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ココナッツチキンカレー

「家具」という名の家具が存在しないように、人間という名の人間はいない。

それぞれの人には名前があり、その日々の生活には悩みがあり喜びがあり、そしてその人生には成長があり挫折がある。

屈折した心にはやっかみが芽生え、妬みが浮かんでは僻みが腹の底で渦巻いていく。

日々学んでは働いて、飯を食い風呂に入って寝て死んでいく。

他人から見たら(いや、本人にとっても)至極つまらない、凡庸な日常の繰り返しかもしれない。

けれど、どんなに平凡で中庸な出来事や環境にも遊び心を持って何らかの楽しみを見出せるのが私たちなのではないか。

小学生の頃に野球で指を毛がしたときに通った接骨院には温水で手を温める装置があった。治療といってもジェットバスのように温水が循環する小さな湯船に手をつけてじっと待つだけ。バスクリンの香る診療室で浮かんでは消える泡をただただ見つめていた。
大学生のころナイアガラの滝を見に行った帰り道、大晦日の朝市でニューヨークに戻る為に深夜の駅で一人電車を待った。夜の8時の待合室には私一人。朝4時の電車まではだいぶ時間がある。ネットも通じず手持ちの本を読むのにも疲れた私はリュックに入っていた裁縫キットで穴の開いたカーゴパンツを縫い始めた。
社会人2年目の日曜日、大井町で一人暮らし。銭湯のわきにあるコインランドリーで一週間分の服を洗う間。椅子に腰かけてがたがたと揺れるランドリーの音に耳を澄ます。

こんなシーンが心にいくつか浮かぶ。
何年も前の、特に意味も情感も湧かない光景になぜか少し気持ちが休まる。

なんとなく気持ちが沈んだ時や元気が出ないときには、すごく幸せなエピソードやひどく悲しい思い出よりも、こういう風景を自分の中にいくつか持っておくとよいかもしれない。

そんなことをぼんやりと考えながら、今日も飯を作る。

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2019年5月29日(水):ココナッツチキンカレー
Aちゃんが職場同僚から大量のココナッツミルク缶をもらってきたので、今夜はカレーにすることにした。

玉ねぎはみじん切りにするのは面倒だから薄切りにして油で炒める。
しんなりとして透き通ってきたら、鶏もも肉の切り身を加える。

鶏肉に火が通ったら、ナス(小さい目を2本)を加えさらに炒める。
ざく切りにしたトマトもたっぷりと入れて、コンソメと水、ローリエを加えてしばらく煮込む。忘れていたチューブニンニク、ショウガを今更加える。
さらに今回は思いつきで手羽中を下茹でしたものを加えてみた。

ひと煮立ちしてアクを取ったら、シャトルシェフに突っ込んで1時間ほど放置。その後、再度過熱してからココナッツミルク缶1缶(400 g)と先日ゲットしたカレーミックススパイス(適量)を加えて混ぜる。

ミックススパイスの残りが少なかったので、何も考えずに全部入れてみたが、うまいことに一発で味が決まってしまった。

ココナッツミルクのクリーミーさとスパイスの刺激的な香りがうまく混ざり合って何とも言えないコクが生まれている。

Aちゃんはプロジェクトの追い込み時期により深夜の帰宅で先に食べてしまったが、「また美味しいカレーが出来てしまった」と一人呟きながら味わうのであった。

参考レシピ:

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