デレラの読書録:成田龍一『大正デモクラシー』(シリーズ日本近現代史第四巻)
大正デモクラシーとは何だったのか。
大正という時代は、意識転換の時代だった。
明治の維新から時が経ち、維新からの世代交代が起きた。
また日清日露戦争(または戦争の報道)により国民の意識が醸成された。
あるいは、階級意識が醸成された時代でもある。
平塚らいてうの女性論、騒擾を起こす雑業者集団、雇い主集団の旦那衆、主婦、小林多喜二などのプロレタリア、藩閥政府に対抗して政党政治を目指す政党の登場。
自己を集団の一部であると意識する、しかもその集団は、維新後に生まれた集団である。
そういう集団意識は、確かにこれまでの既得権益集団を崩す「デモクラシー」を体現していた。
しかし、集団意識は、必ず「メンバーシップ」が問題となる。
集団の内か外か、敵が味方か。
それは、アジアの近隣諸国に対する日本の宗主国的な振る舞い、植民地主義的な振る舞いに表れている。
つまり大正デモクラシーとは、帝国主義的なものであった。
ここにデモクラシーの難しさがある。
たしかに、大正デモクラシーには、既得権益(特に、維新を推進した藩閥政治)に対する抵抗があった。
一方で、当然ながらその抵抗は「自分たち」のためのものである。
自分たちのためのもの、つまり民族自決主義的なメンタリティー。
民族自決主義は、自民族の経済的発展のためならば、他の民族への侵略を容認する可能性がある。
また、既得権益への抵抗が過激化すればテロリズムにすら発展する。踏み外してはいけない線がある、ということ。
これは非常に厄介な問題である。
では、デモクラシーが帝国主義的になるなら、デモクラシーを捨てればよいのか。
そう単純な話ではない。
ようは、お花畑的に、みんな仲良くすることは難しいのだ。
「みんな」とは、どこからどこまでのひとを言うのか、という定義の問題が出てくる。
大衆は、デモクラシーは必ずその問題の渦中にしか存在しえない。
自分だけは別の視点に立てる、というようなものではない。
そういう難しさを、大正デモクラシーから感じた。
おわり
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