青春プチギャグ小説【君と自販機】

この作品は過去に書き上げた短編小説で、少し頭のネジが外れた若者が主人公です。

飛行機雲が幾多にも交わりを見せるいつもと違った青空。

普段は感じない異常さをどこかに感じる。

青と白の色彩が作り出す鮮やかな青空を阻害するように灰色の直線が飛び交っている。

その変な違和感が、見るものの心を捉えて離さない。

少し恐怖も感じる空模様を無視するかのように親子の燕が飛来しては、同じ場所を飛び回り続けていた。

緑川洋平は『綺麗だけど不気味』と空を眺めてはそう感じていた。

母に頼まれて三ツ矢サイダーを買うために、住まいから一番近くに設置してある自販機へ足を運ぶ最中の出来事だった。

真夏日とあって照りつける陽射しは、容赦なく路面を焦がし、町行く老若男女の上着を剥いでゆく。

行き交う人々も空の美しさと不気味さに心を奪われていた。

顔がひきつっている人も居れば、ただただうっとり、酔いしれて涎を垂らす人も居た。

ようするに意味の分からない空模様だった。

洋平が自販機に辿り着く。

住まいから一番近くにある自販機まで徒歩約100メートルで、ほんの少しだけ距離がある。

ボサボサ頭にホームベースを型どった顔の輪郭と、すっきりした目鼻立ちはどこか不自然で、女とは無縁さを見事に露呈していて痛すぎた。

真っ白な半袖のシャツには一文字だけ、くっきりと浮かんでいて、強烈な印象を周囲に投げ掛けていた。

洋平がマジックインキで書いたものだ。

やや黒ずみ、年期のはいったジーンズの短パンには、尋常ではないアンバランスなどでかいポケットが、お尻の部分の右側に付いていた。無造作にポケットから小銭を取り出す。

自販機に投入し、コーラのボタンを押した。

ガチャッと音が鳴ると同時に目の前の家の玄関が開いた。

洋平は一瞬、時間が止まったかのような感覚に陥った。

整った目をパチリパチリとさせながら、玄関脇に立つひとりの女をじっと眺めた。

突然、吹き出して大笑いをする女。

立花ゆかりは洋平のシャツを指差してこう言った。

『あなた、恥ずかしくないの?』

洋平は意味が分からず、コーラを握りしめてその場に突っ立っていた。

ゆかりは反芻するかのように、同じ言葉を繰り返し言ってのけた。

『あなたさぁ、恥ずかしくないの?』

そう言い放った直後、ゆかりはシャツに書かれた文字を改めて指差して、丁寧にゆっくりゆっくりと言葉を発した。

『どんな意味があるか知らないけどさぁ、凄いね。しかもマジックインキで書くなんて』

洋平は言い返した。

『君の話し方。う~ん、なんて言えばいいかな。主観過ぎ。しかも変』

ゆかりは我を忘れて自暴自棄になった。

『ちょっと何よ、あなたは!初対面で失礼ね』

『今の言葉、そっくり君に返すよ』

そう言ってはみせたものの洋平は、とても心優しい青年で、もう28歳とは思えない童顔で、顔の作りとは連想させない感受性と教養を兼ね備えていた。

さすがに父を大学教授、母を福祉介護士として持つだけのことはあった。
洋平は買ったばかりのコーラを、ゆかりに差し出してさらりと一言、口を開いた。

『君の言動はともかく、俺は反省。ごめんなさい。で、よかったら飲みかけだけど、コーラを飲むかい?』

無意識にコーラを受け取った手の感触は、とてもきめ細かで柔らかく、

大胆で矛盾な発言とは裏腹に、洋平の母性本能をくすぐった。

『ありがとう。私はサイダーのが良かったけど、飲みかけに弱いから。まぁ、許してあげるわ。

でもさぁ、なんで[女]なの?しかもマジックインキ』

洋平はふと母にサイダーを買ってきてほしいと頼まれていたことを思い出したが、

即座に答えを返すと同時にまた忘れてしまった。

相変わらず空模様は、美しくも不気味さを漂わせ、ふたりの馬鹿げたやり取りを眺めていた。

『聞いてくれたのはきみが初めてだよ。とても嬉しいかな。

ありがとう、やがて分かるさ』

『やがてってさぁ、どういうこと?』

『それより今日を皮切りに友達付き合いをお願いしたい』

ゆかりは首を掲げて思った。

こいつ、馬鹿だと思っていたけど、頭はかなり鋭くて賢いかもしれないわ。

油断ならない奴・・・。

『考えておく』

『考えるくらいなら即行動だよ。成功の秘訣』

それからふたりは変に意気投合した。

自販機の横にしゃがみこんで、ひたすら話しを続けた。

そして数時間が経過した。

今ではすっかりと母に頼まれて、サイダーを買いに来たことなど忘れていたのだった。
ふたりは互いの名前を呼び捨てにするまでに発展していた。

『洋平、あのさぁ、今日の空って変じゃない』

『うん。飛行機雲にしてはおかしいわ。まるで洋平の頭のよう・・・。飛行機が通過しただけじゃあのようにはならないわよね』

『どうしたのかなぁ?今日の空。まぁ、人間基準ですべてを判断してはならないってことさ。

ゆかり、自然は計り知れないもの。人智や叡智では結論どころか、物事の点と線を結ぶ過程でさえも論外さ。

そんなことより、コーラ、まだ飲むかい?』

ゆかりは心の中で呟いた。

こいつ、賢いのか馬鹿なのか、分からないわ。

ただ、こいつには不思議な力が宿っていることだけは確かなようね。

はぁ、私はコーラより、サイダーが好きって言っているのに・・・。

ゆかりは立ちあがり、自販機を見つめた。

洋平もまた立ちあがり、自販機を見つめた。

やがてふたりは互いを見つめた。

『私、洋平よりひとつ歳上だけどさぁ、あなたが歳上っぽいね。

洋平って馬鹿だけど賢い』

にっこりと微笑んでみせた洋平は、ゆかりのプルンプルンとした頬を数回、撫でてみせた。

『何よ、あなた・・・きしょい。やめて。警察を呼ぶわよ。訴訟を起こすわよ』

『そう、自棄になるなよ。ありがとう。で、[女]の意味は分かったかい?』

『あなたが言ったように、これから分かってくると思う』

洋平は心の中で呟いた。

なんで、急にあなたに変わったんだよ。

微笑ましいふたりを自販機がそっと眺めていた。

もちろん、いつもと様子の違った空も、そっと見つめていた。

今のゆかりには数時間前に玄関を開けて、洋平を嘲笑っていた自分自身はもういない。

今の洋平もまたゆかりの話し口調を、ありのままに受け入れていた。
空のコーラのペットボトル。

洋平が自販機脇に設置してあるゴミ箱に捨てた。

捨てる間際、ペットボトルの飲み口にキスをした。

『間接キッス』

ゆかりは無邪気な洋平を見て笑った。

当初の笑いとは対照的に、彼を心から尊敬する微笑であった。

『次だけどさぁ、きちんとした形で会いたい』

そう言ったゆかりに、洋平は連絡先を書いた紙を手渡した。

『もう、帰るよ』

洋平はすぐに帰る気満々だったからか、携帯電話を持参せずに自販機まで足を運んでいた。

『そこにメールを送ってよ。次はきちんとした形で俺も会いたい』

陽が沈み始め、赤褐色の夕焼けが姿を現し、見事な美しさを見せつける。

増長させるように美しくも不気味な空が後押ししていた。

不思議な雲の群れと空模様。

ゆかりを背に足早に家路へと向かう洋平は、シャツに書いた【女】の文字を自信ありげに見つめてみた。

すべての成り行きと光景を、空と自販機はじっとずっと黙って見ていた。

幼子を抱く母親のように、優しく強く見つめていた。

洋平は結局、母に頼まれて自販機に来たことや、三ツ矢サイダーを買うことさえも忘れていた。

洋平の家では、我が子の帰りを待ちきれずにいた母親が、お茶をすすりながら、『サイダーはいったいどうなったのよ』と叫びながら、半狂乱の状況に身を投じていた。


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