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男の仕事と生涯 Essay

長年にわたる自己探求の旅の中で、私は自分の生き方について深く考えてきました。77歳の大台が目前に迫る今、ようやく自分なりの答えを見つけ始めたような気がします。

現役を引退した時、私は自分に一つの誓いを立てました。「もう幸せになろうとはしない」と。この誓いは、私の人生における深い懺悔の表れです。
切っ掛けは、ある日、昔の仕事仲間と昔話をしていたとき「鬼のように恐れられていた」と聞いたことです。全身から血の気がなくなる程の衝撃のことばでした。みんなで仕事に挑戦し、楽しくやっていたと思っていた・・・

若い頃、私は仕事に生きがいを見出し、それを周りの人たちにも求めていました。その当時、それが自然なことだと思っていましたが、実際には私は世間知らずであり、人の心を理解していませんでした。その結果、仕事中心の生活を送り、他人の意見に耳を貸さない独善的な人間になってしまいました。独立した時に初めて、他人がどれほど苦労しているかを知り、自分がいかに厳しい人間だったかを深く理解しました。利用されたり、騙されたりする経験を通して、自分の行動がどれほど罪深いものだったかを知りました。

昔のスタッフに対して懺悔したいという強い願望がありますが、それを実現することはできませんでした。そこで、「幸せになることを諦める」という決断をしました。苦労を通じて、「これが私が他人にしてきたことだ」ということを深く理解しました。この苦労を受け入れることで、私が他人にしたことへの謝罪とすることにしました。これが、今の私にできる唯一のことだと思います。

私は自分の人生を振り返り、なぜこんな人生になったのか、そしてなぜ仕事で大きな成功を収められなかったのかを考えました。答えは意外にもシンプルでした。私は実は成功を本心から望んでいなかったのです。職人的な仕事は好きでしたが、一つのことに長く集中することができませんでした。いつも新しいことに興味が移ってしまう性格です。これが、未完成のプロジェクトに魅力を感じる理由でした。私の関心は常に「成長と努力」にありました。完成品よりも、成長過程における挑戦が楽しみでした。できないことに挑戦することで、わくわくするのです。ある程度上達すると、新たな挑戦を求めてしまいます。成長の過程そのものが、私にとっての最大の楽しみでした。

人間関係においても、私は「完成した人間」よりも、「成長中の人間」に関心があります。美しいものは好きですが、それ以上に、努力している人に惹かれます。努力する姿勢が、人を美しく見せると私は信じています。

そんな私が選んだ最後の決断は、自分の身体を医学の進歩のために献体することです。これは誰にも迷惑をかけずに、最後に自分らしい贈り物をする方法だと思っています。

そして、死後の世界がどうなっているのかを知ることができるのは、ある意味で最後の大きな冒険です。好奇心が私をここまで導いてくれましたが、その答えを知ることで、ようやく心を落ち着かせることができるでしょう。

こんなことを書くべきではないかもしれませんが、自分の存在をどこかに残しておきたい、そんな気持ちからこのエッセイを書きました。長い間、私は自分の生き方、自分自身の存在意義について問い続けてきました。そして今、この文章を通して、少しでもその答えに近づけたような気がします。

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