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エッセイ:2022年の振り返りと2023年の目標

こんにちはデレラです。

2022年、もう終わりますね。

フォロワーの皆さま、いつも読んでくださる皆さま、本年は大変お世話になりました。

良い年をお過ごしください。

あるいは、新年にこの記事を読んでくださっているあなた、あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしく。


さて、この記事では2022年の振り返りと2023年の目標について書いてみようと思います。

まずは、2022年の振り返りからはじめましょう。

今年は前半は結構記事を書いていたのですが、後半からは失速しました。

なんだか書けなくなったのです。

そこでわたしは新しく「デレラの読書録」を始めました。

わたしは月に4、5冊は本を読みます。

なんだか文章を書けなくなってしまったのですが、読んだ本についての簡単な記録を書くことならば出来るだろうと、リハビリを兼ねて始めました。

来年もこれは続けたいなあ。

さて、2022年の定量的な記録はnoteの機能でまとめられています、以下のとおりです。

62本も書いたんだなあ。

それに、スキも一万回いただきまして。

記事を書くことにおいて、皆さまからいただけるリアクションが何よりのモチベーションです、いつもありがとうございます。

また、よく読まれた記事についてもまとめられています。

なるほど、今年は藤本タツキさんの漫画についての感想文を多く読んでいただけたようです。

さすが藤本さん、注目の作家です。

マンガ『ルックバック』の表紙絵とストーリーについて考えた感想文です。

『ルックバック』の表紙には、机に向かって絵を描く人の後ろ姿が描かれています。

この後ろ姿は誰なのか、という問いを立て、ストーリーに紐づけて解釈しました。

そこには三つの人格が関係している、というのがわたしの読みです。

「エッセイ:自己について」は、わたしの関心ある哲学的な問いについて、哲学の専門用語は使わずに、生活感覚的というか、身の回りにある言葉を使って書いたエッセイです。

自己とは何のか。

それは、ひとつのまとまりでありながら、かつ同時に、バラバラに分解されているものかもしれない、ということを考えました。

わたしは、哲学的な問いを生活的な言葉で噛み砕いて考えるのが好きなのです。


さて、来年の目標です。

2023年は、哲学において議論されている経験論について掘り下げて考えてみたいです。

経験論、つまり、わたしたち人間の知というものは経験によって蓄積される、という考え方です。

生活感覚的には、経験論は、とても分かりやすいと思います。

というのも、とても矮小化して言えば、経験論とは、わたしたちはいろんなことを経験していくことで、何かを知ることができる、という理論だからです。

一言で言い換えてしまえば、「学習する」ということ。

もっと柔らかく言い換えれば「やってみないと分からない」というやつですね。

一方で、実は経験できない知識というものも存在します。

たとえば「正三角形」というものは、理論上成立しますが、現実には存在しません。

ようは、正しく長さが同じ線が三つ、を書くことは現実的に超難しいのです。

あるいは「点」というものも存在しません。

点は広がりを持ちませんが、現実に点を書くと、すっごく小さい範囲ですが面積を持ってしまいます。

ようは、点は書いた瞬間に広がりを持ってしまうということ。

ここまでは、数学っぽい話ですが、もっと別のことも言えます。

たとえば「愛」って経験できますか?

たとえば「死」って経験できますか?

たとえば「正義」って経験できますか?

これらに共通していることは「抽象的である」ということです。

現実に存在しない事柄であるということ。

観念であるということ。

でもわたしたちは、これらの観念を、観念としては知っているでしょう。(正確な普遍的な定義は難しいけれど、なんとなくこういうものだ、ということを知っているでしょう。)

現実に存在しないということは、経験できないということです。

経験できないのに知っている。

これはどういうことなんだろう。

この経験論の限界について、過去の哲学者はどのようなことを考えたのか。

それを一年かけて勉強してみようと思います。

さて、では何故わたしは経験論を学ぼうと考えたのか。

それはわたしの兼ねてからのテーマである「感想文を書くこと」と「接続すること」に関わっています。

ようは、作品を見たり聴いたりしたときに感想を感じるとはどういうことなのか、ということ。

作品を経験したときに何が起きているのか。

作品とわたしが接続されたときに何が起きているのか。

感想と接続は、経験と関係している。

わたしにはそういう問題意識があります。

だから経験論(あるいは、その限界性)について学びたいのです。

しかし、わたしは専門家ではないですから、学者的な結論には到達しないでしょう。

研究的なオリジナリティも、文献的な正しさも得られないでしょう。

それでも、わたしは、わたしのできる範囲で、論理的に考えてみたい。

また、わたしは研究者ではないので、あくまでわたしの言葉で、生活感覚のある言葉で考えて書いてみたい。

専門用語ではなく、生活の言葉で。

つまり、これは趣味なのです。

途中経過的に記事を書くか、来年末に一本記事を書くか、あるいは、そもそも何も書けずに頓挫してしまうか。

もしよければ、来年一年間もお付き合いください。

以上がわたしの目標です。


さて、最後になりますが、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。

楽しい思いをしていたり、嫌な思いをしていたり(わたしは年末年始にいちいち親戚に会うのが嫌でした笑)、暇だったり、仕事で忙しかったり、部活で忙しかったり、買い物に出かけたり、ご飯つくったり、お笑い番組みて爆笑したり、映画見て泣いたり、様々な生活があることと思います。

いろんな年末を過ごす方、いろんな新年を迎えている方がいらっしゃるでしょう。

2023年も健やかな生活が続きますように。


おわり

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