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デレラの読書録:加藤文元『物語 数学の歴史』


『物語 数学の歴史』
加藤文元,2009年,中公新書

数学の歴史を、あえて弁証法的な物語として描く本書。

ひとつひとつの理論を理解出来なくても、その理論が必要とされた時代的な背景を知ることで読み進められる。

数学の歴史で起きたパラダイムシフト、既存の理論を疑い、乗り越えるスリリングな展開。

数学とは不思議なものである。

数学的な「正しさ」を、わたしたちはどのように感じるのか。

本書は、「正しさの感性」についても言及している。

どのように正しさを感じるのか。

一つは、論証であり、言葉の技(三段論法や背理法など)である。

もう一つは、図形であり、直観的なものである。

この論証(言葉)と図形(直観)は、西洋数学の歴史では、衝突してきたらしい。

本書は、この二項対立の弁証法を、人間の普遍数学の道として描いてもいる。

論証が図形に落とし込めない、あるいは図形を言葉で表現できない。

そういう対立があるのだと、なんとなくわたしは理解した。

論証と図形の結実として古代ギリシャのユークリッド『原論』がある。

『原論』は現代に至るまでずっと影響を与えていた。

当時の幾何学と算術の一切を集めた集大成である。

しかしながら本書の最後には、この『原論』の定義1「点とは部分に分割できないものである.」が疑われる。

スリリングな展開だ。

さて、数学門外漢のわたしは、非ユークリッド幾何学に興味をもった。

非ユークリッド幾何学は、ユークリッド幾何学を相対化するものだ。

つまり、非ユークリッド幾何学を理解するには、常識そのものを疑う必要がある。

端的に言えば、わたしたちは「平行する2直線は交わらない」を疑う必要があるのだ!

非ユークリッド幾何学は、ようはユークリッド『原論』の第5公準「二つの直線と、それらに交わる一つの直線が同じ側に作る内角の和が2直角より小さいならば、2直線はそちらの側の一点で交わる。」を疑う。

つまり、交わらないはずの平行線が交わると言っている。

これはスリリングだ。

確かに平行線は交わらないとされているが、実際にそれを観察することができない。

宇宙の端まで延び続ける直線など、観察しようがないのだから!! 

したがって「平行線は交わらない」ということの正しさは、言葉の技の力によってわたしたちがそう感じているに過ぎないのだ。

あるいは、微分というのがそういう概念であるように思う。

つまり、微分は、放物線(曲線)である二次関数の軌跡を、じーっと見つめてクローズアップしていくと、実は一次関数の直線になっているということを示しているのだ。

これを反転すると、直線は曲がっているかもしれない、という直観に行き着く。

わたしたちの観測可能な範囲では成り立つ「直線は真っ直ぐである」ということが、別の視点(俯瞰的な視点?)によって相対化される。

いわば、直線は、もっと極大な視点から見れば曲がっているかもしれない!!

それが理論化されたのが非ユークリッド幾何学なのである。

興奮せざるを得ない。

数学について、全くの門外漢であるわたしでも楽しめる本書。

こういう視点で書かれた理系の歴史の本をもっと読みたいと思った。

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