肉汁公の優雅な偽装生活

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 それがし、肉汁公と申します。ふひ。おっといけませんな、それがし、ふひ、などと実に肉汁的な笑い方をしてしまいました。拙者、気を付けていないとついつい笑みが零れて垂れてきてしまうのです。ええ、それはもう、完璧な肉汁のように。「完璧な肉汁などといったものは存在しない。完璧なラーメンが存在しないようにね」とそれがしの尊敬する肉汁作家は仰っていましたが、少し疑ってしまいます。なぜなら、今それがしは、このように完璧なる肉汁的微笑を湛えているのですから。
 パーフェクトにして100%ファットな拙者は、貴重な肉汁的気分が零れ落ちないように、寝返りを打ちます。そこは私のベッドです。今朝、母がベッドメイキングをしてくれました。んー、実に美味ですな。誰かの労働と行為に胡坐をかいて何もしないというのは。ふひひ。おっと、いけませんな。しかも、昼食付きです。ええ、これも母が朝忙しい間を縫ってこさえてくれた、ええ、そう、おにぎりです。いかんせん物足りない気もしますが、まぁよしとしましょう。それがしは、寛容にして寛大なのです。そうでなければ肉汁公などと名乗れませぬ。
「肉汁公ってなあに?」
 という肉汁性を欠いた質問にはこう答えましょう。
「肉汁を零すとき、あなたもまた、肉汁に零されているのだ」と。
 えっ、意味が分からない? それはいけませんな。実に脂が足りていません。さぞかし不健康な生活を送られているのでありましょう。同情の極みでございます。
 それがしは、閉まっていたカーテンを開け、朝の光を取り込みます。実に気持ち良いですな。まるで、天日干しされたジャーキーの気分です。
 ん? なぜ会社に行っていないのかって?
 実は、それがし、残念なことに体調を崩しているのであります。
 今月の初め、一週間くらい前ですが、ぎっくり腰をやらかしまして、動けないのであります。仕事(実に不健康で冷えた脂のように不快な行動、習わし)に行こうと思って、荷物を持ち上げた際、ぎくっといきました。それがし、叫び声をあげて助けを求めましてな。同じく出社前の母に介助を申し付けたのであります。それ以来、寝たきりであります。まるで、こだわり抜かれたチャーシューのようではありませんか。ふひ。
 まぁ、嘘なのですが。
 それがし、仕事(実に不健康で冷えた脂のように不快な行動、習わし)が嫌で嫌でたまりません故、これはもうこんなことにはかかずらっておられん、と思案した結果、「じゃあ休めばいいじゃん」と明快な肉汁的帰結に達したのであります。幸い、それがしは大変ふくよかで愛らしい見た目をしておるので、ぎっくり腰になっても誰も疑いを持ちませんでした。会社の上司も、母も、私の演技にそれはもう見事に引っかかりまして、心配してくれるのであります。ふひひ。
「伊藤君無理しなくていいからね」
「はい、お気遣い頂きありがとうございます。仕事(実に不健康で冷えた脂のように不快な行動、習わし)に穴を空けてしまい申し訳ございません」
 伊藤というのは私の本名ですな。ハムっぽくてよいでしょう?
「裕也、あんたは休んで、あとは全部母さんに任せておきなさい」
「うん、ありがとう。ごめんね……」
 裕也というのも私の本名ですな。実に裕という実に肉汁的美意識に満ち満ちた名前でありましょう?
 両者ともすっかり私のことを心配しておりまして、実に愉快なのであります。くぅ、痛快肉塊! 上司は私のキャリアプランなど無視したアサインを強いてきましたし、母はおよそ過保護すぎて、アルミホイルに包まれたローストビーフのような心地でした。
 そういうわけで、それがしは現在、優雅な偽装生活を送っているのであります。
 朝、母の出勤を痛み耐えているけど希望は捨てていない感じの表情で見送った後、私はベッドに体を投げ出し、スマホをぽちぽちやりながらまどろみます。そうして昼まで寝ます。まさに優雅、快適、肉汁的な生活であります。
 ただ、ここ最近母が私の様子を怪しみ始めましてな。もう、健康そうだから会社に行けと急かすのであります。
 拙者、せっかく苦労して手に入れた優雅な肉汁生活を手放したくはないので、さらなる偽装をすることにいたしました。ええ、会社に行っているフリです。
ある日母に、「腰はつらいけど頑張って会社に行くよ。」と笑顔(痛み耐えているけど希望は捨てていない感じ)で報告しました。母は、昔の人なので、そういった根性論は大好きです。隙あらば根性自慢と不幸自慢を織り交ぜた昔話をしてきます。
 そういうことで、早速次の日から偽装出社を始めました。母を見送り、日中はだらだらグレービーに過ごします。そして、母が戻ってくる少し前にスーツを来て偽装出社し、やや時間を空けてそれがしは帰宅するのです。その間は最寄り駅の本屋やカフェなどで時を過ごすのであります。拙者、向上心と肉汁の塊故、日々勉強は欠かしませぬ。ええ。そこでそれがしは運命的な出会いを果たすことになるのです。
『世界の肉汁』
 これだ、とそれがしは思いました。それがしは震える手でそれを手に取り、中を確認します。ドヒューン。おっと失敬失敬。つい口癖が。とにかく、中身に書いていることは拙者の肉汁的欲求をすべて叶えることだったのであります。南国の肉汁、ツンドラの肉汁、山の肉汁、海の肉汁、砂漠の肉汁。古今東西全ての肉汁について書かれていました。拙者はひどく感動してしまい、しばらくそこに立ちすくんでいたのであります。ややあって、余韻が拙者の体に感動的脂がなじんだ頃、拙者はすべてを悟るのであります。今までの偽装はすべてこのためにあったのだと。この本に出会い、あらゆる肉汁を網羅せよ、と世界に通達を受けたのです。肉汁的神託でありました。そして拙者は母に手紙を書き、肉汁的速やかに消えるのでありました。失敬失敬。

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