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発達障害と診断されて丸8年。私は元気に生きています。

私は8年前の今日(2014年5月23日)、発達障害と診断されました。

今回はせっかくなので、当時と思い出話と近況報告を……もしよかったらお付き合いください。

2014年


2014年の当時はコールセンターに勤めていたものの、電話応対が大の苦手。あまりにも追いつめられた私は、発達障害専門の診療所に駆け込みます。

診療所に通院している最中に、何と祖母が亡くなったのですが、当時の私はとにかく切羽詰まっていました。

「早く仕事を辞めなかったら、私も死んじゃう!」

大げさではなく、本気でそう思っていました。祖母の告別式の翌日に、赤く泣き腫らした目をしながら、診断のための知能検査(WAIS-III)へ直行。知能検査をキャンセルしたら、数か月先まで再予約ができなかったんです。数か月間すら待てなかったことが、当時の私の心境を強く物語っています。

2014年5月23日、今にも雨が降り出しそうな日でした。

「あなたの発達障害は、一生治りません」

そう医師から告げられた言葉が、いつまでも脳裏をめぐって離れません。あれだけ診断結果を出すのを急いだはずなのに、いざ直面してしまうと、あまりの重さに身がずっしりと沈みそう。帰りは診療所から最寄り駅へ直行する気になれず、3駅分(約2㎞)をずっと歩きました。大通りですれ違う自動車も人々も、何だか異世界の存在のように感じられました。

「私はどこに向かって、歩いていけばいいんだろう…」

頬をかする雨。虚ろな曇天を仰いだら、空の見通しのなさに眩暈がしそうでした。

2022年


ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます。2014年は真っ暗闇にいた私も、2022年の今は何とか日の目を見ています。

当時の混乱した私に出会うことができたら、

「よくがんばってきたねー!今は昔よりも楽になっているよ」

と言って、抱きしめてあげたいです。何の憂えもなくなったかと言えば嘘になります。それでも自分の弱さを受け入れられるようになって、緊張しすぎて壊れそうだった心身が、少しずつ和らいでいきました。

現在は、一般の会社に障害者雇用されて、事務をしています。フルタイムで働き、たまに夜遅くまで残業して、電車の騒音にもめげずに通勤している真っ最中。自分で自分を食べさせています。(たまに、卵をうっかり30分も茹でてしまったり、生肉や野菜を冷蔵庫に入れないままキッチンに放置するなど、笑っちゃいそうなミスも連発していますが……)

この5月にnoteへ投稿をはじめるようになってからは、思いがけず多くの方に見ていただき、毎日のように嬉しい悲鳴を上げています。自分の文章を読んでもらえるのはもちろん、みなさんの文章に触れられるのが本当に楽しみです。時間の使い方が上手でなく、物事の処理速度も遅いため、たくさんの投稿にゆっくりお付き合いできないのが悩みですが、とりあえずマイペースでがんばっていきますね。

いつも応援してくださっているみなさん、心からありがとうございます。

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