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死神はサンタのようにやってくる

数年前に一度だけ、「あっ、死にたいかもしれない」と思った夜があった。

ふと気づいた瞬間、真横に自分の身長の倍ぐらい大きな鎌を持った死神がいて、

「どうも〜、死神です。突然なんだけど、今日なんか死にたくない? 今なら楽に死ねる方法教えてあげるけど、どう?」

「あ〜、どうもこんばんは。今日は星が綺麗みたいですね。空気が澄んでるのかなぁ。明日は快晴かもしれませんね。言われてみれば確かに死にたいかもしれません。ちなみにそれってどんな方法ですか?」

みたいな世間話のついで程度の軽いノリで、死神はサンタのようにやってきた。

振り返ってみれば、死にたさの類が枕元にやってきた夜は何度かある。

中学校の卒業式のあと、3年間一緒に下校していた友人が、別の友人と先に帰ってしまった日の夜なんかも、死神の気配がすぐそばにあった。

そんな夜はいくつか数えられる。でも、これほど明確に「死」という概念を身近に感じた瞬間は、後にも先にもこの日しか思い当たらない。

僕はそのあと、なんとなく芽生えた「死にたい」という感情を枕元から拾って、死神と一緒に外にでた。

死神の「お、いきますか?」ぐらいの軽薄さが少しだけうざい。

当時僕が住んでいた建物には、外階段をたどって誰でも立ち入れる屋上があった。

右足のインソールが壊れた履き心地が最悪なサンダル。雑に積み重ねた洗濯のせいでワンポイントのブランドロゴが剥がれたハーフパンツに、よれよれのTシャツ。

横には新宿のキャッチを彷彿とさせる軽薄さを滲ませた死神を従え、芝のひかれた屋上にたどり着く。

この芝は東京ドームの廃棄芝を持ってきたのだと、建物の管理人は言っていた。果たしてそれは定かなのだろうか。今更ながら気になった。

屋上からは出来たばかりの渋谷スクランブルスクエアと、明かりが消えてもなお、毅然とした姿で立つ東京タワーが見える。

二つのタワーを交互に見ながら、死神は「いやぁ、死に日和ですな」とクックッと笑っていた。

正直な話をすると、本気で死のうとなんて思ってすらいなかった。そんな勇気があれば、僕はもう少し前向きに生きられているはずだ。

でもその日はなぜか、そこから身を投げる行為が酷く簡単に思えてしまうくらい、恐怖が希薄な夜だった。死神の軽薄さが、そうさせていたのかもしれない。

高さはビル三階程度にしか満たず、確実に死ぬなら頭からかな。それでもこの高さなら助かってしまう可能性もある。運悪く打ちどころが良くて、痛みに苦しむだけの結末が大いにあり得た。

「楽に死ねるって嘘じゃねーか」と僕は思わず死神に悪態をついた。

死神は「気持ちの面では楽に死ねるでしょ?」と笑った。
意味が分からなかったが、妙に説得力があって腹落ちした。

今更ながら死神には顔がなかった。どこが目で、どこから言葉を発しているのだろう。

さて、どうしたものかと悩む。

別に死ぬ気はない。でも、死んでも悪くないと思っているのも事実だった。

ひとまずポケットから携帯を取り出し、誕生日で設定してあった4桁のパスワードを打つ。

ちょうど手頃なところに、こんな深夜でもくだらない話に付き合ってくれそうなやつがいたのを思い出し、LINEを開く。

一番上のトーク履歴は、『いけたら行くわ』という僕からの返信で終わっている。

高校時代の級友である彼から、先日数年ぶりに連絡が来た。
何かと思えば、『今年から東京にいるから飲み行かない? 佐藤と田中もいるし』という誘いだった。

彼はLINEの文章を長文ではなく細切れにして通知を増やしくるタイプのちょっと面倒臭いやつで、正直あまりプライベートで絡みたくはない。おまけに佐藤と田中は、僕とはあまり親しくはない。ちなみに偽名だ。

適当に言い訳を重ねて、終いには『いけたら行くわ』と絶対に行かないフラグを自ら踏んで乗り切ったばかりだったが、タイミング的に夜型かつレスの早い彼に連絡を入れるのは都合がいい。

『いけたら行くわ』が未読で終わったままになっているトークに、
『俺が死にたいって言ったらどうする?』と追いメッセージを送る。

既読はすぐについた。

『死ぬ勇気もないくせに何言ってんだ』

なんだ、意外と僕のこと分かってるじゃないかと少し感心する。そういえば、変なところに目敏いやつだったなと思い出す。

返信はまだしない。どうせまだ何件か送ってくるはず。
ほら、来た。この癖は相変わらずだ。少し懐かしくもある。

『本気で死にたいなら』『一回死んでみろよ』

一回ってなんだ。僕はマリオじゃないんだ。一度死んでもやり直せるわけじゃない。

『でも』『こいつと酒飲んでもいいってやつが一人でもいるなら』『もう少しだけ生きてみろよ』

彼の返信は、そこで止まった。
死神が「私がお付き合いしましょうか?」と言う。誰が死神と酒なんか飲みたがるものか。死んでもお断りだ。

真横に死神がいたせいか、その夜はいつもより風が冷たくて、僅かに指が悴み始めていた。やりにくさを覚えつつも震える指先で返信を打つ。

『相場は悲しむやつが一人でもいると思うなら生きろ、じゃない?』

彼からすぐに『バカヤロウ』と返信がきた。

『死ぬ時ぐらい』『自分本意に生きろよ』

死ぬのか生きるのか、一体どっちなんだ。

でも彼の言っていることは少しだけ、本当に少しだけ正しく思えた。

『そうか』と一つ返信をする。

その後に、『来週の飲み会、行くわ』と送った。

なんだか無性に、酒が飲めそうな気がした。
気づけば、いつの間にか死神が横からいなくなっていた。
またすぐに会うような気がしたが、この日以降は死神とは再会していない。

次に会う時は、その時かもしれない。

彼からは、細切れに返信がきた。

『あ、』『ごめん』『結局集まれなくて』『別の予定入れちゃった』

やっぱり僕は、彼があまり好きになれない。




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