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雨音とコーヒーの話

ポタポタ…しとしと…サー・・・

小雨か霧雨か、意識しないと聞き取れないほどの雨音が大好きだ。どんよりとした仄暗いような曇天も私には優しく見える。これは幼い私と母ちゃんのお話。

私には一つ下に妹がいる。心臓に重い病気を持った妹が。年子なので物心がついたころにはすでに居たのでそういうものだと納得していた。

いつ、どうなってしまうか分からない発作に両親はいつも振り回されていた。遠くへは遊びに行けない、発作が起きたら即病院へ直行、妹中心に生活は回っていた。これも当たり前のことと不満を感じることなくそういうものだと納得していた。

妹は事あるごとに入退院を繰り返した。当時私は小学校へ入学したばかりだったが、妹の入院生活に母ちゃんは付きっきりで、あまり家には居なかった。日中はおばあちゃんが私の面倒を見てくれていた。それでも、たまに家に母ちゃんが早く帰ってくると嬉しかった。一体、いつ寝ているのだろうと思うくらい母ちゃんは動き回っているように見えた。

妹の病状が良くないことは何となくわかった。母ちゃんの必死さが見えるのだ。気が気ではないという表情が、「いつもそばにいてあげられなくて、ごめんね。」と私を気遣う言葉の中にも見え隠れする。「潤ちゃん(妹)元気?」不安でつい聞いてしまう。「うん。元気だよ。」悲しそうな視線。まっすぐ私を見ない。「ごめんね、潤ちゃんが待ってるからもう行くね。」そそくさと着替えやらを持って家を出る母ちゃん。こんなやり取りが日常だった。

ある時、たまたま家に母ちゃんが居た。私は久しぶりに母ちゃんと居れることが嬉しくて、友達とは遊ばず家にいることにした。特に何をするわけでも無く、ただ、母ちゃんと家に居れればそれだけで私には貴重な時間だった。二人でテレビを見ていると海外旅行のCMが流れた。マリンブルーの海と眩しいほどの日差しが真っ白な砂浜を際立たせ、開放感たっぷりの情景がそこに映された。思わず私は「こんな所に行ってみたいねー。潤ちゃんの病気が治ったらみんなで行きたいよねー。」と何気なく呟いた。

すると母ちゃんは「お母さん、こういうところよりも家が良い。そうね…例えば雨が降っていて、スッキリと片付いたお部屋で、クーラーが効いていて、それでお風呂上りで、熱いコーヒーを飲んで、ゆっくりと雨音を聞きながら過ごす…そんなゆたぁぁあ~っとした時間が持てたらサイコーだな。」

6歳の私には、ちょっと良く分からない条件だと思った。        正直、母ちゃんカタツムリみたいだと思った。でも、大好きな母ちゃんが言うのだから、それもサイコーなんだろうと鵜呑みにした。私にはキラキラした海の方が断然魅力的だったけど。

その後も妹の状態は安定しないようだった。夜中に父ちゃんと母ちゃんが妹の事で言い争うことが増えた。争う声で目が覚める。二人とも長い闘病生活と妹が死んでしまうかもしれない恐怖で精神的に疲れ切っていたのだが、当時の私には二人ともが辛そうだということくらいしか分からなかった。母ちゃんはますます家にいない状態が続いた。帰ってきても、すぐに着替えをもって出て行ってしまう。何か一言でも話がしたくて駆け寄っても「いつも一人にしてごめんね、お姉ちゃんがしっかり者でお母さんすごく助かってる。本当にありがとう。」と先手を打たれてしまうので、「うん。潤ちゃん早く良くなるといいね。いってらっしゃい。」としか言えない。

やつれた母ちゃんの顔をみると何も力になれない非力な自分が小さく見えて、無性に心細く感じた。

ある小雨の舞う、どんよりした午後。学校から帰った私は雨が降っているので外にも遊びに出られず、一人で宿題をしていた。おばあちゃんはどこかへ出かけているようだった。突然、母ちゃんが帰ってきた。早い帰宅に喜んだのもつかの間、「お風呂入るのと、着替えを取りに来ただけだからすぐに病院に戻らないといけないの。一緒にいてあげたいけど、ごめんね。」と、バタバタとお風呂場へ行ってしまった。

ポツポツ…ポタポタ…しとしと…どんより。

私は今だ!と直感した。母ちゃんの、キラキラビーチよりも価値のある場所はこの条件だ!リミットは母ちゃんが風呂からあがるまでだ!

私は超高速で部屋を片付けた。クーラーを効かせ、熱いコーヒーを淹れた。インスタントしか作れなかったが、母ちゃんはいつもブラックコーヒーを飲んでいたので分量は適当で、とにかく苦ければ大丈夫という謎の自信があった。

しばらくすると母ちゃんは風呂からあがってきた。「母ちゃん、あのね…」私が話しかけると母ちゃんは余程急いでいたのか私の言葉の上から「ごめん、お母さん今時間がないの。急いでいるから話はまた今度に…」

髪の毛を拭きながら母ちゃんは居間に入ってきた。クーラーの効いた、掃除された部屋に淹れたてのコーヒー。外は淡々と降りつづける小雨。

母ちゃんは話すのを止めてすとんとソファに座った。そして湯気のたつマグカップを手に取りコーヒーをゆっくりと飲んだ。           「ふゎ~…美味し。。。。」                     雨粒の滴る窓の外へ視線をやり、しばらく二人で雨音を聴いた。

ものの5分か10分か…わずかな時間だったが、母ちゃんはゆったりと構えてコーヒーを飲みほした。そして私をまっすぐ見据えて言った。

「とっても元気出た。こんなに美味しいコーヒーはお姉ちゃんしか淹れられないね。優しい気持ちが入ってる。お母さんはそれがすっごく嬉しいよ。ありがとうね。」母ちゃんは優しく私を抱き寄せた。

「母ちゃん、母ちゃんはカタツムリみたいだね。」思ったことを言う私。

「そーなの、お母さんは前世はカタツムリなんだよ。」

「え?じゃあ私は前世がカタツムリだった人の子?なんかヤダ。気持ち悪い。」・・・子供は正直である。

二人で笑ったとある雨の午後。やさしい時間。ゆるい思い出。

雨音は、ずっと聴いていたいほど優しかった。




#雨の日をたのしく

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