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〔読書評〕河合隼雄・柳田邦男『心の深みへ 「うつ社会」脱出のために』

作家の柳田邦男さんは、孤独に苛まれて自殺未遂を引き起こした息子・洋次郎を看取りました。自殺未遂後には彼は「脳死」状態でした。柳田さんは『犠牲(サクリファイス)』という作品の中で宮沢賢治の童話『よだかの星』に重ね合わせ、息子・洋次郎の生前の姿とその霊魂の遍歴に思いを巡らせます。

醜くてみんなから疎外された「よだか」は天を目指して高く飛んだものの、星空のオリオンや北斗七星は彼を相手せず、仲間にはしてくれませんでした。戻るべき地も友とする星々も失った「よだか」は星空の上の虚空へとはるかに飛び続けました。最後には生死を超えたところまで昇りきり、ついには彼自身が星になって輝いたのです。

柳田は弱った人間の儚い姿と、そのうらぶれた生命が放つ荘厳な夜空の光に圧倒されて、亡き息子に思いを巡らすのでありました。

亡き息子の星が輝く虚空に浮かび上がった彼は、ある種の神秘的な感情に包み込まれて、彼自身が存在する宇宙を客体化したのでありました。そこから浮かび上がる人間関係観が印象的なので、以下本文より引用します。

<引用>
柳田:たとえば、(宮沢賢治の)『よだかの星』の物語の中に、よだかが天に飛>ぼうとするときに、弟分のかわせみに別れを告げる場面があるんですね。なんでよだかの弟がかわせみで、かわせみがなんでやさしく声をかけてくれるのか。なんでよだかにやさしくしてくれるのが唯一かわせみなのかとかね。ロジカルには何の理由もないわけですけど、現実にはそこに配置された、ある役柄のキャラクターがいて、それがすばらしいんですね。

なんの脈絡も理屈もないけれど、よく考えてみれば、親子兄弟とか恋人とか友人とかの出会いというのは、もともと偶然なんですね。そして、そういう偶然の配置を自然の形で取り入れて物語を構成して、我々が生きていく上での人間関係とか、家族とか、あるいは孤独とか、疎外とかいう問題を、ほんとに短いそんな童話の中で表現している。

人間は避けられない「痛み」を感じることで初めて人生を理解するのかもしれません。もちろん痛みのない人生がいいのでしょうが、痛みを柔らかくやり過ごすようなしなやかな「こころ」を育むことも必要、というのがこの本の含意するところでしょうか。

この対談集には随所に柳田さんの河合先生への敬意が溢れています。含蓄に富む二人の言葉は織りなす綾のようであり、読者の心にほのかで秘められた「陰影」をもたらします。

臨床心理学や教育学に興味があったり、単に一人で一息つきたい方にもおすすめできる本です。

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