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最強の矛と最強の矛が戦ったら、より闘志の強い者が勝つんだと思います

売れるけど置きたくない本、ありませんか。

毎年ベストセラー1位になるアレ、絵本の世界を返して下さいのアレ、日本すごい系の本、元殺人犯の本、単に嫌いな作家の本、パクリ本、ヘイト本。置きたくない、という理由にもいくつかあると思うけれど、結局は売れるから置かなきゃいけない、そんな事はありませんか。
僕はあります。なぜなら、会社に雇われていて、売れる本を置かなきゃいけないから。どれだけ自分の主義・思想に反していようとも、会社の売上を担保しなければいけないから。他の本で十分な売上が取れればそれで良いんだけど、ただでさえギリギリ前年比割れが続く現状、甘い事を言ってられない。もちろん、店舗の一等地に平積みなんてことはしないけれど、他でもない自分自身が作る棚に、その本が差さるという事実がキツい。
じゃあ自分で店やったらええやん、という発想もある。ただ実際のところ、独立系書店って話題にはなるけれど、それ一本で食っていけるほど甘くないのが現実で、他に本業があったり、極めて優れたアイデアによって、全国にファンを作れるくらいのクオリティや、マーケティングスキルがでないと厳しい。しかも僕は地方都市在住で、市場規模もそんなに大きくない。僕がいま持っている武器では、自分と奥さまと、近い将来生まれてくるであろう子どもを養っていく事は、難しいと思う。
色々言い訳をしたけれど結局のところ、仕事に対する誇りと生活という二者択一で、僕は後者を選んだってだけの話だ。

けれど、そんな僕でも甘んじて葛藤を受け入れるだけではない。この問題に対して、僕には僕なりの向き合い方がある。置きたくないという本には、大別して2パターンあると思う。
①内容・作家が好みではない
②内容・作家の思想が特定の人たちを傷付ける可能性がある

①内容・作家が好みではないという場合。例えば僕が、村上春樹氏の作品を全然面白くないし嫌いだと思っているとしても、いち新刊書店の、それも全国チェーンの会社人であるならば、絶対に置かなくてはならない。
好みでないから商品を仕入れなくて良い、と言う事例をスーパーに例えてみよう。野菜が嫌いだから、野菜は置きません。魚が嫌いだから、魚は置きません。お菓子は、身体に悪いから置きません。こんな理屈が通るだろうか。もちろん、そんな店は早々にお客様に見切りを付けられてしまうであろう事は、誰にでも分かりきっている。これは書店においても同じ事で、ニーズのある本なのに、担当者の好みによって置かないという判断をしてはならない。これは、いわゆる宗教書やスピリチュアル的な本にも、同じ事が言えると思う。
それでもやっぱり、こんな本を売りたくないというのなら、方法はただ一つ。自分が好きな本の方が圧倒的に売れるような店にして、なおかつ、嫌いな本を置かない事による減益をカバーする程の、経常的な売上を作るしか無い。そして僕は、そのための方法を今のところ知らない。つまり、自分の内なる声が「これは好みではないから売りたくない」と呟いていたとしても、「甘えるな」と言ってやらねばならないというわけだ。

②内容・作家の思想が特定の人たちを傷付ける可能性がある場合。今までぼくが出会ってきた例は先程挙げた通り、特定の国や国民を貶める内容のヘイト本、元殺人犯の自著、剽窃本、子どもにトラウマや恐怖心を植え付け、なおかつ母親が被る必要の無い責任を生み出して押し付ける絵本、女性を性的に消費するアイテムとして扱っている本などだ。
日本においては、憲法第19条で思想・良心の自由が保障されており、その限りこうした本の存在は許されなくてはならないのは確かだ。しかし、その本の存在が他者を傷付け、書店という場から排除してしまう恐れすらある事も、認めなければいけない事実だ。この点に関しては下記URLに、議論のポイントがよくまとまっている。
http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/honyatocomputer167.htm

心情としては、こうした本を置くべきではない事は明白なように思う。問題は、こうした背景を理解していても、その本を並べなければならないシチュエーションがある事だ。実際、見計らい配本された本は請求されるし、デッドストックにするわけにもいかない。この辺りの事情はこちらを参照されたし。
https://finders.me/articles.php?id=1675

いずれの議論にも共通して言えるのは、ヘイト本の問題は業界のシステム的な課題である、という認識だ。一時的な利益を生むために無責任な本を作り、実情に合わない配本をし、疲弊した書店員は来た本をただ並べる。確かにこんな歪んだシステムはそのうち改革されるべきだし、それができないのならいっその事爆散して、新たな仕組みを構築してしまえばいいとも思う。
けれど僕は、今のところ何の権限も持たないただの書店員だ。重要なのは、今現在「その本」を取り扱う時に、どうしたら良いかという事だ。

僕はまず、平台には絶対に置かないことにする。10冊配本されようが100冊配本されようが、棚に1冊差しておけば、会社の売上に対する面子は保てるからだ。売れてしまったら、またストックから一冊だけ持ってくれば良い。
次に、その逆を行く思想の本をすぐ近くで平積みにしてやる。月に一冊しか売れなくても良い。ヘイト本の賞味期限が切れて返品できるその時まで、ずーっと平積みにしておくのだ。平台というのは、全てが売上好調書ばかりではない。1〜2タイトルくらい、その本の存在が店の・担当者の意志を表しているような、いわば看板のような本を置いている方が良く、かえってその方が他のタイトルを動かしてくれるものだ。

なんだか思い切りの悪い、中途半端なやり方に見えるかもしれない。でも、雇われ書店員の限界って案外こんなものだと思う。声を上げ続ける事で、会社や提携企業を動かすというのが理想ではあるけれど、僕らは弱い一般人だ。今できる事の範囲の中で、最大限の抵抗ラインはこの辺になるだろう。
そして、いま日本の会社はとにかく「炎上」を恐れている。うっかりヘイト本を平積み多面展開でもしようものなら、懸命な読者によってあっという間に拡散されて、お店の信用は失われるだろう。もしあなたがヘイト本を嫌い、こういう行動を取った時に、上司が「売上」という矛でつついて来たのなら、こちらは「炎上」という矛で斬り返してやれば、多分大人しくなるんじゃないだろうか。そこはあなたの/僕の意志次第だ。

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