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止められない病の恐ろしさ

 年明けから中国大陸を騒がせている武漢由来の肺炎ウイルスは、いよいよ爆発的に感染者を増やし始めているらしい。慌てて都市封鎖に踏み切ったものの、既に国内外を移動した人々を媒介して拡散の一途を辿っている。僕達の国で人同士の感染が広がるのも時間の問題だ。

 SARSやMERSの時もそうだったけれど、まだ対処法が確立されていない病気が流行を始めると、実際にかかっていなくても何かしら調子が悪くなる。ちょっとお腹を下したり、鼻詰まりを起こしたり、そんな軽い不調が現れては消える感じだ。ピリピリした空気や気を付けて生活しなきゃいけないという意識が、逆に強いストレスとなって体を痛めつけているのかもしれない。とはいえ危険であることは確かなので、何も身構えずにいるよりはマシだろう。

 さて、なぜ新種の病気がなぜ簡単に広がってしまうのか考えたことはあるだろうか。常日頃から触れている細菌やウイルスの類ならまだしも、新種のウイルスが引き起こした病気となると、まずこれと接触すること自体が珍しいのではと思ってしまう。自然との関わりが薄い都市部に暮らしている人ほど、防疫状態にあるという根拠の不確かな感覚を抱いている。ところが、実際にはそうではない。僕達が関知していないだけで、新病のキャリアとなるものは身近にたくさん存在しているのだ。

 たとえば、病原菌を媒介する生物として有名なもののひとつにネズミがいる。野生のネズミは森の中にも都市の中にも暮らしている。そして、彼らの生活によって生じるものが散らばる範囲は下水道や側溝の中に留まらない。普段歩いている道の上にも、子供達が遊ぶ公園の土にも、彼らが出すものは多かれ少なかれ散っている。彼らと直接出くわすことが少ないために、その事実を知らずに生きているというだけなのだ。

 当然だが、キャリアとなるのはネズミだけではない。庭先に飛来する小鳥、群れて飛び回る羽虫、ペットに取りついた蚤や虱など、人間が触れうるあらゆる範囲に病原菌との接触スポットが存在する。それでも病人が少なくて済んでいるのは、僕達が殺菌消毒や洗浄を用いてリスクを下げているからであり、また人体に備わった免疫システムのおかげでもある。彼らとの接触に耐えられる体が作られ、なおかつ文明の機構としての防御策が講じられることによって、今日の僕達の健康は保証されている。彼らの有する病を知っているからこそ、それを意識し回避できているというわけだ。

 逆に言えば、僕達の知らない病気は基本的に回避できないものだということでもある。新しく現れた病原体が脅威とされるのには、このような原理的な弱さをダイレクトに突いてくる点が理由として挙げられる。今まで取り入れたことのない病原体が体に入った場合、僕達の免疫系ですぐに危険な物と判断することはできない。対抗できるかどうか以前に、数を減らすための仕掛けが働かないのだ。それでも病原体が毒素を持っていて、増えるほど体へのダメージが加わるならまだ良い。熱や痛みといった症状を味わうことにはなるが、少なくとも病原体へ感染したことを自分や周囲に知らせる形となるからだ。もし感染と発症とのタイミングが近ければ、「熱が出たら病院へ」「せきをする人には近づかない」といった感染を防ぐための呼びかけも容易である。

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