V.S. ガリガリ君ソーダ味、そして夏

何年経ってもなんだか上手くならないものがある。19歳になっても、平成が今年で終わろうとしていても、下手っぴのままだ。

何が上手くならないのか?至極単純、「ガリガリ君ソーダ味の食べ方」である。

私はアイスが好きだ。バイトで疲れた帰り道、わざと一駅最寄駅を乗り過ごす。駅近徒歩10秒のファミマで、週に一度、私はアイスを買いに寄り道をする。賭けはしない。パピコ、爽。安全パイの有名どころ、けど初めて食べる季節限定フレーバー。ほんの少しのスリルが、家に向かう15分を毎回違ったものにしてくれる。

でも夏になると、やっぱりあの青いパッケージの、あの男の子に目がいってしまう。そのパッケージの中の味はもう知っているのに、なぜか。夏の蒸し暑い夜には「ガリガリ君ソーダ味」をまた、性懲りもなく選んでしまう。

ハーゲンダッツが所狭しと並ぶ横から、ガリガリ君をひとつ選ぶ。どれにしよう?あまり触ると溶けてしまいそうだから、直感で、でも、あたりは引きたい。その絶妙な緊張感が心地いい。

終電終わりのコンビニはいつもにわかに混雑している。夏休みだから特に、これからドライブにでも行くのか若い男の人たちがタバコを吸っている。店を出てすぐにパッケージを勢いよく開けたものの、彼らの前を横切ってパッケージを捨てに行く勇気はなかった。しょうがないから、少しずつ、かじりながら帰ることにする。

昔からアイスが好きだった。特に夏と冬に食べるアイスが好きだった。その時期になるとアイスコーナーは新しい味でいっぱいになって、私のワクワクもピークを迎える。モノによっては一期一会だから、次行ったらもう無いかもしれない、今買わなくちゃ。そんなちっぽけな使命感が私を充足感に導くのだ。

でも、ガリガリ君のソーダ味だけは苦手だった。なんだかチープな感じがして、せっかくお小遣いを握りしめて買いに行くには、なんだかなあ。そんな印象だったから。

けど本当はそれが1番の理由じゃない。私は、壊滅的に「ガリガリ君ソーダ味」を食べるのが下手なのだ。知覚過敏なのか、先ず最初の一口が噛めない。少しずつ舐めているうちに、足元から少しずつ溶けていって、しまいには手がベタベタになる。しかも、必ずといっていいほど、最後の一口が食べられない。

ガリガリ君ソーダ味のペースに合わせていつもより駆け足で食べているのに、なぜかどんどん溶けていく。溶けて、下に下がっていく。手に青色が溶け出ていく。あわててかじりつく。最後ひと口、といったところで、ああ。

絶対地面に落としてしまう。地面に砕け散った最後の一口。また、食べられなかった。

今年の夏も、アスファルトの熱で消えていくそれを見ながら、中学二年生の夏を思い出した。

その夏、私はハンガーストライキを敢行していた(本当の意味のハンガーストライキではない)。母は躁鬱病を患った末、自分の思い通りにならない家庭から離れることが1番の治療法だという結論に至った。小学校二年生の時から毎日カーテンを締め切った部屋で、暗闇の中芋虫のように布団に包まる母は、その夏とびっきりの笑顔で家出した。何年も何年も、ぶつかり合ううちに煮詰まって黒焦げになっていた私たち家族は、家族を「休止」することになった。ママはママをやめてみるね、そうしたらもうあんたを怒らなくて済むし、叩かなくなるかもしれない。パパにも、八つ当たりしなくて済む。

その瞬間、私はなんだかおかしくなってしまった。家に母はいない。父とは会話が弾まない、毎日楽しくない。私が小学校二年生の時から我慢して、ママにやってきたことは全部負担でしかなかったのかな?

そう思ったら、「家族」という繋がりが気持ち悪くなってしまった。「母親」の作る料理が嫌だ、「父親」と顔を合わせなきゃいけない食事の時間が嫌だ。その結果、私はご飯を食べなくなった。母がたまにこっそり戻ってきて足す冷凍食品もいや。父が食べなさいという煮物が嫌。そんなことを続けていたら、胃が縮んでしまった。

その夏の私の食事はほぼ毎食、ドールのフルーツアイスパック。無くなると、それを買うためにだけ家を出る。その帰り、たまたま食べたのが「ガリガリ君ソーダ味」だった。空腹も感じなくなって、毎日が倦怠感との戦いだったその時、たまたま、それを手に取った。ふらふらのまま自転車に乗って、汗をかきながら、ながら食べをした。そんなことをしても、誰にも怒られない。自由だった。

でも、あと一口、信号待ちをしているその時。最後の一口は無残にも重力に従っていった。

ほんの数秒、その残骸を見つめて、なんだか虚しくなってしまった。その頃には体重は見た目でわかるくらいに減少し(怖かったので量っていない)、顔は真っ青になっていたらしい。何が虚しいのか、悲しいのか、自分が悪かったのか環境のせいなのか、多分もう、ぐちゃぐちゃで限界だった。それに気づいたのは、最後の一口のおかげだ。

そのあと、アイスを食べるのをやめた。というか、普通のご飯を食べるようになった。最初は胃が受け付けなくて、お茶碗半分も空けられなかった。でも、とても美味しかったことを覚えている。

母はひと月ぶりにあった私が変わり果てたのを見て、戻ってきた。家から離れている間に、病院を変えて、薬を変えたことで、母は布団にくるまることをやめた。

父はその後一年ほど私に腫れ物に触るような扱いをしていた。ずっと「明るくてお転婆な娘」だと思っていた子が、食事を取らないと決めたら徹底的に取らない頑固者だと知ってしまったのだからしょうがない。ごめんね。

多分私は、これからもガリガリ君ソーダ味がうまく食べられない。きっとまた落としてしまうし、その度に、食べた夏のことを思い出すだろう。それはそれで、なんだか良いような気がしてきた。

コンビニいこうかな。

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