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「居るだけでいい」仲間とは

学生の頃は、友達とただ一緒にいるだけで楽しかったけど、大人になるにつれて共通の目的の無い人間関係は、継続しなくなります。仕事をしなくなった時や、特に目的のない生活をするようになった時、私たちの人間関係はどうなってしまうのでしょうか?

人間関係の期限

どんなに協力しあっていても、仕事でつながった人間関係は有限です。業務やプロジェクトが完了すると解散します。
そして私たちは、仕事をしていく中で共通の目的の無い相手とはコミュケーションをとることが苦手になります。そういった人とは、2人きりでいると何を話して良いかすら悩みます。一生懸命共通の話題を探そうと右往左往しています。

話は変わりますが、私の子供はまったくの知らない子と友達になるのが上手です。気づいたら公園で知らない子と友達になっています。
「どうやるの」と聞いみると、何となく距離を近づけていくのがコツらしいです。良く観察していると、自己紹介も無い状態で、何となく近づいていく、何となく追っかけあったりしていて、何となく輪に入っている。そのうち気づいたら一緒に遊んでいて、お互いの名前を教えあって友達になっているのです。子供ってすごいなあー。大人がやったら完全な不審者ですよ。

居ることが普通、受け入れることからスタート

気づいたことは、子供たちは一緒に居ることから関係がスタートして、そして遊ぶようになります。そのうち友達になるのです。
一方、大人の人間関係は、目的のために人選されてチームや同僚になることからスタートします。はじめに仕事があります。ですから仕事があるうちは、一緒に居ることができますが、仕事がなくなると一緒に居にくくなります。私たちは、そういう日常を繰り返して、最終的にどうなりたいのでしょう?

居るだけで良い仲間とは

私は、大人になって社会人向けの大学の講座をとりました。有名な青学WSDです。卒業して何年か経ちましたが、そこで知り合った皆さんは、今でも懇意にしてくださます。私も皆さんのお力になりたいので、毎年1度は、FBグループで通知をして、イベントや食事会を企画して集まる機会をつくります。

「集まる為に集まる」目的のない会です。

それでいいのです。もちろん来なくても大丈夫、来たら大歓迎です。
私もそうでしたが、何となく一緒に居ることが普通になると、そのうち一緒に旅行に行ったり、仕事の相談をしたりして仲間になるのです。
ですから、目的なく集まれる場があれば、そのうち関係ができていくのだと考えています。

まとめ

大人になると、どうしても目的意識を大切にします。これは「なる」→「する」→「居る」の順番で人間関係を構築する習慣があるからです。ただ目的や仕事ありきの人間関係は、仕事がうまくいった時にしか一緒に居続けられません。

一方、「居る」から始めても結局、何か一緒にやりたくなったり、何かをするようになり、仲間になります。「なる」「する」を手放して、まずは人と一緒に「居る」ことだけを意識すると、新しい価値観が見えるかもしれません。
仕事から離れた時、目的がなくなったりした時、近くにいてくれる人は、そういった仲間かもしれません。きっと新しい目的が見つかるような気がしませんか?

「楽しい」ことは、受動的で、与えられるもの、
「楽しむ」ことは、能動的で、ちょっと努力が必要。

最後までお読みくださりありがとうございました。



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