見出し画像

新作映画『アナザーラウンド』レビュー

昨年各地の映画賞で話題になっていた頃から、気になっていた作品。しかもアカデミー賞授賞式でのトマス・ヴィンターベア監督のスピーチが今でも忘れられないのだが、この映画の撮影開始4日目に監督の愛娘が交通事故で命を落としたという。彼女は本作で、主人公の娘役として映画デビューを飾るはずだった。悲しみに暮れる中、マッツ・ミケルセンをはじめ周りの温かなサポートにより、娘のためにも作品を完成させなければという思いで作り上げられた本作。そうした作品の背景も踏まえて、興味が湧かずにはいられなかった。見事に第93回アカデミー賞の外国語映画賞を受賞している。


【ストーリー】

舞台はデンマークの高校。マーティン(マッツ・ミケルセン)は冴えない歴史教師、家庭では奥さんが夜勤のため一緒の時間が少なく、お互い気持ちがすれ違っていることを感じている。授業にも力が入らず、「子どもの進学がかかっている」と生徒の親たちが学校に押しかけてくるという始末。ある夜、同僚の誕生日会でお酒を勧められるが、口にした途端に感情が溢れ涙が止まらなくなる。そこで同僚の心理学教師ニコライ(マグナス・ミラン)が、ノルウェー人哲学者フィン・スコルドゥールが提唱するある理論のことを話し出す。"人間は血中アルコール濃度を常に0.05%にすることでリラックスし、人生が向上する"というもの。帰宅したマーティンは翌朝、授業の前にお酒を口にして臨む。段々と仕事や私生活で、お酒を摂取することにより前向きに取り組めるようになるマーティーン。ニコライ、体育教師トミー(トマス・ボー・ラーセン)、音楽教師ピーター(ラース・ランゼ)も加わって、スコルドゥールの理論を実証するための実証実験が始まる。


【レビュー】

本作の幕開けは、デンマークの高校生たちが池の周りの一周しながらケース内のビールを飲み干すという危険なレースの様子だ。その後、学生たちは街中や電車内で酔っ払いながら騒ぎ続け、車掌も対処できないという状況が描かれる。日本からしたら信じられないと思うが、デンマークでは16歳からお酒の購入が法律で認められており、それより若くても飲酒自体は禁止されていない。さすがヴァイキングの国、事実として国民の多くがお酒に対して身体の耐性ができており、すぐに顔が赤くなるということもないそうだ。しかも北欧は夏が短く、年間を通して日照時間も短い。暗い時間が長くなるからこそ、お酒を飲んで気分を晴らすしか方法がないというのも頷ける。

このように日本以上に飲酒が浸透している国だからこそ、デメリットとして飲酒による若者の事故なども問題になっているようだ。アメリカで銃乱射事件がいくら起きても、銃はアメリカ建国時より認められたある意味アイデンティティーであるから規制がされないという事象と似ているかもしれない。デンマーク人にとってはお酒による事故が起きても、お酒自体は社会にとって大切なものなのである。そんな飲酒問題について切り込むような作品かと思いきや、監督の意図はそこにはない。


そもそも、いくらデンマークでも教師がお酒を飲んで仕事をしたらさすがに問題になる。主人公の4人の教師たちは、そんなリスクもあるのになぜ実証実験に参加することにしたのか。それは単に面白半分ではなく、何かしら人生でつまづきや物足りなさ、晴れない思いを抱えているからだということがわかってくる。人は人生において辛くなった時、何かすがるものが必要なのだ。その予兆を見せる前半のマッツ・ミケルセンの演技と、誕生日会でテーブルについた4人を描く場面の演出が素晴らしい。

道徳的なメッセージや、白黒はっきりした結末を期待する人にとっては、本作は拍子抜けしてしまうことだろう。この映画は、お酒を飲むことが良いとも悪いとも言っていない。人生は簡単に白黒つけられるようなものではないのである。もちろん過度な飲酒による、失われるものも描かれる。それは悲しく心痛めるものだ。話題になっているクライマックスでのマッツ・ミケルセンのダンスシーンは、人生における悲喜こもごもを一手に引き受けた映画史に残る名場面である。周りには将来有望で未来が晴れ渡った学生たちがいる。しかし彼らとは違い、主人公らの心が完全に晴れ渡っているわけではない。喜びとともに、痛みや悲しみも散々味わってきたからだ。一つ確かなことは、それでも人生は続くということ。なんという大人な映画なのだろう。


トマス・ヴィンターベア監督の映画を観るのは今回が初めて。前述のレストランでの誕生日会シーンや、自宅のキッチンでの主人公と奥さんとの場面、家族の食卓を囲んだ場面など日常的な風景の中で繊細な心の動きを捉えるのが最高にうまい。脚本も優れているし、監督としてのビジュアルセンスも溢れている。自然に見えて、細部まで計算し尽くされているのだ。

人生を描いた映画というのは、観客の観る時によって受け取り方が変わる。自身の成長とともに、映画が意味することも変わっていくからだ。本作はまさにそういうタイプの作品なので、時間をおいて再鑑賞を繰り返しながら、一生付き合っていきたい。


【おすすめしたい人】

北欧の至宝マッツ・ミケルセンの姿を拝みたい

外国の日常や文化に興味がある

大人なヒューマンドラマが観たい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?