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ものがたり屋 参 坐 その 4-1

 いつも Zushi Beach Books をお読みいただき、ありがとうございます。
 ご存知のように、いま癌サバイバーとして抗癌剤治療を続けている最中で、先日の 10/12 に抗癌剤を点滴、現在経口薬を服用している最中です。ここ二ヶ月ほどですが抗癌剤投与した後の副作用が酷く、執筆に集中できない日が続き、第二十一話「坐」の完結編、その 4 を完成させることができませんでした。
 体力が落ちてしまうと、どうしても集中力に欠けて、文章を書き続けることが困難になってしまうようです。
 今回は完結編の半ばまではなんとか辿り着いたのですが、ここから仕上げという一番体力を使うところで足踏みとなってしまいました。お時間をいただき、改めて完成させたいと考えておりますので、完全版はそれまでお待ちいただければ幸いです。
 今回は原稿用紙で七枚ちょっとの暫定版とはなりますが、ぜひお読みいただければ幸いです。これからも Zushi Beach Books をご愛顧いただければ、これに勝る喜びはありません。よろしくお願いします。


 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

坐 その 4 -1

 すこしずつ溢れている。観てもわからないほど僅かに。
 流れはそこを好み、零れはじめる。
 そしてなにかを吸い寄せるように、集まっていく。
 やがてそれは光すらも捉える場となっていく。

「まるで人が違っちゃったみたいなんだよねぇ」
 この実は大きく溜息をついた。
 逗子湾に沿うように鎌倉へと抜ける国道百三十四号線沿いに建つカフェに、この実は友だちの本城麻美と一緒だった。
 艶やかな長い髪、目鼻立ちが整ったすっきりとした顔、素直でいつも自然に対応してくれる性格。その麻美とは高校の頃からの友だちで、いま同じ大学の学部は違っていても、頻繁に話をしたりする間柄だった。
「富岡くんだっけ。どう変わったの?」
 窓際の席に向かい合うように腰を下ろしている麻美が首を傾げた。
 窓の向こうには傾きはじめた夕陽がオレンジ色に染め上げた海の煌めきが見えた。この実はホットチョコレートの入ったカップを両手に、じっとオレンジ色に染まった海を見つめていた。
「ほら、ちょっとドジだけど憎めない奴っているじゃない」
「うん」
「それがね、いつからかなちょっと調子に乗りはじめたの。その頃はまだよかったのよ。それがね……」
 この実は手にしているカップに視線を落とした。
「富岡くんって、カフェエリアで一緒にランチなんかしている人でしょ? 最近、よくふたりでいるところ見かけるよ」
 麻美は微笑みながらこの実の眼をじっと見た。
「えへへへ。そうなんだ」
 この実は照れ臭そうに笑みを零した。
「付き合ってるんだ」
「まだ、そこまでじゃないかな。ほら、真剣におつきあいしてますって感じじゃなくて、なんていえばいいのかな。一緒にいてなんだか自然な感じというか、そんな存在」
 顔にかかる髪をそっと耳に掛けると、この実は自分にいいきかせるように頷いた。
「だから気になって仕方ないんだ。とっても」
 この実は上目遣いになって麻美の顔を見ると、こくりと頷いた。
「うん」
「それで?」
「調子に乗りはじめたころは、まだよかったの。ドジが減っただけだったし。それがここ二三日、まったく変わっちゃったのよ。なんていえばいいのかな。図々しくなったというか、傲慢ていえばいいのかな。ちょっと小狡いところもあったりして」
 この実は手にしたカップに口をつけようともせず、また大きく溜息をついた。
「小狡い?」
「財布落としたとかスマホ忘れたとかってどうでもいいのよ。それにどこかお人好しのところがあって、人に押されたらそのまま黙っちゃうのだって、ありがちなことでしょ。でもね、逆は嫌なの。人を無理にでも押しのけちゃうなんてさ」
「解る気がする」
「カフェエリアに空いた席がなくて、たとえばちょっとした小物を置いておいて場所を取っておくってあるでしょ」
 手にしていたカップをテーブルに置くと、この実は腕組みをした。
「そんなのお構いなしになってるのよ。なにかが置いてあっても、まったく気にせずにその席に我が物顔で腰を下ろして、ゆうゆうとランチ食べたりとか」
「それって酷くない?」
「それにね、なんだか金遣いも荒くなっちゃった感じなの。この前も食事したときなんだけど、いつもなにが美味しいかなってメニュー選ぶのに、高けりゃなんでもいいよって。どう考えても直貴らしくないの」
 この実はまた大きく溜息をついた。
「ねぇ、心配ならあいつに相談してみる?」
「そうか、あいつか」
「だって、そうでしょ」
 麻美はじっとこの実の眼を見つめた。

 翌日の昼どき。この実は富岡とふたりでカフェエリアでランチを摂っていた。カフェエリア全体が見渡せるように窓際の席にいた。柔らかな秋の陽射しが零れてくる窓の向こうでは、ときおり風に吹かれた枯れ葉が舞うようになっていた。
 箸を休めることのない富岡とは違って、この実の手がときどき止まる。そのたびに顔を上げてカフェエリアを見渡していた。
「どうかした?」
 富岡が軽く首を傾げた。
「ううん」
 この実はなにごともなかったかのように首を横に振ると、手にしていたフォークをパスタの乗った皿に伸ばした。
 それでもすぐにその手が止まる。またカフェエリアをぐるりと見渡す。もう何度目になるだろう。しかし次の瞬間、その顔がいきなり晴れた。
「あ、麻美」
 この実は思わず立ち上がると、トレーを手に席を探していた麻美に声をかけた。
 そのとなりには久能結人もいた。麻美とは幼なじみで、この実たちとも親しい間柄だった。すらりとした細身に端正な横顔。長めの髪がややカールがかっている。
「この実、ここいいの?」
 麻美は改めて確かめるように訊いた。
「もちろん。いいよね?」
 この実は頷くと富岡の顔を見た。
「どうぞ」
 富岡も頷いた。
「富岡くん、麻美ははじめてだったっけ?」
 この実は伺うように訊いた。
「この実たちと一緒のところは見かけたことはあるけど、話をするのははじめたかな」
 富岡はこの実の隣に席を移ろうとして立ち上がった。
「あ、こいつは結人。久能結人っていってわたしとは幼なじみなの」
 麻美が富岡に微笑みかけた。
「はじめまして」
 結人は手にしていたトレーをテーブルに置くと、いきなりその右手を富岡に差しだした。
「あ、こちらこそ」
 突然のことで途惑ったようだったが、富岡はその手をしっかりと握りかえして握手した。
 ほんの短い間の握手だった。けれど麻美は握手を交わしている結人の左手をじっと見つめていた。

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