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私と岡村さんはひとつのスペクトラム上でつながっている ―皆が皆、人を人とも思わぬ世の中で

ナインティナインの岡村さんが問題発言で炎上した。ネットで「NHKの他番組を降板させるべき」との署名が起きたり、彼が謝罪したり相方の矢部さんから詰められたり、それぞれのエピソードについてTwitterでカンカンガクガクの議論が起こったりしている。

自らが性依存症で、性依存症啓発マンガを描いている津島隆太さんが今日このようにツイートしていて、なるほど! と腑に落ちた。

私自身、過去に精神科医から性依存の傾向を指摘されたことがある。自分の中に「性的逸脱傾向(性的なことに日常を振り回される)」「うつ傾向(性的に満たされなければ死んでしまうという感覚)」「認知の歪み(性とはこういうものであるとか、自分は変態だとか、性格が異常なのだから仕方ないとか)」があったことを指摘され、それはみな性依存症の症状なのだと言われたときには愕然とした。私は、自分が異常者なんだとばかり思っていたのだ。

自分が性依存傾向を指摘されたときの感覚に照らし合わせるに、「岡村さんは性依存症なのでは」という津島さんの指摘は、私にはとても納得のできるものだった。

※これは決して、「彼は病気によってあの発言をしたから仕方ない、彼は無罪放免されるべき」という意味ではありません。「もし彼が病気なら、病気についての正しい知識に基づき、回復のための最もよい筋道を用意するのが、結果的にすべての人の尊厳を守るための近道となる」という意味です。

ほかの有名人による、ほかの依存症を原因とした問題行動についても同じことが言えます。薬物で逮捕された清原和博さんや田代まさしさんについては、依存症治療がご専門の松本俊彦先生らによる懸命な活動によって、「彼らを孤立させず、懲罰的に接しないことが結果的に再販防止につながる」との意識が少しずつ社会に広がってきましたが、性依存症でもこれは同じだと感じます。

なにしろ私は、自分が性依存傾向を指摘されてからというもの、世の中の「性的にけしからん」「ゲスな」言動に出る人たちが、みな「無自覚の性依存症」に見えるようになってきたのだ。

不倫や浮気をする人。
ポルノを見すぎたり、マスターベーションをしすぎたりする人。
いわゆる「変わったプレイ」にいそしむ人。
セクハラをする人、性犯罪を起こす人。
性風俗店に通うことがやめられない人。
誰かやその身体について、性的商品かのように扱う発言をする人。

みんなみんな、単に多かれ少なかれ性依存症なのではないか。
「もとから罪深い、存在自体を罰されるべき、ゲスな、異常な性格の人間」なんて実はいないのではないか。

私もみんなも、ときに人を傷つけ、ときに自分を恥じながら、同じ一個のスペクトラムの中でつながっているのではないか。

私は、世の中がこんなふうに見えるようになった自分のことを少し大げさなのではないかと疑っていた。しかしこの記事を見て、私がこう感じたとしても無理はないなと納得してしまった。

2018年の英語記事だが、2000人レベルの数のアメリカ人男性を対象とした調査で10%の男性に性依存症の可能性があるとわかった、というものだ。私はこの調査にどの程度の信憑性があるのかを判断するほどの知識がないが、「まあ、そうだよね」と思った。

むしろなんだろう、社会全体が性依存的というのだろうか。セクハラなんかについては日本よりもずっと進んだ考え方に至っているアメリカでさえ、ここ数年でやっとme too運動が起きたぐらいだし、映画では不倫や浮気のエピソードが山ほど描かれる。消費文化の根っこに、「人を性的商品として扱う」「性的逸脱についてのストーリーをごく普通に消費する」ことが巣食っているように思えてしまう。

このグローバル資本主義経済を引っ張るアメリカでのデータがこうなら、日本でだってそう変わらない…… あるいは、もっとずっとひどいのではないか。世界に恥じる「痴漢大国」で、男女平等指数が世界で121位の日本なら。

「ゲス不倫」という言葉もあった。彼らは周囲からゲス人間と罵倒され、激しい社会的懲罰を受ける。彼らはおそらく自分でも自分自身のことをゲスだとか、存在自体が罪だとか思っていることだろう。表面的には平気そうに、あるいはヘラヘラと挑発的に振る舞っていたとしても、彼らの心の中には、深い深い自己否定の闇がぽっかりと穴をあけているはずだ。この闇に絡めとられて死にそうになっていた時期の私には想像できる。

けれど、彼らが皆もし、性依存症という病気を患っているのだとしたらどうだろう。消費文化の中で人々の心に穴をあけて依存症傾向を生み出し、生身の人も含めた性的商品を山ほど与えてスポイルし、かつ、依存症や人間の尊厳についての適切な教育を与えない、そんな社会の病を背負っているのだとしたら。岡村さんと私が同じ病者としてつながっているのだとしたら。

私たちが歩いてきたのは地獄の道で、振り返れば自分が死体を踏んで歩いてきたことにショックを受けるかもしれない。目の前にあるのは絶望かもしれない。でも、だからこそ、ここから皆で回復への道をたどろう、依存傾向の根っこを見つめ、寂しさや虚しさを分かちあい、過不足なく楽しみ、自分と他者の傷や尊厳について学ぼう…… そんなふうに思えるのではないか。

さて、前置きが長くなった。

こんなことを考えていた最近、私はまったく別のきっかけで、「自分の中には明確に、『特定の属性を持つ人を好きなようにいたぶりたい』という加害欲求がある」と気づいて愕然としたのだ。

私自身、男性たちが女性を、自分たちが楽しむための商品と考えているかのような発言をしたり、母親が自分を投げうって子どもに尽くすことを単純な美談にしたりする様子を見ては強い嫌悪感を感じてきた。特に嫌悪感を喚起されたのは、彼らが自分の加害性や認知の歪みにまったくの無自覚だったことだ。なのにそんな私が、いままで自分が無自覚に「特定の属性を持つ人を好きなようにいたぶりたい」という強い欲求を抱えていたことを自覚してしまった。

以下にこの罪の詳細を告白するが、あえて有料にする。有料にするのはゾーニングのためだ。私が誰かへの加害欲求についての話を公開で書き、たまたまそういったものを読みたくない人がこの話を読んでしまうことになったら、私の行為は読む人への加害となりうるからだ。

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