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ざっくり!日本美術史 室町Ⅲ

ざっくり!日本美術史、室町時代の最終回です。

今回は応仁の乱以降の室町美術についてご紹介します。

これまでの日本美術は、朝廷や幕府といった為政者周辺で作られることが一般的でした。

どんなに腕のいい絵師や仏師も、パトロン(発注者)がいないと食べていけません。古代から美術と権力は常に近い位置にあったのです。

しかし、室町時代後期になると貴族や武士でもない町衆が美術の担い手として登場。都市は貨幣経済の発展を伴って成熟し、富を蓄えた町衆は美術のパトロンとなりました。

制作者側も多様なニーズに応えられるよう、様式のレパートリーを増やしたり、制作体制を整えていきました。

室町後期の美術

15世紀後半、京都では応仁の乱が勃発。

将軍の後継者問題に端を成すこの争乱は、幕府勢力が東西に分かれ各地の守護大名を巻き込む形で長期化。約11年間に及び京都が戦場となりました。

京都の街は灰燼に帰し、幕府権力の失墜。
その一方で、加担した諸国守護大名が徐々に勢力を拡大していきます。

下克上で権力を競い合う戦国の世の始まりです。

文化の担い手も幕府から各地の守護大名へと移っていき、大名の庇護を受けて地方で活躍する絵師や画僧も登場します。

応仁の乱以降、京都の街も復興します。
新たに文化の担い手として登場したのは町人です。貨幣経済が急速に発展し、都市部の商業で財を成した町人は美術の発注や収集を行うようになりました。

京都の自社の多くも建築が消失しましたが、復興事業として寺社縁起の制作が盛んになります。

これらの制作に当たったのが、幕府で御用絵師をしていた土佐派や狩野派の絵師たちでした。


雪舟と水墨画

禅宗美術は引き続き制作されます。

幕府の庇護を受けていた京都五山の権力が低下する一方で、五山に属さない大徳寺妙心寺といった寺院が力を付けてきます。

大徳寺の再興を担った一休宗純は従来の価値観や禅宗の体制を批判し、以降の禅宗に影響を与えてました。禅宗の画僧も幕府ではなく各地の大名と結び付きを強めていきます。

水墨画(山水画)を大成したことで知られる雪舟は、相国寺で周文に師事します。のちに大内氏の援助で明へ渡り絵画を学んだあと、大内氏の本拠地である周防(山口)で活躍します。

水墨画とは墨の濃淡だけで表現する中国の墨絵のことで、山水画・花鳥画・人物画などのジャンルがあります。

雪舟は広いジャンルを手掛け、山水画では「四季山水図」「天橋立図」、人物では禅宗の始祖とその弟子を描いた「慧可断臂図」が有名です。

同じく地方で活躍した画僧に建長寺の祥啓がいます。
彼は京都で芸阿弥に師事し南宋時代の夏珪様を学び、鎌倉に戻って活躍します。

明や京都の文化を学んだ彼らに続くように、個性的な画僧が各地で活躍するようになりました。関東では「呂洞賓図」を描いた雪村が有名です。


■ピックアップ作品
・雪舟「四季山水図(山水長巻)」(1486年)
...約16mにもおよぶ春夏秋冬の山水を描く
・雪舟「慧可断臂図」(1496年)
...中国禅宗の開祖とされる達磨と弟子の慧可を描く
・雪舟「天橋立図」(16世紀初頭)
...丹後の天橋立を鳥観図のような視点で描いた水墨画
・雪村「呂洞賓図」(16世紀中頃)
...唐代の仙人を描いた作品


土佐派の誕生

室町時代には狩野派と土佐派、2つの絵師流派が登場します。

土佐派は室町時代初期の藤原行光から始まります。
北朝時代から朝廷の絵画制作を行う絵所預を歴任しました。加えて将軍家の絵画制作も引き受けるなど、室町時代を通して活躍した流派です。

得意とするのは平安時代に誕生したやまと絵
流派のなかで異なる3つの工房を持っていたことが特徴で、画風が異なる複数の工房がしのぎを削り、多様化するニーズに応える役割を果たしていました。

古典的な表現を室町時代の好みに合わせ再生させた土佐派。土佐行広が基礎的な画風を確立し、土佐光信が水墨画の技法を織り込むなどして新しいやまと絵の技法へと発展させました。

■ピックアップ作品
・土佐光信「清水寺縁起絵巻」(1517年)
...やまと絵の技法に漢画の技法を織り交ぜた作風

狩野派の和漢融合

狩野派では応仁の乱直前に狩野正信が登場します。
将軍家の御用絵師に任命され、応仁の乱以降は商工業者など新たな顧客層を開拓することに成功。以降、桃山から江戸にかけて日本最大の絵師流派として組織を拡大していきました。

狩野派の画風は和漢融合
当時流行していた水墨画の力強い表現と、やまと絵の色彩感覚を融合させた表現が特徴です。正信の子である狩野元信は狩野派の画法を明確化し、システム化を図ることで作品の量産化を成功させました。

応仁の乱以降の大寺院の復興事業として、障壁画や縁起絵巻を多く手掛けます。これらのノウハウは狩野秀頼や狩野永徳引き継がれ、のちの桃山時代では安土城や聚楽第の障壁画などの制作を任される一大画壇へと成長していきます。

■ピックアップ作品
・狩野元信「四季花鳥図」(16世紀前半)
...水墨画の構図とやまと絵の色彩を調和させている
・狩野元信「釈迦堂縁起絵巻」(1515年頃)
...清涼寺本尊の縁起絵巻で風景には水墨画の影響もみられる

ナタデココをこよなく愛する旅のひと。