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「らしい」の正解を未だ知らない

15歳の僕が選んだ進学先は、地元から車を走らせて5時間くらい離れた場所にある偏差値が40にも満たない底辺私立高校だった。

進学の決め手は、単純に勉強が嫌いだったことと、幼少期からずっと続けていたスポーツの成績が評価され勧誘を受けたこと。

そして一番の理由は「高校生から家を離れるってなんかカッコ良くない?」という安直な理由だった。

県を跨ぐ進学で、当然実家から通学は出来ない。
同じように全国から集められた見ず知らずの人達と共に、寮生活を強いられることになった。

生まれてから15年育った土地から離れることへの抵抗は全くなかったと言えば嘘になるが、そんな不安は15歳の僕が抱いた「カッコ良い」という好奇心に比べると、一円玉が自販機の下に入って取れなくなってしまうことぐらい些細な問題だったのだと思う。

高校に入学して経験した一番最初の「人生初」は、髪型を坊主にしたことだった。

野球部に所属していたわけではないし、自ら望んで坊主になった訳でもない。

学校の定めるスポーツマンらしい髪型が坊主で、運動部なら坊主、反省をする時は5厘(アタッチメントをつけないで刈り上げること)にするのが常識という昭和な風土が残る学校だったからというのが理由だ。

バスケ部だろうがサッカー部だろうが問答無用で坊主にさせられる。
ちなみに僕が所属していたのは水泳部。勿論頭は全員綺麗に刈り上げられていた。

共学なのに男女比が8:2ぐらいという極端さと、ほぼ全ての部活が全国レベルで実績を残すスポーツ強豪校だった為、学校全体で見ても坊主の生徒の割合が5割を上回る異常さだった。

全校集会などで生徒が一同に集まる時の景色は、それはそれは壮観だった。

2ヶ月に1度のペースで行われていた頭髪検査の列が流れるスムーズさはベルトコンベア並みで、全国でもダントツだった自信がある。

今までの髪型がどうだったとか、新入生だからとかは関係ない。
運動部は坊主。
それがこの学校のスポーツマンのルールだった。

高校の寮に入寮した3月31日、荷解きが終わるよりも早くバリカンを片手に持った水泳部の先輩が部屋にやってきて、「じゃあ、やろっか」と比較的長めだった僕の髪型をスポーツマンらしい坊主に仕上げてくれた。

その仕上がりはプロの美容師でも「結構な腕前で」と称賛した程だった。(嘘です)

ところで、「らしい」とはなんだろう。
社会人らしいとか、最高学年らしいとか、最近では一児の母でありモデルとしても活躍されている女性が、ヘソ出しの服を着た写真をSNSに上げて「母親らしくない」と炎上したこともあった。

未だに僕は「自分らしい」以外の「らしい」に模範解答は見たことがない。

誰がどんな考えをしていたっていいと思うし、誰がどんな服装をしていたっていいと思う。
どこで誰が何をしていたって、当人がそれで良いと言うのであれば外野には関係のないことなのだから。

誰かが定めた高校生らしく生きることよりも、自分らしく生きることの方が余程理想的な高校生になれるような気がする。

先日、高校生時代に毎日書いていた練習ノートを読み返してみた。

全28冊に及ぶ日記の1冊目、入学して最初に書いた文の最後には「早く1人前の高校生らしくなりたいです」と今も変わらない特徴的な右肩上がりの字で綴られていた。

大丈夫。らしくなんてならなくても、君はもう立派な高校生だ。

春は君のものだったよ。





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