高校野球に学ぶ、成果を出すチームマネジメント-高校野球監督列伝-

「苦しい時期を乗り越えることができたのは、他でもない、ここに甲子園があったからです」

今年も、暑い暑い夏が始まりました。
この言葉は、横浜高校の玉城キャプテンが、開会式の選手宣誓で述べた言葉です。
高校野球ファンである身からすると、とても心にグッとくる言葉であり、"甲子園"という場に魅せられ続ける理由でもあります。

そして、今でこそニュースで取り上げられるようになりましたが、
高校野球の世界には、数々の名将が存在しています。基本的には「教職者」でもあります。
でもエピソードを聞いていると、とんでもなく有能なマネージャーだったりします。精神的にもまだ未熟な高校生と日々向き合いながら、ぶつかりながら、時には恨まれながら、「甲子園」という夢舞台を目指して試行錯誤をし続けています。
まさに現場で培った力。それこそ、巷に出回っているビジネス本より、何百倍も参考になる。それなのに、ファン以外の人間にとってはあまり知られていないお話が多かったりします。

というのも、プロ野球の監督とは異なり、高校野球の監督は”日陰の存在”であろうとします。
生徒が主役であるし、生徒を育てることが仕事であるし、自分が目立つことを決して望んではいない。
そして、多分これが一番大きいと思うのですが、ご本人たちは「特別なこと」をしている認識がないのだと思います。
何なら「当たり前のこと」をし続けているだけなのだと思います。

でも、その「当たり前」の中には、企業人こそ見習わなければならないことがゴッソリ潜んでいる。
それを忘れてしまっている・置き去りにしてしまっているから、マネジメントがつまらないものに映ってしまう、そうとすら思います。

その循環のない世界は勿体ないなと、届けるべき人には届けたいなと、
そんな思いを込めて、そんな内容もお伝えしていけたらと思います。


監督のマネジメント論ではないですが、
沖縄本土復帰50周年の今年、高校野球を観ているとどうしても思い出してしまうお話。

沖縄県の名門で「沖縄水産」という高校があるのですが。
沖縄の皆さまからすると、本土の超えられない壁、本土との実力差、様々な要因から、「沖縄の高校は甲子園で勝てない」が通説だった時代に、「沖縄野球は全国でも通用するんだ」と全国に認めさせた高校。
そして、それを率いていたのが栽弘義監督です。
(桑田・清原率いるPL学園が、世の中に旋風を巻き起こしていたまさにその時代、沖縄水産は負けじと輝いておりました。)

私の中でも栽監督の印象が強くて、沖縄と言えば沖水、とファン目線で思いつつ。とはいえ、沖縄野球にそれほど特別な思いを抱くことはなかったのですが、それを一変する出来事。

2008年センバツ、沖縄尚学が優勝したその時、私は沖縄県の与那国島に旅をしておりました。
島の小さなカレー屋さんでは、高校野球の映像を流していました。高校野球好きな私としても、とても有難い状況。いつも通り胸を躍らせながら観戦していました。

そして優勝が決まった瞬間。
その場にいた島の方々が、こちらが想像している以上に歓喜し、中には涙し、店内の拍手ずっと鳴り止まず。
その状況に少し気圧された私が、恐る恐る「おめでとうございます」と伝えると、
「沖縄野球がここまで来れたのは、栽監督のおかげ」「沖縄水産がいなかったら、全国で通用することもなかった」「これで本土と引けを取らなくなっった」
そんな言葉が溢れてきて、これまでどれだけの思いを抱えてきたんだろうと、胸が詰まらされる思いでした。と同時に、栽監督はどれだけのものを背負っていたんだろうかと。

残念ながら今は故人となってしまいましたが、いつの日かその思いに、触れられる日が来ることを願って。

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