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ざっくり!日本美術史 江戸Ⅲ

今回は江戸時代の3回目。
多様化する江戸後期の美術を紹介します。

ざっくり!日本美術史の連載も今回が最終回です。
 

異国への関心

鎖国をしていた江戸時代でも、
中国とは定期的な交流がありました。

中国芸術の様式や画派に影響を浮けた人を文人と呼びました。これらの人々が描いた絵画を南画文人画がと言います。

その一方で、オランダ経由で西洋画の技法も伝わります。

京都の円山応挙司馬江漢正遠近法を用いた表現を実践し、関東の文人画を大成した谷文晁は幕府の命で西洋画法を用いた海外線の写生を行いました。

■ピックアップ作品
・池大雅「浅間山真景図」(18世紀)
...大雅は日本南画の大成者。実在の場所を描く真景図を多く手掛け,日本各地を巡って作品を残した
・与謝蕪村「夜色楼台図」(18世紀)
...漢詩の一場面と京都東山の景色を重ねた作品,蕪村は俳人だが,漢詩や水墨画などの表現も得意とした
・小田野直武「不忍池図」(1770年代)
...秋田藩士の小田野は平賀源内に洋画を学び,杉田玄白「解体新書」の挿絵を担当した

奇想の画家たち

江戸中期以降になると、新しい個性を打ち出した絵師たちが次々と現れます。

従来の伝統技法や美意識とは異なる、型破りな作風で著名なのは伊藤若冲や曾我蕭白らです。

京都青物問屋出身の伊藤若冲は動植物を色彩豊かに描く作風で動植綵絵を完成させます。

京都の商家出身の曾我蕭白は、中国趣味のグロテスクな人物描写などの異様な画風は怪醜と評されたました。

これらの絵師は当時は変わり者扱いされており、つい最近まで美術的な評価をされていませんでした。

近年「奇想」の絵師として再評価したのが辻惟雄で、著作『奇想の系譜』では若冲や蕭白,岩佐又兵衛といった画家の作風を「奇想」と称して紹介。若冲ブームなど後年に大きな影響を与えました。

■ピックアップ作品
・伊藤若冲「動植綵絵〈紫陽花双鶏図〉」(18世紀中頃)
...相国寺に奉納された30幅の着色画

・曾我蕭白「寒山拾得図」(18世紀中頃)
・曾我蕭白「群仙図屏風」(18世紀中頃)

浮世絵と江戸文化

浮世絵とは、木版画肉筆画から成る絵画表現です。
特に大量増刷が可能な木版画は、廉価で手に入りやすいことからも都市の庶民を中心にブームが起こりました。

18世紀中頃には多色刷りの錦絵が登場。
画題は歌舞伎の役者絵や美人画、のちに風景画などが中心です。美人画は喜多川歌麿、風景画であれば葛飾北斎歌川広重が有名です。

浮世絵には版元という職業が欠かせません。
版元は絵師・彫師・摺師を統括し、絵師や題材の選定を行うなどプロデューサー的な役割も担いました。特に蔦屋重三郎は葛飾北斎や東洲斎写楽など人気絵師を抱えるプロダクションシステムを確立しました。

浮世絵は明治初期まで制作されますが、幕末から明治初期にかけてはメディアとしても機能しました。なかでも河鍋暁斎小林清親は世相を風刺的に描き出しました。
 

■ピックアップ浮世絵師
・菱川師宣
...最初の浮世絵師、肉筆と版画の双方向で展開
・鈴木春信
...瀟洒な色彩表現と中性的な人物表現が得意
・喜多川歌麿
...美人画が得意、上半身のみを描く大首絵
・東洲斎写楽
...役者絵を得意、歌舞伎役者の特徴を端的に描く
・葛飾北斎
…冨嶽三十六景や北斎漫画などジャンルを問わず制作
・歌川広重
...「東海道五十三次」を大成した歌川派の絵師

ナタデココをこよなく愛する旅のひと。