見出し画像

競走か共創か。

団体を始めてみて「創る」という言葉は変換で出てくるようになったけれど、「共創」という言葉は打っても打っても出てこない。それくらいまだこの言葉が浸透していないんだろうな。
代わりに出てくるのは「競争」。変換の一番前に毎回出てくる、嫌いになりそうな言葉。こっちの方が多く使われるんだろうな。まだ世界の住民になって20年しか経ってないけれど、世界は、少なくとも日本には、競争という概念は根強く存在すると感じる。

元々争うことが大嫌いだった自分は、競うよりもアイデアで勝負して、誰も思いつかないことをしようと志した。

でもそんなこと言ったって。
やっぱりどんなことを考えても世界人口80億近く、祖先も含め考えたら膨大な量な数の人がいる。
としたら莫大な数のアイデアがあるわけで。
自分のアイデアで「これだ!」と考えても、ネットやSNSには同じようなことをしている人が何人もいるわけで。

「自分のオリジナリティってどこにあるんだろう」

抑うつ状態の時の脳内会議にあらわれる議題は毎回同じだった。すごい人と話しても、「すっげぇー、俺にはできないかも」と自分と比べて自分を責め、自己肯定感は下がるばかりだった。

でももう、ある意味で諦めた。

何かをやるとなったら、競争、競合は避けられない。そしてそこで戦っていけるように、違いを考えるのが大事。そしてそれがどんなに細かくても、違いは違いなんだと。

そんな中旅をしたり、いろいろな人と関わったり、いろいろなイベントに参加したり…
「今までやったことないこと」を追求する中で、自分自身ゆるぎなく「これがやりたい」とやりたいことが決まり、「カンボジアに住む」「団体で活動する」と具体的にとるアクションがだんだんと明確になっていって、未来に希望を持てるようになった。

自分に正直になって、やりたい時をやってる時の自分が1番輝いてることも身に沁みて分かった。

これからもずっと、自己肯定感爆発な自分でいるつもり。誰になんと言われようが、自分を愛せなきゃ誰も愛せないから。

「競争」と「共創」、するのはどっち?と聞かれた時、
なんて答えるだろう。

競争相手だろうがなんだろうが、人は

同じように世界を良くしようとする構成員たちに過ぎない。

たまに陥れようとする人もいるけど、まあそれは論外として、ね。
だから敵とか味方とか関係ない。みんな仲間だし人間だから。時には争うこともあるかもしれないけれど、それも含めて「世界を一緒に創ってる」ことに変わりはないのだから。

どっちも。

僕はそう答えるだろう。「競争」も「共創」のうちだから。

だから、僕は一生かけて
より良い世界を「共創」する仲間であり続けたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?