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噛みすぎて味がしなくなったガムでも一年噛めばもはや身体の一部になる

高校生の時、僕は僕の青春を注ぎ込んだ陸上部を引退し、進学するまでの期間、ホテルでアルバイトをしていた。時給が高く、ホテルでの経験は他でも確実に生きるという話を聞いたので、そこに決めたのだ。
ホテルのサービス。宴会・披露宴などにおける食事の提供や、事前のセッティングが主な仕事である。広いホテル内のどこに・何が・どれくらいあるのかを把握する必要があり、更にそこを効率よく行き来しながら、定められた形で会場のセッティングを行う。宴会当日には、料理の作成状況と会の進行状況を常に把握し、適切なタイミングで食事やドリンクを提供する。もちろん最後には後片付けと、その会場で次に行われる宴会のセッティングが始まる。
そこで初めてのアルバイトという事で、僕は足手まといに違いなかった。けれど先輩たちはひとつひとつの仕事や考え方を、丁寧に教えてくれた。そして僕はここで、今も仕事に根付いている考え方を、当時のチームリーダーから学んだ。

それは、「美しく仕事をしなさい」という事。

十数人で、広い会場をバタバタと動き回っている中での言葉だったので、リーダーがこれをどういう意味で言ったのかは、結局のところ分からずじまいだった。この言葉はずっと僕の頭の中に留まっていて、あれから十数年経った今も変わらず反芻し続けている、普遍性のある言葉だと思う。

さて、「仕事が美しい」とはどのような状態だろうか。

美しい、という言葉は主観的なもので、辞書や文脈によって細かな定義は異なるが、おおむね「姿形、色、音などが整っていて、快く感じられるさま」というほどの意味になると思う。この定義から、美しいという言葉は絵画や音楽などの芸術作品や、景色、造形の整った人物などに対して使われる事が多い。いずれも定まった形から大きな変化のない、静的なものが対象である。
しかし、美談や美徳という言葉があるように、美しいという言葉は、概念やイメージ、行動など、動きのあるものに対しても使われる事がある。親切な行いや、気品溢れる所作の人物を見た時、僕たちは躊躇いなく「美しい」と言うことができる。
「仕事が美しい」というのは、このうちのどちらに当てはまるだろうか。僕は最初、会の参加者などのお客様の前では、美しい動きを心がけなさい、という意味で捉えていて、つまり後者の意味で捉えていた。でもそれなら、「美しく動きなさい」でも良かったはずではないだろうか。なぜそうではなく、美しく「仕事を」しなさい、なのか。
やがて僕は、仕事という言葉には、仕事の成果そのもの、という意味もある事を知った。「あのビルは○○さんの仕事だ」というように、建築物や工芸品などに使われるし、僕たちの日常生活においても、このような用法で仕事という言葉を使うことがある。そうすると、「仕事が美しい」という言葉には、動的な意味と静的な意味が共存している事になる。この言葉が持つ意味の深度は、思いのほか深いのかもしれない。

それでは、静的な意味での「美しい仕事」とは何か。それは紛れもなく仕事の生産物であり、結果だろう。テーブルクロスはシワ一つなく、偏りなくひけているか。棚に差さっている本は、大きさの違う本でも等しく見ることができるように、背が揃えられているか。提案したプランは複雑すぎず、シンプルで分かりやすいものになっているか。清掃した箇所は水拭きの痕が残っていたりせず、ホコリやゴミの取り忘れが無いか。
もちろん、お客様に見える範囲だけではない。会計後のお札やクレジットカード利用の控は、整頓して収納してあるか。不要なファイルや資料は処分するかデータ化し、必要最低限にまとめられているか。清掃こそしているが食材が出しっぱなしになっていたり、完全に蓋ができていない鍋が放置してあったりしないか。扉を開け閉めした際などに見えるバックヤードが乱雑な店は、お客様からも信用されにくい。
仕事の成果が「整っていて快く感じられる」のであれば、その仕事は半分成功していると言っていいと思う。いわゆる身だしなみ・制服やスーツの着こなしというのも、この部類に入ると思う。

問題は、動的な意味での「美しい仕事」である。これは結構、言語化するのが難しいし、今も十分結論付けられていない気はする。

ホテルのサービスと言うことで分かりやすいのは、やはり動きである。足の運び方や姿勢、礼の角度、手の位置など。熟練の給仕は、どのような状況であっても、どのような角度から見てもやはり品があり、更にお客様の前のみならず、会場のセッティング時や椅子に座っている時でさえ、凛としていて落ち着きがあるものだ。
この、仕事における品のある動き、というのは実に厄介で、一朝一夕で身につく物ではない。なぜなら、自分の体をはじめとして、食器、商品、什器などという物体を動かす以上、力加減という要素が加わってくるからだ。
僕が働いていたホテルのテーブルは円形で、使わない時や運搬する時には、真ん中で折れてコンパクトになるフライト式のテーブルだった。これを折りたたむ時、重たいのである程度の力がいるのだけれど、想定以上の力が働いて、どうしても大きな音が鳴ってしまう。しかし、ベテランはこれを音ひとつ立てずに、スムーズにたたむ事ができる。こうした動作一つをとっても、仕事の美しさというものに差が出てくる。

動作以外にも、仕事の組み立て方にも美しさは現れる。
例えば、段ボールが二列に詰める台車があるとして、その中に返品する商品をどんどん詰めていき、一箱がいっぱいになったら新しい段ボールを上に載せ、更に商品を入れていくという工程がある。しかし、通常の返品とは別の処理をしなければならないものも存在するため、そのような商品は、オリコンと呼ばれるプラスチック製のケースに入れる事になっている。このオリコンの上には重たい段ボールを載せられないため、常に一番上の段にあるようにする必要がある。この返品段ボールには、不特定多数の人間が商品を入れていく。
(面倒なので図解はしない)
この時、段ボールを片方の列にだけ積み重ねていき、オリコンを少しも動かさないタイプの人間がいる。つまり、片方の列には段ボールが10箱積んであり、もう一列には段ボール一箱だけの上にオリコンが載っている状態だ。これは美しくない。なぜなら、その状態ですぐ台車を移動させる必要がある時に危険だし、もっと後に使う人の為になる載せ方があるからだ。答えは簡単で、段ボールを一ついっぱいにする度に、オリコンをその上に載せ換えることだ。こうすることで、オリコンを持ち上げる力はより高く持ち上げるのに比べて少なくて済むし、台車をすぐに移動させる際もバランスが取れ、倒壊のリスクが減らせる。僕はこの返品段ボールの載せ方に、あの「仕事の美しさ」を感じるのだ。

仕事の美しさと、効率という概念は切っても切り離せない。仕事を簡略化する事という事は、焦ったり急いだりする必要が無くなるという事、つまり動きの美しさにも繋がるのだ。
これはnote読者の皆さまには信じられない事かも知れないけれど、僕の今いるお店には比較的若い世代のスタッフが数十人いて、IDとパスワードを入力してシステムログインする際、マウスを触らずに操作できるのは、僕含めて両手で数えられるくらいしかいない。ましてや、Caps LockをShift+Caps Lockで解除することができるのは、片手で数えられる程だ。ここで重要なのは、Tabキーの存在を教えたとしても、使い慣れないからという理由で、結局マウスでIDとパスワードの入力欄をそれぞれクリックした後、最後にログインボタンをクリックする事を選ぶ人がいる、という事実だ。
僕は「美しい仕事をしなさい」という言葉を、「効率的に仕事を進めるべき」という格律として解釈した。だから、Tabキーに慣れるまでマウスを使いたいという欲求と戦えたし、その後Shift+TabやAlt+Tabなど、脱マウスに向けて一つずつショートカットを覚えていけた。それはやがて、周りの環境もあって小さな自信として積み重なり、新人の頃よりは余裕のある、美しい動きができているのではないかと思っている。

さて、ここまでの説明で、「美しく仕事をしなさい」という言葉は、うまく定義付けられただろうか?

おそらくそうではない。「美しく仕事をする」というアフォリズムには、まだまだ深い意味が隠れている気がするし、ここまでの僕なりの解釈も、お世辞にもまとまっているとは言い難い。
でも、僕はこの言葉によって、仕事の習得やスキルアップ、改善化に対して、人並み以上には積極的に働きかけることができてきた気がする。
そこで思う一番重要な事は、この言葉の意味そのものではなく、言葉の解釈を絶えず行い続ける事によるダイナミクスそのものが、仕事を美しくしていくのではないか、という事だ。
言葉自体は、たぶんなんでもいいんだろう。「目を輝かせて仕事をしよう」でも、「いきいきはたらく」でも、「最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ」でもいい。心に響いた言葉、というとチープな感じはするけれど、結局現場でリフレインするのは、自分自身が思う「心に響いた言葉」なのだ。問題は、それをそのままの意味で捉えるのではなく、常に意味を拡張し、深化させるために解釈する事ができるかどうか。この言葉と解釈の組み合わせによって、人のキャリアやスキル、個性はどのような方向にも伸びていくだろう。あなたが望むものであろうと、なかろうと。

仕事の格言、心に響いた言葉、会社のスローガン。これって結構バカにされているというか、鼻で笑われるというか、胡散臭い感じがするのは確かだけど、案外悪いものではないんじゃないだろうか。

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