釈迦というインフルエンサーに学ぶライフハック術
「仏教って知ってますか?」と日本人に聞いたら、おそらく皆、「知っている」と答えるであろう。
しかし、「仏教ってなんですか?」と聞いたら、おそらくほとんどの人が、うまく答えられないのではないだろうか?
わたしも、仏教を誤解していた。
少し前まで、神も仏も同じようなものだと思っていた。とりあえず念仏を唱えれば救われるとか、何かこう、スピリチュアル的な。仏教ってそういうものだと思っていた。
仏教は現代でも役に立つ
わたしはここ半年ほど、趣味で仏教を学んでいる。教養としてだ。
学ぶと言っても、通勤時にYouTubeでお坊さんの話を聞くことを日課としているだけだが。
しかし、これが仕事に子育てに、まあ役に立つこと。
何がって、気持ちが前向きに、そして楽になるのである。
仕事においては、「嫌だけどやらなきゃ生きていけないから仕方なくやる」という考え方から、「自分のために、好きで働かせていただいている」という考え方に変わり、月曜日の朝が楽になった。
子どもの躾においても、「感情で自分のために怒る」のではなく、「子どものために理性をもって伝える」ことが、少しずつだができるようになってきたことで、親としての自信がついてきた。
仏教を知っているようで知らない日本人
昔から日本でずっと大事にされてきた仏教だが、今の日本人は無宗教とか、人が亡くなった時だけ関わるという人がほとんどだと思う。
わたしは別にそれでいいと思う。憲法の「信仰の自由」も好きだし、そうあるべきとも思う。
しかし、人生において、その内容である、釈迦の知恵を学ばずにいるのは、単純に勿体ないと思うのだ。
現代の日本に自殺者が多いのも、日本人が信仰を失ったことが、原因の一つではないか?とも思っている。
とにかく、現代人はもっと仏教のことを知った方がいいというのが、この記事でわたしが発信したいことだ。
(仏教を少しかじっただけの素人が個人の解釈を書いているのでその点ご容赦ください。)
仏とは、仏教とはなにか
仏は神とは違って、人である。悟りを開いた人のことを、仏という。また、仏教の開祖とされる釈迦もまた、悟りを開いた人のうちの一人であり、生身の人間であり、2500年前に実在した人物だ。
そして仏教とは、ただ仏を崇めれば救われるという甘いものでは全然なく、釈迦の教えから人生を巧みに生きていく知恵を得て、各々が自分の生き方をより良くするための努力をする。悪いことをやめて、良いことをしていく。その結果、各々が心穏やかに生きていけるというものだ。
また、釈迦本人が遺した書物はなく、弟子たちが、釈迦の死後、いままで師匠から聞いたことをまとめて教典にしたらしい(ソクラテスや孔子等も、弟子が書物を作っているがそれと同じだ)。
つまり、現代風に言えば仏教は、人生の達人であるお釈迦様という超大物インフルエンサーのフォロワーさんたちが、その貴重なライフハック術をシェアしていって、みんなで人生をより良く生きていこうぜというもの。
思想というよりも、その人の使い方次第なところがある、かなり現実的なツールというふうに、わたしはとらえている。
どうしても派生しちゃう
で、1つのポイントとして、このフォロワーさんが余りに多すぎて、派生しちゃったというところがある。これにより複雑化し、誤解も生まれてくる。
伝言ゲームのように、どうしても言ったことが変わっていってしまう。複数の人が同じ話を聞いても、どう捉えるかは人によって違うし、土地や時代で文化も違うためである。
そうして、考えが似かよった人たちが集まって、宗派ができた。キリスト教でもカトリックとかプロテスタントがあるように、仏教にも〇〇宗〇〇派とかができた。
そして出てきた、「念仏唱えればOK」派。科学の時代である現代では、この考えはとても現実離れしているため、ともすれば、ばかにされてしまう。わたしも恥ずかしながら、ばかにしている中の1人だった。
でもこの、「念仏唱えるだけ」派については、よくよく調べてみると、その時代には合っていたのだ。
当時は全員が勉強できる仕組みがなく、全員が釈迦の教えを理解して実践するというのは不可能であった。
それでも、疫病や飢餓に苦しむ人々を救いたいと願った、当時のフォロワーさんが、「この考えは素晴らしいから、意味はわからなくてもとりあえず念仏を唱えよう!」ということで、こういう宗派が出来た。人が人を想って出来たものなのだ。だから、決してバカにするようなものではない。むしろ、これをやったフォロワーさんは尊いと、今のわたしは思う。
それでも時空を越える釈迦の教え
時代に合わせて形を変えてきた仏教。しかし釈迦の教えは原点にしてすでに時空を超えていた。
どういうことか。
釈迦を現代のインフルエンサーとしてみてみると、ビジネス系YouTuberとか、自己啓発系SNSを運用している方々との違いといえば、そこに具体性、即効性がないため、現代人には馴染みにくいという弱点がある。そもそも難解で、サンスクリット語という言葉を翻訳しているし、例えば色即絶空、諸行無常というのが基本の教えだ。ハッキリ言って、のっけから結構難しい。
確かに少し仏教を学んだところで、すぐには結果に繋がらないし、よくわからないかもしれない。
しかし同時にそれは、釈迦の教えは抽象的ではあるが、普遍的で、時代や場所が変わっても変わらないもの、すなわち人間についての「真理」であることを表している。その教えは、ちょっとぼんやりしていてわかりにくいけど、何世紀か未来の地球の裏側の人にも、ちゃんと当てはまるのだ。わたしもそれを念頭に現代を生きてみても、「ああ、確かにそうだな」という感覚があった。
だから、これを応用していけば、現代のビジネスでも夫婦関係でも、子育てでもなんでも上手くいくようになり、人々はより幸福追求しやすくなるのではないか。言ってみれば経営だって、人間に関することだからである。
釈迦は、科学技術がまだ発達していないその時代にあって、現代の多くの人でさえ困っている問題について的確に指摘している。
ひとつ例を挙げてみたい。
例えば、しばしば人間関係のトラブルの元となる、「怒り」について。
現代社会において、上司や部下・親や子ども等にこの怒りの感情をぶつけてしまい、あるいはぶつけられずに悶々として、困っている人は沢山いるだろう。
心理学で、「実は怒りは2次感情」というのがある。突発的に湧いてくるように感じる怒りという感情は、実は2次感情(2番目に出てくる感情)であることがわかっている。怒りの前に、1次感情(悲しい・淋しい・怖い・驚いた等)があるが、その後、私たちが頭の中でわざわざ怒りという感情を作り出し、さらにそれを自ら持続させているのだ。
1次感情はどうしようもないが、2次感情である怒りは自分の意志で起こしているので、その深層の感情(1次感情)に気づくことで、怒ることではなく他の方法に切り替えて現実的なトラブルを回避していくことは可能なのである。
釈迦は2500年も前に、三毒(悪いものとされる3つのこと)の中に、この「怒り」を入れている。
現代でも、アンガーマネジメントなどと、怒りのコントロールをするためのメソッド等がビジネスマン向けの研修やセミナー等で聞かれる。しかし、釈迦の時代にあって、「怒り」という感情を何とか出来るものとして、また要らないものとして、自らを蝕む「毒」として認識していたあたり(そしてフォロワーさんたちがキチンと後世に残していくあたり)、さすが大物だ、センスがあるなあと、いいねやグッドボタン、チャンネル登録をせざるを得ないのである。
おわりに
というか、2500年前の知恵が今でも役に立つなんて、人間の本質ってなかなか変わらないんだなと思う。
世の中から戦争や暴力、すべての自殺したくなるようなコトが一刻も早く無くなってほしいと切に思うけれども、完全に無くなるのは本当に難しいのだろう。
でもだからこそ、釈迦の教えが「バズれば」もっといい社会になるんじゃないかな。スティーブ・ジョブズも仏教の派生である「禅」による「マインドフルネス」をやっていたというのは有名だし、シンプルやミニマルが流行っている今でこそ受け入れられるんじゃないかなと思う。
これも既にあった「少欲知足」という考えが基になっているから。
やはり宗教について語ると、「怪しさ」みたいなのが拭えない。しかし、そういう感覚は、一部の人が宗教を私腹を肥やすために利用してきたから、ついてしまった感覚、つまり偏見なのだと思う。宗教って、元をたどればもっと純粋なものであり、我々はそこだけをみるべきなのではないか。
ノーベル賞を受賞した人も、賞をとったからすごいのではなく、すごいから賞をとったのだ。
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