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ゼロコンマ2ミリ自分だけのタネをまく

0.2ミリの受精卵だった細胞が、今や50キロまでに大きくなった私。
この50kgはどこからやって来たのか?

全て、食べ物からやって来た。
食べたもので、この50キロの体はできている。

そう、自分は完全に、物質的に周囲とつながっている。食べ物が私になる。
この自然は、私なのだ。
田んぼは私だ。あの田んぼが将来の私なのだ。

そういう風なことをお話されていたのは、養老孟司さん。

この話を聞いて、思うのは種のこと。「タネ」「種子」である。

最近では、スーパフードとも言われるタネは、まさしく神秘的に完璧なものだ。タネのたった一粒から繋がる命のバトンの多さは、想像するにたやすい。
タネの恩恵は、はかりしれない。

種子はその94%が20世紀に失われたと言われており、映画「シード」では、食物となるタネの90%を科学薬品会社や製薬会社が握っていると伝えていた。


日本においても「一代限りのタネ」といわれるF1種からできた野菜が、普通に流通されている食用作物のほぼ全てだと言える。

私は、小学校の理科で習ったそのままに、植物から実がなり、実からタネができて、できたそのタネをうえるとまた植物が生えると、当然のように思っていた。

今ほとんどのタネが人の手で変えられ『同じものが』『同じような味で』『同じような収穫量』を確保できるようになっている。

そしてそのような作物が収穫できるのは一代限りであると聞く。
人為的に作られたタネの二代目からは、もはや望むような作物は得られない。
それにより、農家は毎回毎回、作付ごとにタネを購入する。良いタネが出来たと言ってはそれを買い、このタネにはこの肥料が効く、薬が効くと言われてはタネと共に肥料や農薬も買わなくちゃいけない、という話を読んだ。

だから、前述の「科学薬品会社や製薬会社」がタネを牛耳っているというわけだ。
薬品を売るために作ったタネは、猛スピードで世界を網羅した。




スーパーに売られている野菜は、いつも安く手に入る。ちょうどいい大きさで形良く、均一な美味しい味やパリッした食味や新鮮な色で売ってて当たり前だ。萎れている葉っぱでは、私は買わない。

私たちは誰も、もともとの野菜にあるような色や形の悪さ、虫食い、食味のばらつき、不安定な収穫量による値段の高騰は望んでいないのだ。

今ではどこでも交配種のタネは安価で手に入る。ホームセンターにも100均にも沢山の種が並ぶ。裏を見ると「中国産」とある。

何年か前に映像で見た、「うちはF種は置かねえ!あんなもんタネじゃねえ!」と頑張っていた、小さなタネ専門店のガンコなおじいさんも「うちはいつ潰れてもおかしくない店だ」と言っていた。
実からまたタネができるような野菜は、もう作っても売れないのだ。


生物生態学を教える人が、遺伝子組み換えは進むことは出来ても止まることは出来ない、と言っていた。

私たちは自分の体を作っている野菜、穀物、肉や魚のこと、もともとあった自然がどんなことになっているのか本当に知らない。
事実を伝える映画やドキュメンタリーは、見ると気分が悪くなるので、ほとんどの人が見ない。儲からない分野だ。


日本では報道の自由が無いので(報道の透明さは世界66位)経済に影響するような情報は、無料では見せないようになっている。


私は、こんな話をして世の中を哀れみたいのでも、また、問題提起をしようと意図するものでもない。

「世の中のどうしようもないこと」を私は日常でもあまり人に話すことは無いし、このような情報で自分は世の中を悲観してきたので、知ることが手放しで良い事だと思ってはいなかった。
嫌なこと理不尽なことは、結局誰のせいでもない。為政者や大企業や資産家、力のあるものを責める気持ちは無用とおもう。

タネの話などは、いわばまだカワイイ問題で(語弊があるかもしれないが、それによって今困っている人はいない)もっと目の当たりに出来ない不条理は、腐るほどある。ここは半分、地獄なのだ。

ただ、世の中にはそういう事実がある、というだけだ。



けれども「知ること」は、コロナのような情報操作も「受動的」に受けるしかない状況から、自ら「能動的」に選択できることにつながるかもしれないと思った。

人がいちばん辛いのは責められることだ。
責めは命につながる。
人間は責められて生きることは難しい。
どうして、人は人を責める(攻撃する)のか。
恐怖からだ。
恐怖があるから、人を責める。
恐怖からの行動が非難、虐待、争い、戦争をうむ。

私はいままで無用な恐れは必要ないと感じていたけれど、光を選択するには闇を知る必要もあるかもしれない。


当初このnoteでは、勤めている事業所の宣伝から、介護にまつわる話を書くつもりだったけれど、やってみるとほぼ思想的なものとなり、そしてその文章を読んでくれている人がいることを感じて、日々じんわりと意識を変えている。

いつも、長い文章を読んでくださってイイネを押してくださっている方に、感謝を伝えます。
見てくださる方は多くはおられませんが、ご縁のある方だけがここまで読んで下さってるのだと思っています。ありがとうございます。

おとついのさんぽみち

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