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別れる時のために

近いうち、一番弟子が退職する。


これまでも専属で教えた人は数多くいたけれど、人一倍真面目でジョークも通じ、悩みを心置きなく打ち明けてくれるなど、頼りにしてくれていたようだし、こちらも心底頼りにしていた。

一度、辞めたいとなったのだけれど、いつになく引き留めたところ、仕事を続ける決断をしてくれた。

それが本人にとって良かったのか悪かったのか、本当に本人のためになるのかなどと色々考えたが、他でもない僕自身が彼女を必要としていたし、会社からも大きな期待をかけられていたように思う。

それがプレッシャーになっていた部分はあるかもしれない。本人はやりがいを感じると言ってくれていたけれど、本当のところは分からない。こんなご時世でもなければそこら辺の居酒屋に連れて行き、もっと色々な話をしてみたかった。


そんな一番弟子が、近いうち退職する。


理由は家庭の都合。実家に住むご家族の介護のためだという。最初にこの知らせを聞いた時、衝撃もあったけれど、一番大きな感情は悔しさだった。

本人のやる気の問題でもない。仕事の向き・不向きでもない。職場環境や人間関係でもない。家庭の都合という事象が持つ、絶対的な力。その事実がとても悔しかったし、もっと後輩の事を知り、自分の事も知ってもらい、長い時間共に働いてみたかった。


僕はもともと、愛想が良い方ではない。どちらかと言うと、人とは一定の距離を保っておく事がマナーだし、それでこそ良好に保たれる関係があると思っている。向こうから距離を近付けて来る分には全然構わないし、むしろ嬉しいのだが、自分がそれをするのは躊躇われる。昔色々あったからというのもあり、人とある程度以上仲良くなることに対して、人より警戒心を持っている。

けれど、何年も同じ職場で一緒に仕事をしたいと思える人に対して、それではダメだとやっと気付く事ができたのだ。彼女は女性で年下だから、それでもある程度の距離感は必要なのだけれど、もっと関係を深めるための努力や葛藤をするべきだったのだ。

もちろん今からでも遅くは無いのかもしれないけれど、これまでコミュニケーションをサボってきたツケが回ってきていて、どう心を開いていけばいいのか、攻めあぐねている状況だ。

まあ、それでも少しは時間があるのだから、もっと対話をする機会は作れるし、訪れるだろうとも思う。


このいわゆる"ほぼ日"日記は、こうした想いから始めるものである。


人に心を開くためには、まずは僕自身のことをある程度、深く知らなければならないと思う。日々思った事や気になった事を記録していくことで、自分が何を考えやすいのか、何が好きなのか、何に嬉しさを感じ、何に怒りを感じ、何を伝えたいと思っているのかを、洗い出せるはずだ。そうしたら、人に自分の話をしてみよう。もちろん、相手の話もたくさん聞こう。思えば学生時代はそれが当たり前にできていたのだけれども、歳を取るにつれて忘れっぽくなり、こだわりが強い部分も出てきていて、こんな当たり前のことが出来なくなっていた。だから、"当たり前"からやり直そうと思う。

人とはいつか別れる。親しい人ともそうでない人とも、家族とも恋人とも、別れは当然のように、ときどき突然に訪れる。一番弟子とは、もう少しで別れる。だからその時までに、もっと話がしたいと思う。別れるその時の為に、自分の事も相手の事も、もっと知っていきたい。

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