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誰も知らない漫画の素晴らしさが分かることと誰もが知ってる漫画の素晴らしさが分からないこと

スパイファミリーという漫画を読み始めた。どうやらジャンプで連載されていてアニメ化もされて大人気らしい。これまで装丁や街中で展開されるタイアップ商品やコスプレなど作品から切り離されたイラストやキャラ単体で目に触れる機会はあったけど内容については一切知らない。
この超有名コンテンツを知らないということは一つの価値だと思う。かまいたちの漫才でもそんなネタがあったけど、決して流行に乗り遅れた人の負け惜しみではない。誰もが容易く情報にアクセスできる便利な世の中において、知らないままでいること自体が価値になり得るのだ。
と言っても間接的にキャラは知ってるし、ストーリーは知らないがタイトルは知ってたから残念ながらそこまでの価値はないだろう。タイトルも知らないしイラストさえも見たことがない、そういう人がいたらかなり希少だ。SNSとかテレビも見ない、つまり電気も通らないような山奥で仙人みたいな暮らしをしてないとそこまで情報をシャットアウトすることは難しいだろう。
そんな人がスパイファミリーを初めて読んだら感動するだろうか。いや、これまで何の娯楽にも触れてこなかった人間だ。日本語は理解できたとして漫画の読み方、リテラシーがなければおもしろさ自体に気付かない可能性もある。だからスパイファミリーのおもしろさを享受するためにはその前提として漫画の文法を会得する必要がある。
論点から大幅に脱線してしまった。私が主張したいのは誰もが知っていて当たり前の情報を知らないということの優位性についてだ。釈迦も言うように人は自分が知った知識をどうしても人にひけらかしたくなる。その分煩悩が増える。娯楽は程々にということだ。

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