
ものがたり屋 参 一 その 2-1
いつも Zushi Beach Books をお読みいただき、ありがとうございます。
すでにタイトルでお判りのように、今回も第二十二話「一」のその 2 を完成させることができませんでした。
ご存知のように、いま癌サバイバーとして抗癌剤治療を続けている最中で、先日の 11/2 に抗癌剤を点滴、現在経口薬を服用している最中です。抗癌剤は点滴と経口薬を併用しているんですが、この経口薬の影響が大きいようです。点滴後の夜から服用をはじめるんですが、翌日はまだいつものように原稿が書けるんです。ところがその翌日になると頭が働かなくなり、さらにその次の日になるとまったくなにもできなくなってしまうんです。
頭が働かなくなるとともに身体も動かなくなり、文章を書き続けるどころか日常生活にも支障が出てしまうことになるんですね。今回は半ばまではなんとか辿り着いたのですが、物語世界を頭の中で動かすこと自体ができなくなってしまいました。
今回は原稿用紙で七枚ちょっとの暫定版とはなりますが、ぜひお読みいただければ幸いです。これからも Zushi Beach Books をご愛顧いただければ、これに勝る喜びはありません。よろしくお願いします。
うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。
気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。
一 その 2 -1
はじまり、それはいつもそっと訪れる。
はじまり、それはやがて形を成していく。
はじまり、それはいつも揺るぎないもの。
はじまり、そして永久に続くもの。
丸一日、熱に魘された麻美だったが、その翌日にはすっかり治っていた。
「麻美、大丈夫?」
クラスの子に何度か訊かれ、そのたびに笑顔で頷いてみせた麻美だった。しかし、美咲ちゃんは話しかけてくれなかった。大したことが原因ではなかったけど、まだわだかまりが残っているのか、美咲ちゃんは麻美と貌を会わせようとさえしてくれなかった。
結局、この日も帰り道はひとりだった。
めずらしく雨とは無縁の一日。梅雨の合間の蒼空が広がっていた。陽射しもまるで夏を思わせるものになっている。
逗子大師通り清水橋に向かって歩く。やっぱりこの日も清水橋を渡ったところで左に折れて、川沿いを帰ることにした。
広がる蒼空、零れてくる強い陽射し、吹く風も暑くいのに、なぜか心は沈みがちだった。
──やっぱり謝った方がいいのかな……。
美咲ちゃんとの口げんかが心の中に大きな影を形作っているせいで、足取りもちょっとだけ重かった。
──今日はスニーカーなのに……。
足下を見ると手頃な大きさの石ころがあった。軽く蹴ってみる。石ころは皮の近くまでころころと転がっていった。
──あっ、そうだ香苗ちゃん。
一昨日、この川沿いの道で出会った香苗のことを不意に思い出した。川沿いに樹つ桜の側にひとり所在なげに立っていた香苗。どこか寂しげで、それでいて影が薄かった気もする。
しかし、この日はどこにもその姿はなかった。
香苗が立っていたあたりから麻美は田越川を見てみた。雨が続いていたからだろう、その流れは思った以上に濁っていた。
──ひとりぼっちか……。
麻美は笑おうとしたが、酷くぎこちないものになってしまった。足下に転がったままの石ころを川へ向かって蹴りこむと、重い足取りのまま帰り道を辿ったのだった。
──ほら、こっちだって。
眼の前の真っ赤なぬいぐるみが、まるで迫ってくるようにじっと見つめている。
──どこ?
──こっちだよ。
──どこへいくの?
──探しものだよ。一緒に探してくれるんでしょ?
真っ赤なぬいぐるみはくるりと方向を変えると、歩き出した。
──ねぇ、ちょっと待ってよ……。
──一緒に探してくれるんじゃなかったの?
真っ赤なぬいぐるみはいきなり振り返ると、睨みつけてきた。
──だから、わたしも探してあげるって。でも、どこへいくのか教えてよ。
──いいから、着いてくればいいの。
──ねぇ、どこでなにを探すの?
真っ赤なぬいぐるみがその足を止めた。
その瞬間、麻美の足下にいきなり大きな穴が空いた。墜ちていく。麻美はどこまでも墜ちていく。
──きゃあ~。
悲鳴を上げて、麻美はただ墜ちていく。
身悶えしながら、それでもただ墜ちていく。どこまでも……。
ずきずきと痛む頭で麻美は眼を醒ました。なんだか変な夢を見たことは判っていたけど、それがいったいどんな夢だったのか、具体的なことはまったく覚えがなかった。
麻美は起き上がるとカーテンを開けた。窓は濡れていた。しとしとと降る雨粒が窓を濡らしている。窓の向こうの景色がぼんやりとぼやけてくっきりと見えなかった。
眼醒ましを確認したら、いつも起きる時間だった。すぐにアラームが鳴りはじめて、麻美はそれを止めた。
なんだか身体全体が重い感じがする。頭の片隅に痛みが残っていて、なんだかすっきりとしなかった。それでも学校へいく準備をはじめるのだった。
傘を肩にかけるようにしてくるくると回しながら、麻美はとぼとぼと帰り道を歩いていた。
この日もひとりでの帰り道になってしまった。
──どうしたらいいのかな……。
美咲ちゃんと仲直りができないまま、この日も下校の時間になってしまったのだ。
──ごめんね、っていえればいいんだけど……。
意地を張っているわけではないつもりだった。何度か美咲ちゃんに話しかけようとしたのだ。けれど、なぜかそのたびに美咲ちゃんの方がそっぽを向くのだった。話しかける取っ掛かりを掴むことができずに、一日が過ぎてしまった。
しとしとと降る雨。なんだか心の中にも雨が降っている気がして、麻美は俯いたままとぼとぼと歩いていた。
清水橋を渡ったところで、ちょっと迷ったけど、やっぱりいつもの道で帰る気にはなれなかった。左に折れると、川沿いの道を歩きはじめた。
水たまりを長靴のまま踏んづけて雨水を跳ねとばしながら歩く。ふっと前を見ると川沿いに樹つ桜の側に香苗の姿があった。この前と同じようにひとりでじっと川を見ている。
「かなえちゃん」
麻美は歩み寄りながら声をかけた。
「あっ、麻美ちゃん」
傘を差したまま香苗が振り返った。俯き加減のその顔はやはりどこか寂しげだった。
麻美がさらに歩み寄ろうとしたところで呼び止める声がした。
「麻美ちゃん」
振り返ると結人だった。
「結人くん」
紺色の傘に紺色のランドセルの結人がゆっくりと歩み寄ってきた。
「なにしてるの? いつもと道が違うでしょ?」
結人は首を傾げた。
「ちょっとね」
麻美は曖昧に笑った。
そのときだった。香苗が結人を軽く睨みながら踵を返すと駆け出した。
「あっ、香苗ちゃん!」
麻美は後を追おうとしたけど、香苗の姿はすぐにちいさくなっていった。
「だれ?」
香苗が駆けだしていった方を見ながら結人が尋ねた。
「うん、狛田香苗ちゃんっていうんだ。この前、ここで会って、友だちになったの」
「そうなんだ」
結人は訝しげに頷いた。
「そうだ、結人くん一組だったよね。香苗ちゃん知ってるでしょ。同じクラスだから」
麻美は微笑みながら訊いた。
「え?」
結人は驚いたように麻美の顔を見つめた。
「なに?」
「あんな子、いないよ。一組にはいないよ、狛田香苗って子は」
「そんな……」
麻美は途惑ったような顔で結人を見た。
結人は黙って香苗が去っていった方をただ見つめた。
しとしと降る雨がふたりの傘に当たって立てる音だけがいつまでも静かに響くのだった。
──ねぇ、どこにいるの?
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