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最近読んだ中で印象に残った本のこと
7月から9月にかけても、それなりの数の本を読んではいて、その中でも印象に残った本のことを書きたい
言霊の幸わう国で(李琴峰/筑摩書房)
私が触れた初めての李琴峰作品は「星月夜」だった。
「溝」を丁寧に描く人だと私は「星月夜」を読んだ時に感じた。その「溝」は言語の溝、ジェンダーの溝、人種の溝、そして感情の溝。彼女は「溝」を母語ではない日本語を使い、描き、顕すことで埋めようとしている、そう思った。
リアルと非リアルのあわいを書き切る強い力のある作家、そんな印象を持っていたけれども、特に、本作を読んでその印象は一層深まっている。
李琴峰本人や、彼女の周囲の人物に重なり、同一視も出来得るような人物や事象の描写もあり、一方であくまでもこれは「小説」でもある。
そして、全ての言葉が躍動し、そしてひりつくような感情を迸らせつつも、作家としての知や理のヴェールを纏っていた。
当たり前に、賛否両論はあると思う。どんな著名な、それこそ大家と呼ばれるような作家であってもアンチはいるのだろうし、彼女にも当然アンチはいるだろう。アンチでなくても、「今回の作品はさほど好みではなかった」という読者もいるだろう。実際、好き嫌いは分かれそうだな、という感想は私の中にもある。ただ、これだけ今、「多様性」という言葉が叫ばれている世の中で、そもそも多様性は「受容」されるものなのか、本来は昔から存在していたものなのに「受容」されてやっとその可視化されるものなのか、公正な社会とは…そういったことを漠然とでも考えたことがある人には、特に手に取ってみて欲しい、と思った本。
マザリング 性別を超えて<他者>をケアする(中村佑子/集英社文庫)
一時、「利他」という概念についての本を何冊か読んでいた時期がある。
ふと、その頃のことを思い出した。
タイトルの通り、この本は「女性の役割」としての「母」、「母性」の解体をする本ではない。逆、と言うか。
「母」や「母性」について考え、感情を見詰め、理論を学び、対話し、その中で「女性の役割」であることについても考えるし、男性のそういった役割、行為、感情についても触れている。
意識をすると、「ケア」という言葉も最近よく目にする気がする。
あまりにも使い古された言葉だが、「人はひとりでは生きていけない」ということはその通りで、誰もが、どんな瞬間にも様々な「ケア」を必要とする苦しくて、生き辛い時代だ。
そんな中で、この本は人間のルーツ、否、人間関係のルーツとも言える「母」、「子」のケアについての考察を提示している。
考察、と言うと何やら堅苦しいけれども書かれている言葉は、適温のミルクのようで柔らかくて、たまに詩を読んでいるような心持になった。
読みながら、不思議と泣きたくなったりもしたし、何度も「何か大切にする」もしくは「何かを大切にしたい」という、まるで暗い夜空に瞬いている小さな星のような感情を自分自身で見詰め直すような、そんな瞬間があった。
夜のリフレーン(皆川博子/角川文庫)
皆川博子の御歳をふと調べたら、94歳らしい。びっくりして目を剥いた。
確か彼女は昨年も新作を出していたが。
どれだけの年月を重ねてもなお、弛まぬ筆力や作品の幅の広さに感服する。
これは余談で、私には、定期的に彼女の作品を目一杯読みたいタームが訪れるが、今、正にそれらしい。
読みながら、皆川博子が彩る世界にとっぷりと浸かることが出来た。
彼女の作品のジャンルは、まるで背骨をひとつずつ、きゅ、きゅ、と指先で摘ままれるような感覚に陥る幻想小説、歴史や国を跨ぐ壮大なグランドナラティブ、そして極彩色の毒とリアルが交わるミステリー、と上述の通りとにかく多岐に渡る。
この「夜のリフレーン」は幻想小説に分類される。
短編集なので読み易く、そして文体も衒学的はないが美しく、それでいて修飾過多になっていないので、文章そのものが頭に入ってき易い。
脳髄に染み行くような文章が、また没入感を与えてくれるのだと思う。
私の皆川博子初読は「猫舌男爵」で、これもまた短編(?)集だったし、
皆川博子作品を色々なひとに読んで欲しい、と思いはするけれど皆川博子作品を読んだことが無い人は、(秀逸と思える長編も勿論あるが)この「夜のリフレーン」のような短編集を読んで、文体や世界観に馴染めるか確認すると良いかもしれない。
3冊ほど紹介してみたけれど、この夏は出版年月やジャンルを問わずに色々な本に出会えた。
「百年の孤独」が文庫化され、近所の書店でも売切れたりしていて嬉しくなった、夏。