「想早知遅」「想兎知亀」〔コイネージ【新造語の試み】6-2〕
「先走った"想い"に、"知性"が追いついていない状態」。
これを「想早知遅(そうそうちち)」、あるいは某寓話に着想を得て「想兎知亀(そうとちき)」と呼んでみる。
例えば、「聴き下手の悩み相談」。
相手の悩みに対して「自分の"正しい"考えを伝えたい」という想いのみが先走り、話を聞き切る"前"にアドバイスをしてしまうケースがそうだ。
しかし、このアドバイスに「知」が追いついている、すなわち相手の悩みをクリアするのに役立つ答えである可能性は極めて低い。
話を最後まで聞き切っていないために、問題点がなんなのかを十全に把握しておらず、また思い付きであるために、充分な考察を経ていない。
いわば、「当てずっぽうなアドバイス」だからだ。
それは「腹が痛いんです」と聞いただけで、「虫垂炎に決まってる。すぐに手術した方がいい」と診断する医者のようなものだ。
この診断が、不的確で信用に値しないことは明白であろう。
厄介なことに"抽象的には正しい"ことが多いものだから、アドバイスをする本人は見当違いの押し付けと、それによる相手の不信に気付きにくい。
「この私が正しいアドバイスをしてやっているのに」
とばかりに的はずれなアドバイスを強要してしまう。
「想い」と「知=相手の問題を解決する具体策」との乖離はますます開くばかりである。
「相手の力になりたいと"想う"」なら、まずは「なにが問題なのか」を「自分の知」とアジャストせねばならない。
そのためには、「相手の話を最後まで聞き切る」ことが重要であり、同時に「想い」に「知」を伴わせる一歩となる。
当たり前のようでいて至極難しい。
(2022/2/13に投稿した記事の続編)
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