野菜にとっての望み
今年も残すところあと2週間と少し。
やること・やりたいこと、ガンガンやってすっきり新年を迎えたいですね。
さて、意識に余裕が無くミニトマトをだいぶほっぽらかしにしてしまいました。久しぶりに畑へ行くとかなりとっ散らかった状態に…。
「ごめんなさい…」と周りの方々に心の中で謝りつつ片付け。
この時期でもまだ青いトマトが沢山残っています。
毎年のことですが、その状態で片付けるのがどうも心に引っかかり、ズルズルと先延ばしにしてしまうのですが、さすがに年を越すわけにもいかず…。
作業していると少し先の畑を使っているおばちゃんが通りかかって「あらー、トマトがかわいそうねぇ。でも(自治会の)会長さんだから忙しいし仕方ないわね。」と言われてしまいました。
散らばるトマトを前にそう言われてもまったくもって仕方ありません。
「いやー、散らかしっぱなしですみません」と返すと立派な大根をくれました。
皆さん優しい方ばかりです。
とはいえ少し引っかかることがありました。
地面に散らばるトマトはかわいそうなのかと。
野菜を育てている方からすると当然の感想です。
食べられるのにもったいない、野菜への愛情がない、と思われても仕方ありません。
でも私の感覚は少し違いました。
元ネタがうろ覚えなのでハッキリとは書けませんが、「野菜は子孫を残すために、残す株を選んでいる」という言葉がありました。
全部は生き残れない、だからこそ虫に食われる株と守る株を分けている、というものでした。
大豆でそれを強く感じました。
今年は虫が多かったのですが、ほとんど食べられている株と無傷の株がクッキリ別れていたのです。
守る株には防御する成分が出ているのでしょうか。
野菜の望みはタネを残すこと。
そのために様々な戦略を駆使しています。
残せる種はごく一部。
その他のタネは無駄ではなく、畑の肥料として土に帰ります。
なので、畑に散らばったトマトたちもやがては土となり、豊かな実りの土壌として次の世代に繋がっていくと考えると全然かわいそうではないと感じていたのでした。
それどころか中には野生化してたくましく生き残るモノも出てきます。
しっかりタネを繋いでいくこと。
それが野菜の望むことなんじゃないかと思うのです。
ちなみに取れすぎたからといってキャベツなどをトラクターで潰すのは本当にナンセンスだと思います。
タネを実らせるまで置いておくならまだしも、人間の都合でただ潰されるのは野菜に対する冒涜だと思います。
これは農家さんが悪いというより仕組みが悪い。
…とはいえ毎日のように野菜の世話をしている方々からすると単なる言い訳にしか聞こえないかと思います😔
そりゃそうだなとも思います。
次のシーズンはもう少し意識を向けてあげたいですね。
でも畑をするハードルは少しでも下げたいと感じています。
これだけ生産者と消費者がくっきり別れていると色んな問題が起きます。
畑を始めるにはとても気軽にとはいかないのが現状です。
毎日畑に行くなんて無理…。
色々用意しなきゃいけなくて大変そう…。
何をどうしていいかわからない…。
そもそもどうやって借りたらいいのか…。
そんな人でも気軽に始められるようになったらいいなと思います。
(簡単に畑を始める記事はコチラ↓)
自然栽培とほっぽらかしの間③〜実践編 其の弍〜|自律整体めぐりや
正直畑をする者として全くほめられた状態でない私ですが、それでも恐れず「とりあえずやってみる」ことの大事さを感じています。
野菜が育つ姿を見ると、自然に農家さんへの敬意が湧いてきます。
そして食べ物が単なる工業製品じゃない、生きたものなんだという認識が持てるようになります。
経済的だから、という理由をはるかに凌駕した価値がそこにあると感じています。
皆さんもぜひ、タネが繋ぐドラマを体感しつつ野菜の持つストーリーをぜひ味わってみてください。
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