子どもを育てるのは誰か
とある土曜日。
たまたま休みで妻は仕事。
自治会の仕事をやっつけ、そろそろ昼ごはんでも作るか…と思った矢先に「ピンポーン」とインターホンが鳴った。
どうやら息子(小2)の同級生が遊びに来たらしい。
「遊べますかー?」と元気のいい、ヤンチャそうな少年だ。
「いいよー」と二つ返事で家に入れたが、なんだか引っかかった。
時間はAm11時過ぎである。
妙に中途半端な時間だ…。
「昼ごはんはどうするの?」と訊くと「昼は食べない」という。
「お父さん、お母さんは家にいるの?」
「お父さんは仕事でお母さんは買い物、お兄ちゃんはサッカー」
「いつも昼は食べないの?」
「そういうわけじゃないけど…」
うーむ、なんかしっくりこない。
「ご飯食べるかい?」
「うん!」
お腹は空いていたようである。
(もちろんアレルギーは確認する)
というわけでパパッと親子丼を作って一緒に食べた。
途中更に1人現れたがそやつは食べてきたそうである。
(というか昼時に来るなよ…)
話を聞いているとお父さんは大きな会社で働いているらしくお金に困っているわけではないらしい。
でも習慣的に昼を食べない、というわけではない様子。
そんなに深く突っ込んでも仕方ないのでその辺りにしたが、どうにもしっくりこない。
食事というものをおろそかにしているようにしか思えない。
実は子どもの遊び友達でご飯をしっかり食べていない子は今までも何人かいた。
どちらかというと経済的に余裕が無い様子の家庭だった。
子ども食堂のように積極的に「食べにおいでー」と特別に声をかけるわけでもなく、遊んでいる時に食べていないようなら「一緒に食べていきなー」という感覚で声をかけてきた。
色んな価値観はあっていいけど、やはり食事は大事にしてほしいなぁ、と思う。
子どもはもちろん大人も。
お金のあるなしに関わらず。
そして食べていない子にご飯を出すことに「えー、自分ならそんなことしないなー」という方もいると思う(実際にそう言われたこともある)。
正直、私はうちの子・よその子、という分け方をあんまりしていない(もちろんそれなりにはしているけれど)。
よく言えば分け隔てがないし、悪く言えば自分の子へのこだわりが相対的に薄いと言えるのかもしれない。
けっこう本気で子どもは「人類の共有財」と思っている。
だから自分の子だろうがよその子だろうが言うべきことはしっかり言うし、ご飯だって出す。
その子の親がお礼してこようが何も言ってこなかろうが、全く関係ない。
大事なことはその子が社会に生きる上で大切なことに気付くかどうか、だから。
玄関で靴を揃える、トイレに行きたい時は「貸してください」と頼む、のどが乾いたら「お水ください」と言う。
冷静に、どうして大事なのかを伝える。
伝わるかどうかは分からない。
でもいつか「あぁ、あの人あんなこと言ってたなぁ」と無意識レベルに残ってくれたら、と思う。
子どもを育てるのはすべての大人である。
もちろん普段関わる大人(だいたいは親)の影響は甚大。
でも色んな大人が関わって色んな生き方を目の当たりにしたほうが方が子どもの人生は豊かになるに違いない。
色んな人がいて、色んな生き方があって、それでいい。
たとえレールが敷かれていても、それは無数の選択肢の中の一つに過ぎない。
本来はすべて自由であるし、すべて自分の選択の上に今がある。
そんなことに少しでも気付いてくれたら、と思う。
気が付けば卒業シーズン。
どうしようもなく悲しいことも多いこの世の中だけれど、少しでも希望を持って大きくなってほしいなぁ。
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