大道芸ワールドカップ実行委員会についての個人的考察_問題点その2


その1からの続きです。
大道芸ワールドカップ実行委員会についての個人的考察_問題点その1


市との関係

組織構造に起因する壁も分厚いのですが、予算に起因する壁も非常に厚いです。

補助金の影響

静岡市からは1億円近い補助金がイベントへ捻出されます。 定義で述べたように、この補助金は議会を経て承認されています。補助金を予算計上するためには、その年の計画書と予算書が必要です。
つまり、計画書と予算書に記述のない事業に関しては実施することができません。

もし新規事業を行う場合には、前年度中に事業計画書を作成し来年度の予算に計上する必要がありますが、ここで問題が生じます。 海の物とも山の物ともつかぬ事業には予算を充てられない、と言われてしまいます。(これは近年に顕著になりました。) 穏便に”前年同様”で実施するという慣例が、市民のイノベーションを否定します。

ではどうすべきなのか?

答えは簡単で、補助金以外の収入をあてればいいわけです。例えば、実行委員会が独自にスポンサーを獲得したり資金を稼げる事業を起こすなどしてです。
しかし、市はこれにも難色をしめします。 もし何らかのアクシデントによってイベント全体の価値を落としてしまうと、補助金の対象となる事業にも影響を及ぼす、という理論です。

特にここ近年の静岡市は、市の総合計画を遂行する事を至上主義とし、それに少しでも影響が出るものは認められないという姿勢を感じました。 実行委員会の独自性や独立性は認められず、市の計画通りに動くことをなかば強制されます。これが静岡市が望む市民活動みたいです。
(私の聞いた話だと、より陰湿な事を市の担当者が行っているのですが、確証がないので記述はしません。しかし、市民活動を拒むような行動には公僕としての志は微塵も感じませんでした。)

市の不誠実とも取れる対応は実行委員会にとって壊せもせず乗り越えもしない壁として存在しました。

結果として

上記のような内外の壁が実行委員会や実行委員に立ちはだかります。
一実行委員に出来ることなんてささやかなものです。無力さに苦しんだ人もいっぱい見てきました。(私も苦しみました)

だからこそ、今必要なのは内部で抱え込むのではなく色んな人と共有していく事だと思います。

改めて、市民ボランティアの集団である実行委員会がイベントを主催する意味とは何でしょうか?

ただイベントを実行するだけならば業者に丸投げでいいはずです。

地域と人が「大道芸」によって相互作用しあい、課題解決や可能性を広げていく。 そこに価値が生まれて、世界的に類を見ないイベントになっていく。 それこそが、市民団体である実行委員会が主催となってイベントを運営する意味だと私は考えます。

ただ「楽しい」から始まっても、こんな講釈を述べるくらいには勉強させて頂きました。
実行委員会が持つポテンシャルを、私はまだ信じていますので、シビックプライドを持てるような組織になって欲しいです。

お願い

上記はあくまで私の目で見た事から私が考えた事です。
真実は人の数ほどあると思いますので、よろしければあなたの考えも聞かせてください。
私と同じように匿名だったとしても、私の考えと180度違っていても、私は何も否定しません。

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