生きているだけ。だけど、生きている。4



あらすじ。
僕は日本語教師を挫折し、警備のアルバイトで日々を食いつないでいた。居心地はよかったが、将来性という意味では不安が残る毎日を過ごしていた。

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僕は日本語教師を挫折した年の冬、リラクゼーションセラピストを始めた。

僕は昔から母親の肩を揉んでいて、「マッサージ師になったら?」という言葉を真に受けたのがきっかけだ。

この言葉に僕はアイデンティティーを見出だした。
当時の僕は「承認欲求」に餓えて、「劣等感」を抱いていたからだ。自分のことを社会のレールからはみ出した半端者だと認識していた。

だからこそ、自分にもっと自信を持ちたかった。人に誉められてら認められるようになりたかった。

まあそれは今でも変わらないのだが。  


ちなみに。

リラクゼーションセラピストというのは、簡単に言えばマッサージだがちょっと違う。あくまでもセラピストであって目的は「癒し」を与えること。医療行為ではない。

さて。

僕はセラピストになるために研修を行うことになった。ここで色々確認しておけばよかったのだが、後の祭りだった。

週に何回か研修所に通って、同じ研修生の体を施術し合う。座学で体の名称を覚える。この繰り返しが基本の研修内容だ。

僕の他にいたのはくたびれたおっさんが二人、経験者のおばちゃんが一人、同世代の若者が一人。なかなか年齢層がばらばらである。 

おっちゃんたちは、職を失っていて新たな就職口を探していたらしい。世知辛い話だ。ちなみに警備員の時も研修を行う必要があり、たくさんの職にあぶれたおっちゃんたちを見かけた。世の中はおっちゃんたちによって、破壊と創造が行われている。

研修は割りと楽しかった。モラトリアム期間のようで。あと、何か技術を身に付ける、という行為は男心をくすぐるものがあった。

そんなわけで僕は約二ヶ月後、セラピストとしてデビューすることになる。
家から自転車で十分位の店舗に新人として入った。

そこにいたメンバーは…何とも言い難い人々だった。癖が強くてなぁ。やりづらかった。

学ぶことも多かったし、接客業の妙味を知れたことも大きい。ダイレクトに人につくし、人のためになる仕事だ。セラピストは。だから、得難い経験だった。

しかし、業務体系がエグかった。この時僕ははじめて知った。業務委託という働き方を。

セラピストは時給でお金がもらえるわけではなく。店舗の中に一つの机を会社から貸与され、そこで施術を行い、マージンを払って個人事業を営むというからくりだった。

だかはお客さんが来なければ、お金はもらえない。
しかも僕たちはそれとは別に事務作業を行わなくてはいけなかった。レジの締め処理や、お客さんの予約管理だ。

これは明らかに施術内容に含まれないし、おかしい。

もうその頃には僕は、会社への疑念を明確なものとしていた。そしてその疑いと共に会社に辞めると告げた。そして言われた。「研修料9万円払え」と。

この時思い知った。
世の中には汚い大人がいるんだ。そしてルールを知らない人を食い物にするんだ、と。

揉めに揉めたが、結局研修料は払った。そのように契約していたからだ。浅はかだった。愚かだった。悔しかった。

あまりに悔しかったので労基にチクった。どうなったか分からないが。

そうして僕はセラピストを辞めた。半年ばかりのできごとだった。

その2ヶ月後、僕は未経験文系SEとして就職するのだがそれはまた別のお話。みんな、業務委託には気を付けよう。フリーランスとして認識しているならいいが、業務委託を装った限りなく黒に近いグレーな案件は多くある。業務委託は、労働基準法が適用されないのだ。なぜなら、労働者として契約してないからな。みんな気をつけるんやで。


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