画面はいつもくっきり、はっきり澄んでいる。
生体の神秘は恒常性です、
と彼は説明してくれる。常に変動する諸要素のバランスを取ること。ファクターが多すぎてすべてを把握することはできないが大局的にはビデオのような電子機器の制御と変わらない。クロマとヒューが違うようにオタマジャクシとコウモリも違う。
コウモリは超音波を発しながら周囲の環境を測定し飛行する。相手に気づかれずに闇を滑空するスパイのような習性だ。かをるの物おじしない性格はそんなところから来ているのかもしれない。一方、オタマジャクシはカエルになる。姿かたちからは親子だと想像ができない。変幻自在なのはそっちの特性だ。普段は着古したTシャツとジーンズ姿で色気のかけらもないが、営業担当者と取引先に出かける際はビジネススーツをきこんでいかにもキャリアウーマンといった風情だし、パーティーに出る際は衣装部から豪華なドレスを借り出して大女優のようなゴージャスな装いを身に纏うこともある。お前の彼女、スゲーな、あれって誰だよ、と仲間にからかわれてVEは得意げである。彼女じゃないよ、弟子なのさ、と。
しまいにかをるは家に帰らなくなる。
所属しているライブラリーセンターでの作業が深夜に及ぶとVEと二人で夜食と称して屋台のラーメンをすすり、そのままタクシーで彼の部屋に向かい飲み直す。トラッキング調整のため、ということになる。簡単だなどとうそぶいていたが実は難しいらしい。繊細な感覚と集中力を要する。だから酒を飲んでもちっとも酔わない。その生真面目さにかをるは満足する。
一方、さつきの戦法は玄関のブザーだ。
かをるやまさみとの競争で思うように電話を取れないならこちらで勝負しよう、というわけである。きっかけは荷物の配達だった。ブザーが鳴って玄関にかけ降りサンダルをつっかけてドアを開くと、背の高い男で運送会社の制服を着ている。
どうもどうも!
とやたら愛想がいい。胸元の名札は「ワカバヤシ・ナオト」と読み取れる。とたんに惹かれている自分に気がつく。最近、こんなにくったくのない笑顔はなかなか見られない。商売用だとしてもいいではないか。爽やかで親しみ深く、信頼感がある。ナオトって名前もいいじゃない。早くも忘れられない存在になっている。ブー、なのか、ブッブー、なのかブーブブーか。彼女はナオトの押し方を把握してブザーの奏でる呼び出しを巧みに聞き分ける。
ついに我慢できなくなったある日、
デートしてみたい、
と直接告げてみた。本当ですか、と彼は驚く。僕なんかでいいのですか、と。もちろんです、と答えるのだが彼は忙しい。いや、正確には約束が難しいのだ。配達すべき荷物の量は増えるばかりだし、万が一、顧客に彼女と会っている現場を目撃されたりすれば、あの配達員は仕事をサボってデートしていた、とのクレームに発展しかねない。
そのときはいったん二人とも半ば微笑みながら、半ば悲しみながらリアルでの逢引きは諦め、相互にアドレスを交換するにとどめた。
いい方法があるのです、
とナオトが伝えてきたのはそれから数日後だった。さつきの家からさほど遠くないところに北関東に伸びる私鉄の踏切がある。朝の七時半から九時くらいまでの間は通勤電車がひっきりなしに通過し、いわゆる「開かずの踏切」になる。これは絶好の場ではないですか、というわけだ。彼は配達用の台車を押して翌朝、そこにやってくる。はやる気持ちを押さえながら彼女も急ぎ足で向かう。
案の定、カンカン、と踏切がけたたましい音で鳴り続け、十両編成の電車が猛スピードで通過している。急行、快速、鈍行、そしてまた急行、と切れ目もない。やっと終わった、と思うと反対方面が来る。地元の人たちはあきらめ気味で、中には遮断機をくぐって走り抜ける猛者もいたがさつきたちはそんなことはしない。お互いの姿を誰にも遠慮することなくじっくりと見つめ合う。そして電車が通過する直前、遮断機越しに互いの思いのたけを叫ぶのだ。伸びあがって耳に手のひらを当てるのだが騒音にかき消されて言葉は聞き取れない。
列車が通過すると彼の姿は消えている。魔法であったかのように。タイムリミットとなりやむなく配達先へ向かったのだ。深い充実感と同時にそこはかとない悲しみも漂う。
行き違いになることもある。
彼がすでに行ってしまった、もしくは彼女が出向く時間が遅すぎたのだ。だが翌日の感動は倍加する。満面の笑みが通過する車両の合間でフラッシュのように輝くのだ。
好きだ!
たまらないよ!
愛している!
電車の車輪が奏でるリズムが腹の底に響いて心臓がどきどきする。いつの日か遮断機が上がった瞬間、二人が同時に踏切の真ん中に駆け寄り、奇跡的な邂逅が実現するのではないのか、それを想像するだけで興奮してしまうのだった。
踏切の恋人たち。
近所の住人たちはそんな二人を暖かい表情で見守っている。
ところが異変が起こった。
ブザーを聞いて大喜びで階段を駆け下りたが現れたのは別の男なのだ。ありえない、と思った。ナオトの音なのに。ワカバヤシさんは、と尋ねると配達員はシフトで働いているので他の人のことはわからない、という答えだった。すぐに彼の電話番号やメールアドレスを確認するがいずれも消去されていた。
嫌な予感がする。
運送会社の営業所を突き止めると走り込んだ。ワカバヤシは事情があって別の店に移りました、個人情報なので連絡先は教えられない、とのことだった。トラブルがあったのに違いない。
さつきは現場を重視する刑事のように踏切に戻った。昼間は電車が少ないのをいいことに遮断機の周りをうろつき線路を検分した。さらに路地をたどり彼が担当していた区域を巡っているうちに気がついた。ブザーだ。彼が押していたブザー、これを手掛かりにすればいい。とにかく目の前にあった家のインターフォンのボタンを恐る恐る押してみると、
ピンポン、
という音がした。応答はない。隣の家はカンコン、さらに先の家はウンともスンとも言わない。意外と留守が多いのかな、と考え込んでしまう。それでもめげることなくボタンを押し続ける。ブー、というブザーの音がするまで。そうすれば彼と再会できる気がしたのだ。少なくとも手がかりが得られるはずだと。
ナオトさん、知りませんか?
怪訝な表情をされても構わず走ってボタンを押す。
数日後、彼女は宅配便の営業所に戻った。
調査は空振りだった。ならば一層のことプロとしてブザーを押せばいい、と考えたのである。お荷物の引き取りですか、と尋ねられ、働きたいのですけど、と申し出るとさして驚かれることもなく事務室に案内された。制服姿の主任に運転免許の有無を確認され、契約書を提示された。人手不足なので助かるよ、とのことだった。
制服を着てみると街の景色が違って見える。
すべてが明るく輝いていた。ブザーを押すのにも怪しい口実は必要ない。走って行くのだけが変わらない。朝から晩までさつきは走り回っている。
顧客の評判は上々だ。
判子ならまかせてよ。ほら、これが認印。ポンポンポン、すぐ押すよ。いくらでも、いくつでも、いつまでも。政府はやめろ、って言っているけどね。
受け取りの判子はもういらないのです、
と断ってもこの有様だ。
抱えている荷物をプレゼントだと思えば楽しい。なにが入っているのか。開けてみるまでわからない。物理学で「シュレディンガーの猫」という思考実験がある。量子力学の多世界解釈では開けるまで箱に閉じ込められた猫は半分死んでいて、半分生きている。開けた瞬間、生死が確定するらしい。猫が箱を好きなのは確かで、入りこんでしまうこともあるだろう。もし死んでしまったら可哀想だから開けられない。
いや、反対にとんでもないものが飛び出しても困る。特に開けてはいけない、と禁止された場合だ。なにが入っているか気になるはずで、浦島太郎でなくてもちょっとだけ、と覗いてしまう。どうなったかはご存知のとおりだ。魔法が解けてしまうのかもしれない。そこには「時間」が封印されていたのだ。そう考えると御伽噺の寓意も明らかになる。
楽しい時は長くは続かない。
だからといって取り戻そうとしても無駄なのだ。歳月の経過には誰も逆らえない。むしろ流れるに任せておいたほうがいい。時間の秘密をあばく必要などない。知ったとしてもどうにもならないからだ。パンドラの箱みたいに開けた途端に災厄が束となって拡散してしまい、とんでもない目に遭うのも避けたい。慌てて閉めたので辛うじて希望が残った、という顛末もあまり嬉しくない。
箱の中にはまた箱があり、その中にも箱があり、といった想像も危険だ。マトリョーシカのようにどこまでも小さな箱が出てくる。このときは決して後ろをふり仰いではいけない。なぜなら自分も箱に入っていることに気がついてしまうからだ。いくら箱を開いても本来、そこにあるべき中身にはたどり着けないし一生、蓋を開け続ける羽目になる。そしていつしか箱の奥に自分を見つける。路地を走り回り、ブザーを鳴らし、荷物を届けている姿。開けてはいけない箱を開けている姿。
このとき禁断の扉が開いてしまう。
箱は瞬間的にブラックホールとなり逆らうことのできない重力で周囲を吸引する。抵抗しても無駄だ。次第に身体が引き伸ばされ、暗黒へと飲み込まれる。時間も引き延ばされるのでたいていの場合、事態の深刻さに当人は気がつかない。ゆっくりと着実なものが勝つ。無限とも思える長い時を経てようやく我に返る。
この人は誰なのだろう。
箱は答えない。箱はブラックであり、ブラックスワンであり、ブラックボックスである。無法であり、驚きであり、謎である。彼方に銀河の渦巻きが眺められ、時折、彗星が視野を過ぎり、中性子星の焚くパルサーがフラッシュとなって明滅する。すぐ脇には崩壊した恒星の残骸があざといばかりの虹色に輝きガスとなって漂っている。
ブザーを押しながらさつきは微笑む。
あたしは天国の遣いかしら、それとも地獄?
わかるはずもない。ミャオーン、と猫の鳴き声でも聞こえればヒントになるのに。
まさみはあまり文句を言うタイプではない。美容師として働いているが、サロンでも目立たない存在だ。土日と祝日は忙しく、月曜が休みのことが多い。お菓子作りが趣味で休みの日はクッキーを焼いている。深夜に姿が見えなくなったと思ったら、エプロンを着けたままふらふらしているところを警察官に見咎められたりする。
ジンジャーマンが家出したの、
とのことだった。確かにこんがり焼けた巨大な生地から人型が抜けている。焦がしてしまい捨てようとしたら逃げたのだ。ケタケタ笑っていたけど、あとで怖くなった。焦げたジンジャーマンはどこに行ったのだろう。不明なのだ。いずれどこかで鉢合わせするかもしれない。それは嫌だ。おぞましい。そう思いませんか?
これで済めば良かったのだが、あろうことか次々に人型が抜け落ち始めた。夜の間はまだ大丈夫だったが、朝になって陽の光が当たると熱の作用で膨張して飛び出てしまったらしい。まさみが帰宅してみると白っぽい人型が宵闇にたたずんでいた。
気が弱いらしく部屋の隅で膝を抱えて座り込み震えている。
あらまあ、ちょっと、勘弁してよ!
と腕を取ってキッチンに戻そうとするのだがこれぞ「のれんに腕押し」でペラペラの生地をつかむことができない。いずれにしてもサイズが変化しているのでピタリと抜き型に嵌めるのは無理そうだった。
あたしが悪いのよ、
と白い人は泣いている。全身を震わせビブラートを効かせ得も言われぬ悲しげなソプラノを響かせる。
お菓子にはなりきれないし、かといって主張すべき役割もない。できそこない、ってことで弾き飛ばされて帰る場所すらない、と。
いつでも帰っておいでよ
と黒焦げの生地が低音を響かせて返答する。
イヤイヤ、どうせあたしなんか
俺にふさわしき者はきみしかないのさ
アリアのようにクッキーの生地が呼び交わす様にまさみは慄然とした。いつのまにこんなことになってしまったのだろう。責任重大だ、と考えながらなんとかことを隠蔽しようと謀を巡らせる。
灰にしよう。燃してしまえば見分けもつかない。どちらが図でどちらが地だったかなんてどうでもよくなる。グレーゾーンという言葉がある様に、どこか怪しげだが表立って見咎められる危険も少ない。
特に夜がいい。
月明かりに照らされてジンジャーマンの残骸は躍り出す。まさみ自身も肌に灰をまぶして一緒に街へと繰りだす。行方不明の焦げたジンジャーマンを探し出すのだ。ここまでいってようやく満足できる。
なんでいつもクッキーを焼いているの?
と尋ねられれば、自分を忘れるため、と答える。自分が嫌い。顔がヘン。特に唇にほくろがあるのが気になる。目立たないようにと意識するあまり寡黙になったくらいだ。
だったら見なければいいじゃない、顔は他人のためにあるのだから!
などと学校の先生たちはもっともらしい慰撫の言葉を並べた。確かに鏡さえ見なければ忘れていられる。だが母さんはまったく違う意見だった。
あんたの顏は一度、見たら忘れられない。だからあんた自身は一度、忘れなさい。なにもかも忘れるくらい好きなことに没頭するの、
と。よくわからない理屈だったがそれで憑き物が落ちた。
あえて毎日、鏡と対面する職業を選んだのだ。
ただし美容師が見るのは自分ではない。顧客の容姿を整えるのが仕事だから。鏡を見ているのに自分は見ていない。逆説的だが向いている。
家では鋏と櫛をスパチュラと泡だて器に持ち替えてお菓子作りに挑戦した。生地で顔を作る。目、鼻、口。よく観察すれば結構面白い。大きな耳と太い眉毛。いいじゃないか、と思う。福笑いのようにぐちゃぐちゃに崩すとなおいい。配置が重要なのだ。位置によって印象は極端に変わる。
次は色だ。
ビビッドで血のような木イチゴの紅
心が休まる抹茶のモスグリーン
どこまでも深いカカオのダークブラウン
そんな色に出会いたかった。だがパッドの上で混ざり合った食材は不協和音を奏でる。そう、重ね合わせていくほどに暗くなりすべてはグレーに飲み込まれてしまう。
おいしさには形も影響する。
ペンタゴンがいいのか、ヘキサゴンがいいか、いや、やはり同心円か。ヨーロッパでは伝統的に円が好まれる。個人主義とは中心を持つ円のことであり、社会は無数の円の集合となる。中心には神がいる。なにもかも一つの中心からコントロールしたがる。それが西洋文明の特性だ。神なんてとっくにいないよ、というのは間違い。真理とか科学とか法秩序とか人権とか名前を変えているだけで性質は変らない。東洋は違う。たとえば中心が二つあったらどうなる? 意外と忘れられているのが楕円である。二つの焦点を持つ楕円は中国の陰陽思想の基本形だ。陰と陽は互いに補い合う。そしてどちらかが相手を支配することはない。さらにはあるときは陰だったものが陽となり、そのとき陽は陰となる。こうした変転が常にバランスを保っている。
大きな楕円はどうだろう。
男と女、親と子、教師と生徒、上司と部下。二人の役割はゆっくりとときには素早く交替する。そう考えればたいていの悩みは薄らいでいくはずだ。答えは関係にある。あわいと呼んでもいい。
まさみは黙ったまま生地をこねる。にこにこしながら。だがそれは決して無意味な微笑ではない。
2現れた顔
ヨーイどん!
とお母さんが声をかけて競争は始まった。父さんを呼び戻すの、と。文句を並べている暇なんてないの。通話を追いかけてくだくだおしゃべりして無駄に使った言葉を回収なさい、そう宣言する。
まさみの役割は伝えるべき文字を紡ぎ直すことで、さつきはそれを届けるために走り、かをるは正しくチューニングせよ、ということらしい。だけど三人はよく意味も分かっていない様子で無為のままにそれぞれが焦りだけを高まらせる。まさみは鋏を手に大量のジンジャーマンを切り出しているし、かをるはコウモリとオタマジャクシを激しく回転させ、さつきは宅急便の荷物を抱えたままうずくまる。
優勝したらなにがもらえるのかな?
賞金十万円。
アイフォンの最新型。
アロマ・リフレクソロジーの回数券
どれがいい?
残念でした。せいぜい焼き芋よ。
焼き芋?
そう。近所のお店はみんなつぶれてしまって、笛を吹いてリヤカーを押してくる豆腐屋さんやチャルメラ鳴らしてやってくるラーメン屋さんはもういない。せいぜい軽トラの焼き芋屋さんくらいだから。それでも貴重よ、としぶちんの母さん。
角のタバコ屋の脇に薬屋があって製薬会社キャラクターであるケロヨンと象、うさぎが並んでいた。特に赤いうさぎは十円を入れると動く仕掛けになっていて子供たちを喜ばせていた。反対側は牛乳屋で商品名が書かれたベンチがあった。どの店もとっくに廃業しているが今もそのベンチだけがシャッターの前に残されている。ペンキが剥げ錆びているが座ることはできる。
ときおり老人の姿を見かける。
こんにちは、
と声をかけてくるのだ。今日はあったかくていいねえ、などとにこにこしながら誰にともなく話し出す。
さつきが立ち止ると、次のバスは何時かな、目が悪くて時刻表が見えないもので、と訴える。
バスですか?
その道に路線バスが通っていた記憶はない。どのバスですか、と尋ねるのと新宿行、と答える。それなら表の広い通りに出ないと、ここには来ないから、と伝えるのだが、そうですか、と頷いたきり動かない。
もう行っちゃったのかな、
と呟いている。ずいぶん前に最終が出てしまい当分来ない、ってことになりますかな、と。まあ急ぐことはない。のんびり行けばいい。物事が次々にうまくいくこともあれば泣きっ面に蜂みたいになにもかもダメな時期もある。そういうときは大人しく待つ、これがボクの哲学ですよ、と説明してくれる。
そのベンチは日当たりがよく、居心地もいいのだろう。毛糸の帽子をかぶり、ラクダ色のカーディガンを羽織った老人は満足げに微笑んでいる。
でもどれだけ待ってもここには通らないの、
とさつきが付け加えると、ああ、そう? と首をかしげる。おかしいな。昨日か一昨日見た気がするけど、廃止されたのかな。ずいぶん急な話じゃないか。不条理、って言葉が昔、はやったけど正に不条理。廃止決定なら今さらどうこう言っても無駄だとは知っているけどなんとかならないものかな。なにせうちのはあれに乗って行ってしまったもので、後の便で行くから、って約束していたのだけど。
困ったものですね。
困ったものだな。
こんなやりとりをしていても埒が明かない。しばらくすると通りの先にある介護施設のスタッフがやってくる。あら、鈴木さん、こんなところにいたの、と。散歩の時間で出歩いているうちにはぐれてしまったらしい。そこがお気に入りらしくたびたび現れる。日向ぼっこしているのならいいじゃない、とさつきは思った。会話はおぼつかないが必ずしもボケているわけではないようだし。
言ったでしょう、うちの奴、ずいぶん前に先に行ってしまって。同じ便に乗りたいのだけどもう来ない、って言うからどうしようかと思っていたら、最近、夢に出て来るようになってね。あれこれ文句ばかり言ってさ。そろそろ俺の番だってわかっているからこうしてここで待っているわけよ。
鈴木さんは瞼をすぼめ、遠くを見る目つきになり、さつきは返す言葉を失った。大丈夫、もうすぐ来ますよ、と答えるわけにもいかない。それでもぽつりぽつり、と単語を並べるような彼の話し方が好きだった。
いずれあなたにも見えるようになるよ、
鈴木さんは教え諭すように続ける。
みんな先を急ぎ過ぎているからね、仕事の効率を上げるのは当然だから仕方ないけどね、目的を達成すればそれでいいというものでもない。別の生き方もある。
別の、そう、存在するのとは別のね。
ものとものの間に注目すればいい。なにもないと考えてはいけない。あわいだよ。あわい、という言葉は「合う」から来ている。そこにぴったりはまる。もう一つ「遭う」もある。出逢いだよ。関係ということだね。変化しながら常に影響を及ぼし合う。力と呼んでもいいかな。それに気がつくと状況が違って見えてくる。
大事なことはすぐ足元に転がっていたりするのさ。灯台元暗し、って言うだろう。こんなことばかり言っているとあいつは変人だとか世捨て人だとか、ってバカにされるかもしれない。確かにそういう面もある。路傍のゴミみたいなものに関わってもたいした役に立たない。でもそれがかえっていい。
脱線だよ。人生は脱線。
そこに醍醐味がある。本線を最後まで突っ走る奴はそうそういない。数万人に一人だよ。それが羨ましいかどうか。例えば秀吉だ。辞世の句は「浪速のことは夢のまた夢」だ。古い話で恐縮だけど天下を極めた男でもあっけないと感じた、ってことだよね。そしてどうなった? 信頼していた家来に息子のことを頼んだのに結局、誰も助けなかった。
抹香臭い説教をしたいのではない。
ボクは現実派さ。極楽浄土がどうのなんて気にしちゃいない。天に宝を積め、だなんて言わないよ。今を充実させることが大事だ。そのために境界線を見定めておくことが必要です。さっき言ったあわいだ。知らないうちに踏み越えないようによく見ていることだ。一歩離れればいろんなものが見えてくる。世間の人が特急列車みたいに通過している場所にいろんなことが埋もれている。それに気がつけば幸せになるコツがつかめる。
鈴木さんはゆっくりと腕を上げる。
するとその先に大勢の人がいるような気がした。みんな笑っている。あれがバスなのか。天国に向かっているのか。
わからない。
朝起きるとまさみは窓の外を確認する。
あの人が門の脇でうなだれていることがあるからだ。雨の日でも傘もささずに立っている。気の毒だったのでふと思いついて糸電話を用意してみた。郵便受けの下に紙コップを置いておく。そこから糸が伸びて木の枝と窓枠の金具を経由して室内のまさみの手元にある紙コップにつながっている。
モスモス、
と聞こえる声は籠っていて、訛りがある様にも感じられた。
スズ、持ってるか
と尋ねられ鈴? と問い返す。スズ、ツヅ、チィーズだ、と繰り返されて地図のことだと思い当たる。道に迷っているらしい。だとしたらあれはやはり自分自身の姿ではないのか。
部屋を見まわすと父さんがいつも虫眼鏡で覗いていた住宅地図が本棚の下の方に押し込められているのに気がついた。引っ張り出してみるとボロボロになっていたが構わず抱えて階段を駆け下りサンダルをつっかけて門の前に飛び出した。
あの人の姿はない。
郵便受けには不動産会社のチラシが突っ込まれているだけだ。雨に降られながら立ち尽くしていると封印されていた記憶がフラッシュ・バックした。
あの朝も雨だった。
まさみはコードレス電話の受話器を手に玄関の軒下で二時間近く話していた。相手の声は曇りがちでいくら叫んでも返事は「うん」とか「いや」とか「たぶん」でしかない。そして突然、通話は切れた。電池がなくなったのだ。電電公社の黒電話をやめて買い替えたばかりだったのに。まだ携帯電話は普及していなかったので充電が終わるまで通話を再開する方法はなかった。駅まで出かけて百五度数のテレホンカードを買って公衆電話からかけてみたが応答はない。電話機には105という赤い数字が点灯したままだった。
やはりあれはあたし自身なのだ。
地図が必要なのは自分だ、と悟った。そうして無性に心細く、悲しくなった。
家を売ってください、
とチラシは訴えている。「今が売り時」とか「このあたりで探している家族があります」などともっともらしいことが書いてある。
こんな古い家でいいのでしょうか。
こんなあたしでいいのでしょうか。
あんな人でもいいのでしょうか。
どうでしょう?
「買い手は必ず見つけます、ご納得のいく価格を目指します、未来への価値創造と信頼ある取引をお約束します」
と謳いあげる薄い紙は雨に打たれ萎れた花のように重たくなる。
向かいの家の窓には顔が現れていた。警告するように大きく口を開けたまま見下ろしている。
お向かいさんはずいぶん前から空き家のはずだった。子供たちはとうに独立し、夫婦のみの所帯だったが夫に先立たれた妻も施設に入り誰も住んではいない。ごく稀に長男が様子を見に来ていたがそれも途絶えている。郊外の一軒家で駅からも離れているため不動産としての価値は期待できない。古い木造家屋はむしろマイナスの存在だ。
二階の窓に現れる顔が気になったのか母さんが一度、敷地内に立ち入って調べようとしたがはかばかしくなかった。長男の連絡先もわからず、かといって警察に通報するのも憚られた。こうした場所は無数に存在するのだろう。
一度、長女の一家が大挙してやってきたことがあった。
暑い夏の日でうるさいくらいにセミが鳴いていた。大きなワンボックスカーを横づけにして子供たちが飛び出してくる。ごく狭い庭は雑草に覆われていたがその中を走り回り、物置を開けると中から園芸用品を取り出してあちこちに積んでいく。両親は合鍵で家に入り、中で狼藉を働いている。
なにかお手伝いしましょうか?
とさつきが尋ねると、大丈夫です、と断るのだがもしよければ、と家の中から持ち出した家財道具を塀の脇に並べる。物干し、バケツ、洗濯ばさみ。鍋、たらい、漆の器。欲しいものなどないのだが捨てるのはもったいないとも思う。
一日中、大騒ぎだった。
昼になると母さんは、カレーでもどうですか、と声をかけた。一家は悪びれもせず、いいですねえ、とやってきて、かわるがわるカレーを食べた。
井上さん
というのがお向かいの苗字だったが、一家は長谷川さんで、父親は眼鏡をかけた真面目そうな痩せた人だった。母親の悦子さんはさつきと年が近く、幼い頃、一緒に遊んだ記憶もあった。所帯窶れした雰囲気ではあったが、活発で乱暴な子供だった頃の面影もある。互いに思い出し、最初のうちは気まずい感じもしたが、話しているうちに、エッちゃん、サッちゃんと昔の呼び方を取り戻した。
聞けば高齢のお母様はそのまま施設で過ごすことになりそうなので、自宅を片付けておいた方がいい、と弁護士さんにアドバイスされたのだという。
さつきはボランティアで庭の雑草を刈ってやった。そうでもしないと藪蚊に刺されそうだと思ったのだ。家の中は蒸し暑く埃が舞って最悪の環境だった。それでもまさみは二階の子供部屋で見つけた「キョロちゃん」を使い色とりどりのかき氷を盛りつける。子供たちは大喜びだ。さっぱりした庭にさつきが水を撒いていると子供たちが飛び込んできてずぶ濡れになりながら踊った。
一方、父親と母親は汗だくになって一心不乱に押し入れや箪笥を漁っていた。廊下にまでさまざまな家財道具が散乱し足の踏み場もない。まさみはそれらを取り除けながら回遊した。
睡眠学習機
ママレンジ
オセロゲーム
などを見つけて懐かしがっていたが、とりわけリビングの棚に置いてある時計が気に入った。薄い緑色の大理石の文字盤は金色のモールで飾られ、CITIZENと表示されている。金色のアーチの中に仕込まれたクリスタルの天使が回転する仕掛けらしい。どうぞ、と言われたので自分の部屋に持ち帰り磨いてみた。期待通りきらきらと輝き電池を交換するときちんと動く。
時折、二階に現れる「顔」のことをエッちゃんに話してみたが、あらやだ、と眉をしかめただけでさして気にも留めない様子だった。心当たりはないという。
うちのパパ?
と肩をすくめる。あの人は化けて出たりしないよ。この家にも未練ないはずだしさ、と。なんでも若い頃は外に女がいて騒動が絶えなかったらしい。今さら古い家に戻ったりはしないはずだ、と。本人の希望通り、故郷で樹木葬にしたという。
だけど口を動かして話しかけてくることもあるの。
まさかね。気のせいじゃないの? ガラスに映った自分の顔を見間違えたとかさ。
確かにエッちゃんの言うとおりだ。気にし過ぎなのかもしれない。空き家にしても掃除はきちんとしておかなければダメなのだろう。目的を達したのか長谷川家ご一行は建物の内外を散らかしたまま帰ってしまう。さつきとまさみはヒグラシが一日の終わりを告げる薄闇で、散乱したあれやこれやをなんとか室内に納めて自宅に帰還した。
長男がやって来たのはそれから数週間して秋の気配が漂い始めてからだった。屋内の様子に驚愕したらしく、母さんに事情を尋ねた。長谷川一家の来訪の顛末について聞くと、
あのアマ!
と妹を罵った。母親が存命なのにもかかわらず兄と妹で資産の分割について揉めているらしく、妹は預金通帳やら保険証書やら家の権利書などを持ち去っていたのである。
さつきをまるで犯人であるかのように睨みつけられた。
あり得ないよな。
手伝って欲しい、と頼まれたので井上家に入り、散らかっている室内でファイルやら封筒やらをかき集め、重要な書類が残っていないか調べた。兄も妹同様、荒っぽい気質でわんぱく坊主だったのを覚えている。高校生の頃、家を出たきりよりつかなかったので接点はほとんどない。
今回は妹の方が一枚上手のようだった。
礼も言わずに立ち去る背中を見送っているといつものように「顔」に気がついた。二階の窓からこちらを見下ろしている。表情もなくただそこにいる。誰もいないはずなのに、と見あげていると消えてしまった。顔はときどき現れる。母親は施設にいる筈だし父親の霊でもないとするといったい何者なのか。まさかうちの父さん? 囚われの身となってあそこから娘たちを見守っているの? ありえないよね。
なにかを訴えていることは確かだ。それ以外のことはわからない。
顔は不思議だ。
身体の一部だがただの物質ではない。人と人が向き合う時、そこに表情が現れる。反応がなければ死体かロボットを思わせ不気味だろう。表情を読み取ることが難しい場合もある。よく知っている顔、初めて見る顔、誰かに似ている顔、どこかで見たような気がする顔、好きな顔、嫌いな顔、優しい顔、怖い顔、さまざまだ。目、鼻、口といった造作にはさほど違いがなくとも一つとして同じではない。
忘れたいのに忘れられない。
反対に記憶にとどめたいのに覚えられない。
いつも動いているから完全に把握することはできない。写真やビデオで記録することはできるが部分的な痕跡に過ぎない。そして顔自身は顔を知らない。鏡に映している間、一面を垣間見ることができるだけだ。
顔は至る所に現れる。
犬や鳥にも顔はある。自動車や家が顔に見えることもあるし、路傍の石や花びらに表情を読むこともできる。心霊写真に写っている顔と同じで錯覚だ、と言えばそれまでだが いったん気がつくと逃れることはできない。
顔を裏切ることはできない。
なぜならそれはあなた自身を含んでいるからだ。単なる外部ではないしもちろん内部でもない。いつもそこにある両者の関係なのだ。
かをるの勤務先のライブラリーでは劣化しかけた古いフィルムをデジタルデータに置き換える作業が行われている。ビデオカメラが普及するまで屋外での撮影は光学フィルムで行われていた。報道の現場で多用されていたのは八ミリフィルムで二分くらいしか持たない。一分間に二十四コマ。パラパラ漫画の要領で人々が動く。モノクロの画面の中で都電がゆっくりと銀座の交差点を過ぎり、カミカゼタクシーが猛スピードで走り抜ける。パーマで髪を結いあげた女性たちはショーウィンドーを覗き込み、黒縁眼鏡の勤め人がインタビューに答えている。みんながひっきりなしにタバコを吸う。夜になればネオンサインは不必要なまでに点滅し、歩道に泥酔した酔っぱらいが倒れている。とにかくみんな輝いている。顔が明るい。
音はない。
音声は独立した録音機で六ミリのテープに収録される。映像、音声どちらも編集はハサミで切って張り合わせていた。こうしたアナログ素材をテレシネと呼ばれるプロセスでテレビ用の電気信号に置き換えデジタルデータに起こして保管する。
コマとコマの間にはフレームがある。
コウモリだ、とかをるは思った。隙間を飛び回っている黒い影は通常検知されない。ところがひとたびリールの回転速度が狂うとたちまち姿を現す。すべては錯覚なのだ。動いている間だけ現実は存在するかに見える。変調にとどまらず停止してしまえば、それはすなわち死を意味する。時間の秘密が暴露され、黒い影は正体を現して羽根を広げる。光は奪われ画面は暗黒に覆われてしまう。
カチン、
と固い金属質の音がしてVEがフィルムを装填しなおすとぬっ、と巨大な一つ目が姿を現す。漆黒の帳を破って夜を横断する都電だ。絢爛たる輝きを路上にまき散らし、繁華街のにぎわいを曳航しながら人通りが減った街路を悠然と渡っていく。
いいね、
とVEは呟いた。かをるもそう思った。こんな乗り物は他にない。京都市電は「きよみず」とか「ぎおん」など一両ずつ名前が付いたらしいけど、不思議はない。どこか愛嬌があり、ペットのようだしそれでいて威厳もある。VEが同じ意見なのかどうかはわからないけど、
いいね、
と彼女も呟いた。
夜の底を突き破るようなけたたましい音がして目が覚めてしまう。闇はまだ深い。瞼の裏ではプレビュー室でちらついていたコウモリたちの影が翼を広げている。
あれは君の父親じゃないか、
とVEは言う。暴走族ではなくて防錆族。錆びたバイクがまだ走れますよ、ってアピールしている。たまに動かさないと本当に動けなくなる。人間と同じだ。アクセルもブレーキもレバーが錆びかけてコチコチになるから慌てて油注したりしてさ。古いからブレーキパッドが擦り減ってキーキー言うし、エンジンも頼りないけどとにかくベアリングがつぶれるまで走る。というわけでものすごい音がする。
暗がりでシーツの上をすべる彼の指先は細やかに動く。そして優しい。かをるは黙っている。薄々気がついてはいた。母さんが隠している秘密について。父さんはキカイダーみたいにオートバイを乗り回していた。サイドカーに母さんを乗せて。それは嘘ではない。だけど父さんはキカイダーでもないし英雄でもない。
夢は都電の運転手だったらしい。だけど都電は廃止された。地下鉄は嫌だった。一生、トンネルを走り回るなんて。だから都の職員はやめて長距離運送の運転手になった。給料は良かったらしい。そしてそのままどこか遠くへ行ってしまった。それだけのことだ。
溢れかえる自動車の波に囲まれて身動き取れなくなっている都電の姿は不器用だった父さんの姿に見える。のろのろとしか進まず方向転換もうまくいかない。乗客にはののしられ、ドライバーからは邪魔者扱いだ。廃止に伴って、
ありがとう、さようなら
と書かれた花電車のパレードがあちこちの街角で行われ、ニュース映像に残されている。それを見ているとつい泣けてしまうのだ。目的もなく夜更けの都心で騒音を立てる防錆族も似たような存在だ。とっくに忘れられている。哀れなのだ。
どうか思い出してください、
と正面切って言う事もできずにぞっとするような金切り声で人々の関心を引こうとしている。首都高速をサーキットに見立てレースを繰り広げるルーレット族も顔負けのすさまじさに警察への通報は鳴りやまず、最初はパトロール隊が映画さながらのカーチェイスを繰り広げた。やがて警察は手を引く。追うほどに相手を喜ばせるだけだ、と気がついたのだ。大都会の行政府に亡霊の相手をしているゆとりなどない。放っておけばそのうち消えるだろう、と無視を決め込んだ。性質の悪い亡者は他にもたくさんいる。無政府主義者に結婚詐欺師、麻薬の売人と通り魔、博打ち打ちに神懸かり。いちいち相手にしていたらキリがない。
悲鳴は空回りする。
あたしを見て、ほら、こんなに悲惨なのよ、といくら叫んでも聞いてもらえなければ意味がない。
油を注してあげればいいのかな、
とかをるがつぶやくとVEは笑う。
そうかもしれないな。だけど滑り過ぎたらそれはそれで問題だ。記憶と同じさ。ありとあらゆるできごとがいっぺんに思い出されたら脳みそがパンクしてしまうだろう。ショックで死んでしまうよ。ほどほどの抵抗がある方がいい。過去の経験は少しずつ取り出されるから役に立つ。嫌なことも適度に忘れたほうがいい。自己嫌悪に陥るだけだから。都合よく改ざんすることだって必要さ。
男と女もね?
そう、機械と同じ。間、ってのが大事だ。技術屋は「アソビ」と呼んだりする。寸法がぴたりと合致しているとかえって故障の原因になる。
お父さんの友人でして、
と訪ねてきたのは顔色の悪い初老の男だった。背は低く小太りでうす汚れたジャンバーをはおっている。冴えない感じではあったが、野太い声には迫力があった。
その人のことは知りません、
と母さんは追い返そうとしたが、まあそう言わないで、事情を説明しますから、と上がりこんでしまう。リビングのソファに勝手に腰を下ろすと灰皿もないのに煙草に火をつける。その日はシフトが入っておらずビスコッティに挑戦していたまさみが台所から空き缶を持ってくる。
ご主人はなかなかの方でした、
とおもむろに話を切り出す。なんでも関西で会社を興し、一時期は景気も良かったという。しかし人手不足などで事業は暗転、事務所を閉めて働いた。数年前、事故を起こし怪我をしたらしい。保険も出たが元のようには働けない。今も療養中だという。
そこでですな、ご家族のみなさまにも少し助けていただきたいというわけで、
と男は煙草をねじり消しながら本題を切り出す。要するに金を出せ、という話らしい。残念ですけどうちにはそんな余裕はありません、と母さんは断る。会社のことはわかりませんし、事業には関わりないですから、と。
そうは言ってもね、あなたたちは戸籍上、家族だし、この家も抵当に入っているのですよ。
男はニヤリと嫌な微笑みを浮かべた。
法律のことは弁護士さんに相談しますから、そちらを通してください、
と母さんは動ずることもなく流そうとする。
そういう話じゃない!
男は突如、声を荒げ空気が張りつめた。
いいですか、開業資金はこっちが出した。つまりね、俺はあんたの旦那に金を貸している。貸したものは必ず返してもらわなければならない。それが世の道理ってものでね。
男は汚れた爪で煙草のパッケージをはじき、煙草を取り出す。
違いますか?
違うと思います、
と母さんは返した。まさみは廊下でやり取りを聞きながらいつでも警察に連絡できるよう携帯電話を準備した。
こっちが丁寧に話しているのにそんな態度でいいのかな? 後悔することになりますよ。
どうでしょう。後悔するのはあなた様かもしれません。
激昂した男はドン、とテーブルを叩き、
わからない人だね、痛い目にあいたくなければさっさとあるだけ出せばいいんだよ、
と叫び睨みつける。こうした人種の作法なのだろう、稚拙だが効果的だ。悪いようにはしないからさ、と。
ところが驚くべきことにその瞬間、ちりりん、と玄関の電話が鳴った。電話機は下駄箱にあったがベルの音を聞いたのはずいぶん久しぶりの気がした。それもそのはず、回線がつながっていないのだから。まさみは廊下を走って埃まみれの受話器を取った。重たい。当然、耳に当ててもウンともスンとも言わない。
それでも咄嗟に、もしもし、と声を上げる。
あの人だ、と思った。あの人が来たのかもしれない。リビングでは男が煙で咳き込む。きちんと消さずに落した吸い殻が缶の中で燃えているのだ。母さんは黙ったまま様子を見守っている。煙は量を増し男の頭部を包み込んだ。
なんだい、こりゃあ?
眼の前にゆっくりと人面が現れる。次第に輪郭を露にし、体積を拡大しながら対峙している。男はさすがに驚いたのか缶を遠ざけるようにして座り直した。しばらくは我慢していたが居心地悪そうに腰を上げ、煙いなあ、と壁際まで後退する。
もしもし、もしもし。
まさみの返答が木霊している。
どちらさまですか?
煙幕に覆われた男は腕を上げて防御するようにしたが視界を失い、鼻、口にも入り込むため咳と鼻水が止まらなくなった。おい、なんとかしろよ、と叫んだがどうにもならない。ヨタヨタと壁を伝いながら廊下に転がり出る。
どちらさまですか
どういったご用件で
ご用でなければ切りますよ
煙はしつこくまとわりつき追及している。
おい、必ず出直してくるから金を用意しておけよ、
と言い残すと男は逃げるようにして玄関に走った。顔はどんどん大きくなって男を追尾している。
カァ!
ふと見上げるとカラスが西の空を横断している。黒い影がいくつも羽ばたいて暗号のように文字を描きながら小さくなっていた。
街路に男の姿はなく煙も消えている。
母さんは一人、リビングのソファに座ってまっすぐに宙を凝視していた。それがいつの、どこなのかまさみにはわからなかったが遠いところだ。
母さん、
と呼びかけても返事はない。時が止まったかのように感じられた。なにかが伝えられ、同時になにかが持ち去られていた。
3ノイズ
まさみの職場は表参道にある。
日曜日の美容室は予約で満員、まるで戦場の有様だ。おしゃべりな美容師は手先と同じくらいの器用さで唇を動かし、顧客それぞれに異なったプログラムが次々にこなされる。店長の統括の下、全体が有機的に連携し優秀な軍隊となって前進する。まさみも例外ではない。忠実な一兵卒である。地味な存在だが自己主張が強い仲間たちと異なり黙々と働くので重宝されている。客の評判も悪くはない。きちんとやるべきことをやる。その姿勢が評価されるのだ。
かゆいところはないですか?
美容師の手のひらをはみ出た髪がうねりながら店内に伸びていく。
化け物だ!
そんな叫びが起こってもおかしくはないのだが、泡まみれになった美容師は淡々と髪を洗いつづる。指先に力をこめて頭皮をマッサージし、髪に対しては撫でるように優しい。ヘナで染められた紫、緑、茜といった毒々しい色に対しても驚きの声は上がらない。大蛇を思わせる激しく重いうねりの中で客たちは思い思いの瞑想に沈んでいる。
メデューサさ。
腕を組んだ店長はそんなふうに嘯く。蛇の髪を持つ女神で、その顔を見た者は恐怖のあまり石になってしまったという伝説を持つ。
退治の方法を知っているか? 鏡だよ。ヘラクレスは鏡を盾にして怪物に自分自身の顔を見せた、ってわけ。
そう言ってくるりとミラーを回すのだ。
店内は光の洪水となる。大蛇と龍と、ヘナの匂いと飛び立つ泡と、軽やかな鋏使いと蒸したタオル。さらに無数の唇の蠢きと分厚い女性誌と。それらがきらめきながら万華鏡のごとく回転する。
女神たちは慢心したのか。
気がつくと戦場には死屍累々、汚れた床に切りとられた毛髪が散乱し、パーマ液とヘナと香水とその他正体不明の臭気が立ち込め、それでも戦士たる美容師たちは粛々と撤収作業に入り、機器の洗浄と清掃、読み散らかされた雑誌類やカタログ類の片付け、什器の収納なども順を追って進められる。
鏡は回転し続けている。
映し出された窓の外で街路をゆっくりと電車が走っているのをまさみは目に留めた。かをるに聞いたことのある青電車だろう。とっくの昔に廃止された路線をなぞるようにして渋谷から坂道を上がってくる。
あれを見ると死ぬらしいよ。
ネット上ではそんな会話が飛び交っている。嘘でしょう、と思うが見てしまったからには否定もできない。放送局のVTRが再生されるたびに電気信号が複雑な作用で乱反射し、ないものをあるかに見せてしまう。回路の設計容量を超えた電磁波が常時、伝送される時代となりもはや最先端のプログラミングに通じた技術者といえどもすべての映像を把握し、コントロールすることはできない、VEはそんなふうに説明してくれたらしい。
陰謀かもしれない、
と彼は唱えているという。データベースがハッキングされている可能性がある。国内とは限らない。中国かもしれないしアメリカかもしれない。プロパガンダとして利用するためあらゆるメディアが動員されるのだ。権力者たちは人工衛星から俯瞰して全体像を把握する。まるで神だ。勘違いも甚だしいが、なんともまがまがしい事態だ。
回し続ければいいわけね、
とまさみは鏡を操作する。
おりしも路面電車見直しの機運は地方都市に於いて高まっている。ライトレールと呼ばれ、富山市での成功を見て宇都宮市では新規導入が実施された。自動車が交通の主流となり郊外に巨大なショッピングセンターができた代わりに旧市街が寂れているのは共通だ。シャッター街などと揶揄される市の中心部に賑わいを呼び戻す切り札としてライトレールが脚光を浴びている。
青電車の登場はこれに呼応しているのかもしれない。夢には必ず現実が反映される。昼と夜は別ではあるが結びついている。走っているのは同じ線路なのだ。時の回廊を巡ってモーターの唸りを響かせ、夜の片隅にぴかりと一つ目のヘッドランプを光らせる。交差点にはその存在を待ちわびていた人々が行列している。
あなたも乗るのですか?
と尋ねれば、もちろん、と答える。彼らの影は薄く、風が吹いたらぺらりと剥がれて飛んでしまいそうだった。
あれは最終電車の一つ前です、だから行き先表示幕が青くなっているでしょう、いわゆる青電車ですよ、と。最終の一本前。このことが大切だ。決して終わりではない。まだ終電が来る。それは十分後かもしれないし、一時間後かもしれない。いやいや一年後かもしれない。絶対に来る。でもいずれにしても行ったら決して戻ることはできない。それが世の真実ではないか。過ぎ去ったものは二度と戻ることはない。戻るとしたら幽霊だ。意味もなく同じことを繰り返す者は不気味と感じられる。
確かに最近、巷にはそんな生態があふれている。録音や録画といった技術が発展したためだ、とVEは説明する。都内の雑踏を一日監視すれば巧妙に紛れ込んでいる亡者の所作を見つけるのはさほど難しくない。
リピーター。
楽をしたいからなのか、ただ単に考えが浅いだけなのか、快楽の強度を増したいからなのか。魂の抜け殻のような、操り人形のような輩ばかりになってしまっている、と。
車内では父さんと母さんが顔を見合わせている。
ロングシートに隣り合わせに腰掛けていたのだが、異臭がして顔を上げると目の前にぬっ、と手を差し出された。旧日本陸軍の帽子を目深に被り、腕に包帯を巻いた男が立っている。髭は伸び放題だしサングラスをかけているので風貌はよくわからない。
父さんがポケットから取り出した百円玉を載せてやる。男は手を引っ込めない。再度突き出す。やむなく五百円札を載せるとようやく二人から離れる。ここはお国の三百里、と歌っている。フェイクだね、と父さんは呟く。
いいのよ、と母さんは首を横に振る。
理由もなく怖くなったのだ。
なにかを奪われるかもしれない、という気配がある。ただ電車に乗っているだけなのだ、そう自分に言い聞かせても収まらない。肝心の守らなければいけないのがなんなのかわからない。父さんが心配だというのとは違う。奪われるからには大切なものであるはずだ。金銭なのか、体面なのか、はたまた家族なのか、かけがえのない自然なのか、いや、自分の命なのか。どれも違う気がする。
ひょっとしたらそれは「時間」かもしれない、と思った。
もうあまりたくさんの時間はない。
車窓にはときおり自動車のヘッドライトが流星のように尾を引いて流れ、町のネオンが光っている。居酒屋「呑み助」、すこやかクリニック、ユニオン法律事務所、東大進学ナンバーワン<東都ゼミ>。色とりどりの広告文字が浮かんでは闇に沈んでいく。なんだか現実離れして感じられた。ここはどこなのだろう、と。ついに我慢できず、
次で降りて引き返しましょう、もう夜も遅いから、
と強い口調で告げると、
お前はそろそろ降りたほうがいい、俺は少し寄り道するから、と父さんは窓の外を見る。
そればダメ。
付き合いが悪い、って責めたりしないよ、俺はちゃんと自分のことは自分でできるから、知っているだろう、ほら、伊香保に行ったときもそうだったろう、
と思い出を持ち出す。あれはいつのことだったか、二人で伊香保温泉に行った。バイクの調子が悪いので父さんは母さんをいったん旅館の前で降ろし整備工場に戻ったのだ。シリンダーヘッドが傷んでいたのだが幸い部品がありその場ですぐに修理ができた。
父さんは微笑みながら頷いて運転手に降車を知らせるボタンを押してしまう。
止まります!
と赤いランプが点灯した。次は荒川車庫という停留所だった。
心配しなくていい、
父さんは繰り返す。保険はきちんとかけてある。家族に迷惑はかけない、たとえ行き先が地獄でもね、と。
縁起でもない、と身震いする。
電車は止まり扉が開く。よろしいですか、と運転手がマイク越しに降車を促す。父さんは怖い顔をして、降りなさい、という仕草をする。仕方なしに、
それならここで待っているから用が済んだら戻ってね、伊香保でもそうだったでしょう、いろいろあの頃のことを話そうよ、
と言い捨て停留所に出る。扉が閉まると電車はゆるゆると動き出す。赤いテールランプが次第に遠ざかり小さな点になる。終点の三ノ輪まで片道二十分くらいの道のりだ。往復一時間で戻るだろうか。それともどこか行きたい場所でもあるのか。やっぱり後を追うべきか。とにかく次の電車を待ってみよう。
都電のいいところは行ってしまってもすぐに次がやってくることだ。百足のようにぞろぞろと長い編成を引きずって地の底を走る地下鉄とは異なり、一両ずつ野良猫のようにやってくる。猫たちは気まぐれだ。すぐに姿を隠す。探すと見つからない。それでも箱に隠れて待っていたりする。
次の電車は理屈からすると最終電車のはずだった。混雑しているようで車窓に大勢の乗客が張り付いている。赤く染まった行き先表示には漢字で一文字「天」と書かれているようだ。確認しようと目を凝らすが蜘蛛のように蠢いて判然としない。
降りる者はない。
彼らはじっと母さんを見ている。なぜかみんなニコニコしている。早く乗れよ、とでも言いだけに。待っていたのだから乗るのが当然なのだ、と気押されそうになる。だがこの電車は変だ。この人たちはどこから来たのだろう?
乗らないの?
戸口にいた若い女が剣呑な態度で尋ねてくる。
どこ行きなの?
みんなで一緒に境界を越えるのよ。そんなことも知らないの?
と背を向けた。その頬を涙が伝っているのに気がついて腹の底をえぐられたような恐怖とも悲しみともつかない感情を覚える。
発車します、
と無機質な運転手の声がスピーカーから聞こえて扉が閉まると古びたモーターを響かせて電車は動き出す。行き先でどんな運命が待っているのかわからないのに笑っている乗客を見ていると心底怖い。笑っている場合ではないはずだ。早く降りて、と叫びたくなる。それとも死にたいの? そんなはずはない。いや、だから怖いのだ。笑顔が怖い理由はそれだ。ニコニコしながら死んでいきます、そんなことがありえるの?
さっきの若い女だけが笑っていない。扉のガラス窓越しにじっと母さんを見つめている。成すすべはない。電車はすぐに光の塊となって闇の奥へと滑っていく。遠い国からやってきた人形劇のようにすべてが無言で進展していた。
ノイズが多いね、とVEは言う。こりゃ、手に負えないわ、と。
激しい蠕動運動が収まるとかをるは彼の腕をゆっくりと押し返す。ノイズも必要かも、と呟きながら。
顔だから。顔たちだから。
生き生きと動いていたこの人たちはもういなくなってしまった。不思議な感覚に囚われる。回ってくるニキビ面、次はサングラスの女、そしてえびす顔、また別の禿頭。留まるところを知らない。これは誰なのだろう。
画面に目を近づければ走査線が淡い水色と灰色の間に振動しているだけだ。隙間を見落としているのかもしれない。見ないようにしていると言ってもいい。トラッキングの調整は隠すための作業なのだ。決して表には出ないが常に世界につきまとって離れないノイズがある。潜んでいたものはいつしか勢いを増し立ち上がる。こうしてコウモリの氾濫が始まる。コウモリは現実の裏側に巧妙に忍び込んでいる。そして不意に羽を広げる。映っているものよりも映っていないもののほうが大きいのだ。
箱は軽かった。
配達しようとしたが相手先不明の荷物だった。荷主に連絡しようとして伝票をあらため唖然とした。さつき自身の住所氏名が記されていたのである。店長に相談すると不審そうな顔をされた。
ふざけてんの?
いえ、と答えさつきは荷物を引き取った。もしかするとナオトかもしれないと思ったのである。こんな方法で連絡してくるなんて。
帰宅して開くと空だった。
ただよく確かめると蓋に一枚のチラシが貼りつけてあった。占いの館アリアドネ。場所は秋葉原らしい。
その日の夜、さっそく出かけてみた。
チラシの案内図を見ながら電気街を抜け南に歩くと神田川が流れている。その先はどこか淫靡な雰囲気を宿す歓楽街となっていた。スナック、居酒屋、カラオケなどの看板が並び賑っている。占いの館は花屋のビルの二階だということで探していたがなかなか行き当らない。やっと錆びついたシャッターに「フラワーうらしま」と書かれているのを見つける。コロナの影響もあってつぶれてしまったのかもしれない。
どこにもそれらしき表示はないのだが、薄汚れた鉄の階段を上がるとタロットカードを描いた扉があった。樹脂製のカバーは日に焼けておりブザーのボタンを押してみたが手ごたえはない。どこかで救急車のサイレンが響き夜の街の喧騒を際立たせる。不安を覚えたがしばらくすると内部で物音がして窓の格子で影が動いた。
はい、
と低い声が応答する。記憶を遡ってもそれが知っている人なのか判断はつかない。
さつきです、
と声を発した。緊張しているつもりはなかったがかすれてしまう。扉がほんの少し開いた。蝶番は錆びており動くと大きな音がする。内部は薄暗く机に置かれたスタンドだけが光の輪を広げていた。薄暗い中にぼうっ、と顔が浮かんでいる。黒ずくめの衣装をまとった老人で、水晶球がテーブルに鎮座している。
なんだい、
と尋ねられ返答に詰まった。ナオトではなかったのでがっかりしたのだ。
箱をいただきまして。
我ながらおかしなコメントだと思ったが、老人は扉を開いて招き入れた。棚には針のない時計とか血を流すマリア像など怪しげなオブジェが並んでいた。座るなり、
まずは手を出して、
と掌をテーブルの上に曝すよう求められる。骨ばった細い指先で確かめるように線分をたどり、大きな虫眼鏡を用いて確認する。つぶやきが聞こえるが意味はわからない。次にボールペンでメモ用紙に印をつけている。覗き込んでも文字には見えない。
続いて机の上に箱が置かれる。
猫が入っています。どんな猫が好みですか?
そう問われて面食らった。猫は嫌いじゃないけど好きでもない。どんな、と言われても。少なくとも答え次第で猫の生死が決まる、というのは困る。具体的に言った方がいいのだろうか。アメリカンショートヘア、とか。でもあれは高い猫だ。もっと普通の三毛猫でいい。いや、野良猫でいい。黒は縁起が悪いとか言うけど、黒でも白でも、ブチがあっても太っていても。なんでもいい、というのは無責任か。
オスで、あまり大きくなりすぎていない、性格のおとなしい子がいいです。
占い師がおもむろに箱を開けるとグレーの猫がいた。毛並みがよく柔らかそうだが微動だにしない。眼はしっかりと閉じられている。眠っているのだろうか。無表情のまま差し出されて身を引いた。
死んでいるの?
いや、生きていないし死んでもいない。いわばさなぎの状態です。
さなぎ?
猫にもさなぎがあるのか。恐る恐るのぞき込む。手を触れるのは憚られたが占い師は骨ばった指先で頭を撫でている。
魂を吹き込むのはあなたの役割です。
とんでもない話だ。自分にはそんな魔法使いみたいな能力はない。老人は箱から猫を出してさつきの掌に置こうとする。
あっ、
と慌てて手を引っ込めたので猫はころん、と転がってしまう。瞼がわずかに開いた。次第に恐ろしくなる。見れば見る程、不思議だ。指先が触れると暖かい。だが脚にタグがついているのに気がついた。「対象年齢三歳以上」と書かれている。
もしかするとぬいぐるみなの?
突然、腹の底から笑いが湧いた。同時に怒りも覚えた。とんでもない話だ。人を馬鹿にして、と。顔を上げると老人はじっとさつきを見ている。
アリアドネ、知っていますか。
いいえ。
ギリシア神話に出てくる話です。迷路に閉じ込められている怪物が毎年、生贄を要求していた。勇者が退治に挑みます。その若者に惚れたのがアリアドネ。糸を手渡し、繰り出しながら迷路を進めと教えます。おかけで勇者は怪物に対決を挑み、やっつけた上で糸を手繰りながら迷うこともなく無事に戻ることができた。きっとあなたにも必要なのでしょう、ナビゲーションが。そのためにここに来たはずです。
わかりません。
あなたは自分の居所がわからないらしい。一番、危険な状態です。まずはそこから始めなければならない。猫を抱いてごらんなさい。あなたと同じです。箱の中にいる。さなぎの状態です。出ていく方法がわからない。でも救出を待ってはいけません。自分の力で出口を探すのです。
占い師はそう告げると猫を箱に入れ渡してくれた。
雑踏を歩きながら考える。
あたしは箱の中にいるのだ、と。箱入り娘? などとふざけている場合ではない。箱に入っているのは猫だ。魂を吹き込めだなんて。人を食った話だ。だがそのとき、
ミャオーン!
と声がしてあわや箱を取り落としそうになる。路肩にしゃがんで箱を置くと恐る恐る蓋を開け、中をのぞいてみる。暗がりでつぶらな瞳が光っていた。指先を伸ばすと髭を震わせてまた鳴くのだ。
生きている!
気がつくと目から涙があふれていた。どうして自分が泣いているのかさつきにはわからない。だがこみあげてくるものを抑えることができない。
猫を抱き上げて歩いていると見覚えのある人がいた。
あの人だ。
久しぶり、と照れたような笑いを浮かべている。知らないふりもできない。今さらなぜこんなところに現れたのだろう。まさか待ち伏せしていた? いや、それなら自分ではなくてまさみのところに行くはずだ。
片思いだったのかな。
なんの話ですか?
公園でさ、好き、嫌い、って花びらをむしったじゃないか。最後は好き、好き、好き。どっちにしても好きだって。でも人の心は変る。もう忘れてしまったのかな。
忘れていないと思いますよ、まさみは。
そう答えたが正直に言うとさつきには顔も思い出せない。目つきとか耳の形とか細かい部分は覚えている。だけど全体の印象が薄くなってしまっており、地下鉄の駅ですれ違っても気がつかないだろう。
そんなものだ。
寂しいよね。クレーンゲームでもやるしかない。百円玉でキャラクターグッズを吊り上げる。だめならガチャだ。カプセルトイ、って言うのかな、なにが出て来るのかお楽しみ。偶然に賭けることで少しは癒される。とにかく効率が優先される世の中だからね。生まれ育ちはもちろん、肩書や能力、キャリアとも関係ない偶然はガチャくらいしかないだろう。
あの人は口先をとがらせてそんなふうに挑発するのだ。
嘘つきよ、
とさつきは押し返す。
あなたはいつも自分だけ安全地帯に避難した上で他人の行動に難癖をつける。評論家みたいにね。ずる賢いのよ。自分は損しないように巧妙に立ちまわってお金を貯めて優越感に浸っている。偶然が癒しだなんて大嘘。恥をかくことを一番、恐れているのはあなたでしょう。他人との比較ばかりで冒険心なんてゼロ。だから成果もゼロ。そのことを隠すために生きているのよ。
糾弾にもかかわらずあの人は笑っていた。しかしそれはまた怒りを含んだものであり、
おいおい、言ってくれるね!
と近寄ってくる。ここで怒鳴ったりすれば非難の通りだと自ら認めてしまうことになるとわかるくらいの知性はあるようだ。
ならばこういうことでどう、あそこのゲーセンで一番勝負。
と目の前のゲームセンターを顎でしゃくる。入ってすぐのところにスロットマシンが据えられている。さっそく陣取ってレバーを引くと回転するのはコウモリとオタマジャクシ。ジンジャーマンクッキーと箱の猫。どれも偶然の産物なのか。だけど偶然ではない必然などあり得るのだろうか。いや、むしろすべて神が決定していて必然だという考えも成立しないか。
なんだか不毛な議論だよね。
あの人は目を白黒させながらマシンの窓をのぞいている。そのうちあの人の瞳がくるくると回り出した。見ているうちに酔ってしまいそうでこれはまずい、と感じたさつきは猫をしっかりと抱えたまま走り出す。こういうとき繁華街の雑踏は心地よい。幸い誰も追ってはこないようだ。光と影が交錯する。上下左右、東西南北が自在に入れ替わる。その度に猫が導いてくれた。そのか細い鳴き声がアリアドネの糸なのだろうか。
4羽化
さつき。かをる。まさみ。
それぞれがパズルのピースみたいにぴたりとはまる場所があればいいのに。だけどそんなに世の中は甘くはない。それにあまりぴったりだと窮屈かもしれない。伸びやかに自由がいい、っていつも言っていたのは誰だろう。無責任かもしれないけどアメーバーみたいに蠢いてどんな型にもはまらないのが本物だよ。そう反論したい。
そろそろ父さんの正体もわかってきただろう。スーパーマンじゃないしウルトラマンでもない。不気味だけどフランケンシュタインほどではないし、女たらしだけど光源氏には負ける。子供じみているけどピノッキオにもドラえもんにも似ていない。ドン・キホーテみたいに無鉄砲で鼠小僧治郎吉みたいに人情家だけど信長やシーザーみたいに近臣に裏切られてリア王と同じく悲劇的結末を迎えるかもしれない。
母さんはそんなことを言って部屋を出ていこうとする。あとは好きにしていいからさ、と。母さんの受信機能が弱まったのか、父さんのプロトコルが未対応なのか、あるいは母さんの帯域が狭いのか父さんがデフォルト設定のまま更新されていないからなのか、とにかく不安定な状態が続いている。
母さんが意図的に事実を隠蔽しているという疑惑も生じている。父さんの飛翔を封じようとあの手、この手で策謀をめぐらせている張本人は母さんなのではないか。ありえないとは思うけどそこまで考えさせられるほど謎は深まっていた。母さんが例のお向かいの井上さんの空き家に頻繁に出入りしている姿を目撃したという噂もある。やはりあの家の窓に現れる顏は父さんなのか。それとも別の関係者なのか。いずれにしても胡乱な話だ。
父さん母さんとは一般論なら、夫と妻であり男と女だ。だけどそれだけではない。父さんが赤信号なら母さんは青信号、父さんがディフェンスなら母さんはオフェンスといった役割分担もあったはずだ。料理とワイン、酸味と甘みのように補い合いながら互いを際立たせる組み合わせ、つまり相性も重要で、紫と黄、緑と赤みたいに目がちかちかするような対照だってありなのだ。魚にとっての水、鳥たちの森、そんなふうに包摂して関係を育む場合もある。いずれも大切なのはバランスだ。だけどほどよい調和が崩れた場合になにが起こるのか。
なんだか怖かった。
テレビを点けたとたん、ジャーン、いよいよ真打登場、などと叫んで画面から父さんが飛び出してきそうな気がした。
あり得ないよ。
だけど一度でも許してしまったら取り返しのつかないことになる。これまで丁寧に作業してきたことはすべて水の泡。元に戻すことはできなくなる。嘘が誠に、誠が嘘になり、誰も信用できない。そんな父さんは見たくもないし、会いたくもない。ならばいっそのことこのまま封印しておいたほうがいいのだろうか。謎のままの父さんこそみんなの憧れであり、希望であり、可能性だとしたら現実化しないのが最善ということになる。
父さんは誰なのか。
あたしは知らない。あなたも知らない。
電動バイクで日本一周するのだってさ。テレビの番組でそんなのがあるでしょう、充電させてください、っていろいろな家を訪ねながら旅する、ってわけ。
ふざけんな!
かをるはテレビを持ち上げて床にたたきつけようとしている。
そんなことをする必要はない、悪いのは機械じゃないから、
とさつきが止める。むしろ破壊行為が父さんへの否定を明快にして逆説的にその存在を確定させてしまう可能性すらあるから。
あたしが作る、
と宣言したのはまさみだ。小麦粉に卵をまぜてこねるのだ。ジンジャーマンとしての父さん。いいねえ。不完全でもいい、魂を込めればいずれ動き出す。
だけどそれだけではダメ。伝送して目覚めさせなきゃ、
とさつきが名乗りを上げる。きっと父さんもさなぎなのよ。呼び出されるのを待っている。彼女がメッセンジャーとなり箱をかついでいつでもどこでも伴走する。まさみが説明できないことはさつきが語り続ければいい。
かをるはトラッキングを調整して正しい画像を見せようとする。それが自分の役割だと信じて。こうしてそれぞれが自らを救うのだ。否定を否定して肯定し、動き続けることで命をつないでいく。
ちりりん、
とどこかでベルが鳴る。電話なのか、呼び鈴なのか。クッキングタイマーか、托鉢僧か。はたまた風鈴か、熊除けなのか。そのどれでもないのか。とにかくもう時間はあまりないらしい。
三人が揃うのは夢の中だけなのだ。ようやくそのことがはっきりする。
キッチンからは香ばしい匂いが漂い始めている。
見れば無数のジンジャーマンが走り回っている。父さんはこんなふうにして世界を巡るのね、とまさみは笑う。デジタル化のためか文字が電話線を通過する姿はもはやかをるの瞳にも浮き上がっては見えない。無表情な記号の群れが行き来するばかりで受話器は沈黙している。今度はさつきが母さんの役割を果たす番らしい。箱から出てきた猫に「ハコ」という名前をつけてかかりっきりなのだ。配達される荷物への関心もなくなった。
ある日、配達業務で駆け巡っていると、
ゴール、ゴール、ゴール!
との歓声が聞こえた。サッカーの中継でもやっているのだろうか。
ゴールはどこ?
そもそも通話と追いかけっこすべし、っていう母さんの発想が無茶なのよね。そんなことで父さんが見つかるわけもない。家もなくなってしまいそうなのにさ。どうするのよ。ゴールはちっとも見えない。だから誰が一着なのか順位も決められない。ただひたすら走り続ける羽目になる。
ゴールが見えない、ってことがゴールなのかもね。
かをるの瞳でオタマジャクシとコウモリが交互に登場し、高速で回転している。見えないってことが見える、そういうことかな、と。正にスロットマシンだ。止める気はないらしい。
もういいよ、どこでもいいよ。
どこでもいいか。
軽い話でしょう。軽い話だったってことにしようよ。いいでしょう?
まさみはうなずく。そうなのよ。クッキーだって失敗したらまた作ればいいから。どうせ配達される箱も空っぽだし、とはさつきの言。
一番星、見つけた!
そう叫んでさつきが手を振り回すと、どっち? と他の二人も家を飛び出す。通りの両側を見渡していた三人はあいまいな紫色の影を躍らせながら思い思いに夕焼けの茜色を目指して走って行く。玄関からは、
もしもし、
との第一声が聞こえている。ようやく基準が満たされ通話が再開したらしい。残念ながら耳を傾ける者はいない。お向かいさんの表札が外され、建設業法に基づく「解体工事のお知らせ」と記された標識が掲示されているのにも気がついていない。あんなに騒いでいたのにこの始末。自由になった言葉を解きほぐして大空に羽ばたかせるにはまだほど遠いようだ。いや、よく考えてみたら、もはや飛ばす必要さえないのかもしれない。
ごめんね、父さん。
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