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創作についてつぶやき#1

こんにちは。

「創作には限界がある」

そんな風に思うこと、ありませんか?

自分も映画の原案を考えている時などに、最初は良いアイデアだなと思いつつも、すでに同じようなものが作られていて今更作る意味がないんじゃないかという負のスパイラルに落ち込むことが多々あります。

あるいは、それで収入が得られるかもわからないし、観てくれる人がいるかも分からない。やること自体に社会的意味があるのかという疑問に対して、答えられないとき。創作自体の意義を感じられず、頭が真っ白になってしまう。


・コピー/焼き直し以上のものを作れない

・創作に自己満足以外の意義が見出せない

これが、創作をしている中で抱えるジレンマだとします。


そんな時、昨日書店で雑誌の映画秘宝を読んでいたのですが、現在劇場公開中『ブルータル・ジャスティス』の監督S・クレイグ・ザラーのインタビュー記事からひらめきを得ました。

彼は作品作りの中で最も重要なプロセスは脚本作りだと言います。多くの人が関わる映画制作の中で、脚本作りというものは一人家に引きこもってやるものだと。つまり誰にも干渉されずに、独自の世界を作り上げることができる。観客が観たいもの、世間に受け入れてもらえるものではなくて、自分自身の作品を作ることができる。

これによって私が得た、上述のジレンマに対するひらめきとは一体何か。


創作を単なるコピー以上のものにするのは、自分の中でまるでワインやウイスキーのように熟成させたアイデアを自身の力で形作った時に生まれる。


私たちは創作のインスピレーションを得ようとして、インターネットにかじりついたり、ひたすらSNSを掘り起こしたり、多くの人に会ったり、出かけたりします。それ自体は悪いことではないし、社会に目を向けないと伝えたいメッセージも問題意識も芽生えない。この時点では、外の世界と繋がることは重要です。

ですが、いざ自身の作品を形作ろうとする時。外の世界に繋がったままだと、どうしても他と比べたり、必要以上に影響を受けてしまったりします。だからこそS・クレイグ・ザラーの言うように一人家に引きこもることが重要(もちろん一人の世界でいられるならカフェやホテルでも可)。現代においてはインプットする情報が氾濫し、かつアウトプットする手段にも溢れているのですぐに形にしたくなってしまう。そのため熟成期間を経ないままで、これはだめだと判断してしまいがち。それは自分の能力が足りないのではなく、単に熟成が足りないからだという場合が多くあるように思うのです。

外に繋がりを求めることを良しとしてしまいがちだが、実はそうではない。自分の作品を創作したいのならば、一人きりで熟成させる期間が必要。そしてそれは、たまらなく孤独である。孤独に耐えられなくなることもあるかもしれない。だがそうして世に出たものこそ、あなただけの味があり受け入れられるクオリティにようやく達するのではなかろうか。


こんな風に自身を鼓舞しながら、今日も私は一人の時間を大事にする。

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