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自分を信じる強さについて

4年前、シドニーにいたとき、私はいろんな人からすごい信じられていたなあと思う。
信じられていたなあというのは、

I believe in you.

とか、

I know you will succeed.

とかをいろんな人から言われた。

それを言ってくれた人たちは、結構話す友人とか私の身近な人たちだった。ありがたかったけど、その言葉を言われたときに、彼らは私の未来を知らないのに、なんでこんなに言い切ることができるんだろう?って思ってた。

もちろん成功はしたいし、幸せになりたいけど、私自身ですら私の未来が分からないのに、(友人とはいえど)他人がなんで私のこと、私の未来をこんなに信じてくれるんだろう、と。


だけど、最近、実際に未来で成功するかどうかよりも、自分のことを信じることがものすごく大事なことかもしれないな、と思ってきた。

仕事を休職してから数週間は、自分の感情と他人の感情が分からなくなっていた。周りの人が笑っていても、自分が楽しいのか分からなかったし、悲しいのか、寂しいのか、怒っているのか、それが自分の感情なのか、誰かの感情が入ってきているのか分からなかった。自分が感じている感情を自分が信じられなくなっている状態が続いていた。これは結構しんどかった。

自分の感情と他人の感情の判別がある程度つくようになった次の段階は、自分に対しての自信がなくなっていた。

今の仕事を選んだのも、自分の頭でちゃんと考えて、自分の判断でいまの仕事を選びとった。だから、そこでいろんな大変なことがあっても、自分で選んだ道だからと頑張っていたし、乗り越えてきた。

だけど乗り越えられなくなった(身体と心が限界になった)ということが起きた。

人を優先させすぎてしまったことで、自分に対しての信頼がなくなってしまったのだ。いままでやってきたあらゆる仕事に対して、自信を持って決断してきた、あるいは、自信はなくてもあるようにみせてきた決断において、急にそれが揺らぎはじめた。

そのときになって、自分との信頼関係がなくなるというのは、結構辛いことなんだなということがはじめて分かった。自分がする行動や、自分がする決定に対して不安に思ってしまう。自分が言ったことや、やるといったことに対して、どんな小さいことでも確信が持てなくなってしまう。
そうすると、些細なことでも一歩踏み出すこともものすごくハードルが上がって、動けなくなってしまう。

そんな状態から抜け出すために、自分のやりたいと思ったことは全部やらせてあげようとした。部屋を整理整頓したり、健康的なご飯を食べたり、掃除したり、好きな本を買ったり、好きな場所に行ったり。
自分のやりたいことをやらせてあげると、ちょっとずつだけど自分との信頼関係が少しずつ取り戻していくことができた。


そんな時に、私はいろんな人から信じられてきたなあということをふと思い出した。
I believe in you. とか、You will succeed.とかを言われたとき、私はその人のためになにかをしたとか、なにかの結果や成果を出したとかではなかった。

だからこそ、あの時に言ってくれた言葉は、私の存在自体を信じてもらえているような感じがした。自分に対して自信をなくしてる時に、無条件に私の存在を信じてくれている人がいたという事実はとても力をもらえる。その人が私の何を信じているのか分からないけど、とりあえず成功すると、私はできると信じてくれている。
戦隊のヒーローが悪者に負けそうになっている時に、きっと助けてくれると信じて待って、ヒーローの名前を呼ぶ少年少女たちの顔が思い浮かんだ。


4年前にI believe in you. と言ってくれたシドニー留学中に会った友人と話す機会があって、彼女はまたI believe in youと言ってきた。だから聞いてみた。

"Hey, you told me you believed in me four years ago too, and I'm happy, but is it just a compliment?"
4年前もI believe you って言われて、嬉しいんだけどそれってお世辞なの?

"No, I really do. Because I know who you are. I also think that the way about the other Japanese roommate too. Australians are mostly too chill, but you guys Japanese are hardworking. Literally, you're doing exactly what you said you would do."
いや、ほんとに思ってるよ。あなたを知っているからね。あなただけじゃなくて、そのとき一緒に住んでた日本人のルームメイトに対してもそう思ってるよ。オーストラリア人は chill すぎるけど、日本人は一生懸命がんばるから。あなたは実際やりたいことをちゃんと実行してるでしょ?

そうか、私は4年前、毎日なんてことない日々をただ過ごしてるだけだと思ってたけど、彼女からしたら、私は海外から来てちゃんと自分のやりたいことをやっているように見えたんだ。その私を知ってくれているから、I believe in you.って言ってくれたんだ、と思えた。

他のあたたかい言葉をかけてくれた友人たちもきっと私の存在自体を認めて、そう言ってくれたんだと思う。
英語にはそういう表現があって、言葉にするとわかりやすいけど、日本人の友だちでも私の味方で居続けてくれる人とか、ありのままを受け入れてくれる人は似たような感覚を持ってくれているのかもしれない。

人が信じてくれているのに、自分が自分を信じれなくてどうするんだと思った。

それに、自分が自分を信じることの大切さは、シドニーにいたときに学んでいた。オーストラリア人の元シェアハウスメイトに話を聞くと、私が住んでいたときほどシェアハウスの人の仲が良かったのはあれが最初で最後だったようだ。私にとってのシェアハウスは、シドニーの自分が住んだ6ヶ月の家のイメージだけしかないけど、毎晩毎晩ものすごく話してた。

たぶん、私が毎晩遅くまで1Fのソファ席でダラダラしてて、人が来るたびに雑談をしたりしてたから、家でいい雰囲気ができあがったのかもなと思ったりした。

私はいままでの人生で、だいぶ人に恵まれてきたと思っていて、それはほんとに周りのそばにいてくれる人たちに感謝!という感じなんだけど、私自身がちゃんといい人を引き寄せていくのかもしれないと思ったりもした。

私が持っているオープンマインドさとか人にセーフスペースをあげる力っていうのは、私にとっては当たり前に持っているものとして扱ってしまう。性格の部分って、スキルとは違って簡単に経済価値に置き換えられない。だから見えづらい。だけど、それは人とは違う自分のユニークさですごい価値があるものだと思う。

自分を過小評価せず、過大評価せず、ちゃんと等身大で自分自身をみれるようになりたい。等身大の自分を信じて、自分に対しても、世の中に対しても大きい変化を生み出していきたい。

(2024/4/29 00:23 に書いていたけど下書きに置いておいたまだったのnoteを編集して公開)

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