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価値観は、車窓の景色のように早く移ろう

電車がいつも仕事に連れていってくれることに、突然こころから感謝したことがある。

誰がレール敷いて電気通して立派な電車を走らせてくれたんだ!と快適さを噛みしめた。

なにかあって電車様が動かなくなれば、私は仕事へ20キロほどの道のりをどうにかして往復しなければならない。
けれど道路が整っているから、ま、なんとでもなるなと算段した。

大阪では道路がどこにでも敷き詰められているので、道をたどれば必ず目的地に着くことに疑いがない。

土地を網羅しているアスファルト。
この国道を10km作るのに、何十億円もかかるらしい。また、道路の維持費だけで、年間1キロ10万円云々とかいう、とんでもない金喰いが、わたしたちの道路様だ。

こんなにお金の動く分野では、利害関係もパワーバランスも複雑怪奇に違いない。

道路は現在も伸び続けている。日本はどんだけ稼いでんねん!と思う。お金持ちの国だなあ、と感心する。

私たちの利便性のために、また経済発展のためにと、民主主義によって選ばれた代表者たちが舗装してくれた道路だけれど、もうだんだんと強固で立派な道路は必要なくなってくるだろう。

電気自動車や無人運転が実用化されたら、維持費をかけて自家用車を持つ価値観もかわる。
宅配もドローンになるかもしれない。
なにより高齢者は増えるが、人口は減るのだから。

同様に、何兆円もかけてリニア新幹線を走らせるより、どこでもドアの開発にお金をかけてはどうかと思うレベルで、昭和や平成との価値観は猛スピードで変わっていく。

私が駅まで歩く道は、20年前に舗装されてからそのままのようで、雑草が力強くアスファルトを割って出てきている。

私は雑草を頼もしく思い、ほとんど歩く人の居ないこの道は、もう舗装し直さなくても良いですよー!と心の中で言っている。


道で転倒して、管理管轄の自治体の不備を訴える人が減少することを祈っている。

いま、このあたりは府から市へ移管がすすみ、整備が予定されている。

駅までの道で

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