夏休みの宿題と残業の”根っこ”
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日本経済新聞1面のコラム【春秋】
本日8月31日のテーマは「夏休みの宿題」でした。
記事サマリー
作家の安岡章太郎は、宿題に手をつけず8月31日を迎えた
小5の夏のことを「夏休みの宿題」というエッセーで大層グチっている。夏の宿題にはどこか敵のような趣が漂う。
教師があまりに忙しすぎると言われるなか、
休み明け早々、山積みの宿題をチェックする先生も大変。一方で課題の分量が少ないと文句をいう保護者も出てくる。
限られたマンパワーで、子供たちを引きつける夏の学びとは何か、
日本全体で考える宿題である。
こう考えた
ぼくが小学生のときは、
夏休みの間ずっと親戚の家に遊びに行ってました。
宿題を親戚の家に持っていった記憶はありますが、
教科書を開いた覚えがないんですよね(苦笑)。
安岡先生と同じ気持ちを味わったはずなのですが、
もう40年以上前のことなので、
どうしていたのかすっかり忘れてしまいました。。。
それにしても、
宿題の分量が少ないと文句をいう保護者がいるんですね。
驚きました。
この記事を見たとき、
会社で無茶な量の仕事を与えて満足している上司、
疑問も持たず不満も言わず、残業を重ねて疲弊する部下
の映像が浮かびました。
目指す方向性や、やる内容の妥当性も考えず、
成果に結びつかなくても気にせず、
ただ量をこなす(時間をかける)のが良いという
同じ価値観が根底にあるように感じます。
(量やスピード勝負では、
人間はChatGPTには絶対勝てないのにね)
主体的に学んで欲しいので宿題は出しません。
各自が興味のあるテーマを1つ決めて、
調べてレポートを出してください。(テーマは自由)
こういう夏休みの宿題が主流になれば
子どもも大人の学びも変わる気がしますね。
ディアログ合同会社 小川剛司(つよし)
「学びをよろこびに、人生にオーナーシップを」
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美味しいものを食べて、次回の投稿に向けて英気を養います(笑)。