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ロマンスを裏返す

「精神的に向上心のない者は馬鹿だ。」
僕の敬愛する夏目漱石先生の作品、『こゝろ』の一節。
最初、この本を読んだ時、全く理解できなかった。

僕は今まで空で踊る雲とか、白いキラキラとか、そんな綺麗で透明で、誰よりも優しいお友達と一緒に暮らしてきた。
人間のお友達もいたけれど、彼らとは一種の契約関係を結んでいただけだったと思う。お互い、大きな共同体という概念から自己を守るだけ。代わりに小さな労力と精神をすり減らして小さな共同体を獲得する。
そうやって個性を生き延びさせてきた。


絶望感溢れる夏休みの初め、炎天下の中、僕は人間のお友達とアイスを食べながら熱のこもったコンクリートの道を軽快に歩いていた。
まだ14歳になりたてだった僕らの頭の中には、今日ある補習のことや美人な先生のこと、将来僕らが歩むことになる未来への希望がいっぱい詰まっていたはずだ。
僕がAと言ったら、誰かがZという。一度始まった会話は必ず終わる。僕らには時間と余裕があった。
好きなタイプの話をしても、なりたい職業の話をしても、数学の問題を解いても、日は落ちない。
全会一致で帰ろうと思った時に、辺りが自然と暗くなってくれた。そしてこれは紛れもなく現の話だった。


時が経つにつれ、僕には頭の中の友達が増えていった。
優しい笑みをこぼし、僕の話に真剣に耳を傾けてくれる。僕を虐げたあいつらとは違う、優しいお友達だ。
いつもの道を通って、アイスを買って、だらだらと歩く。つい最近までは人間のお友達と一緒に通っていた。
——僕は何も変わっていない。
あいつらが変わっていったんだ。
好きなタイプの話を持ちかけても、なりたい職業の話もしても、何の反応もなかった、むしろ鋭い目で僕を睨みつけてきた。
まるで僕が悪いとでも言うように。

「お前は変わらないよな、お前は楽観的だよな。」
褒め言葉なのに、不快に感じる。
自分のことだ、わざわざそんなこと言われなくたってわかっている。
その時、彼らの心はもう僕と繋がっていないのだと分かった。彼らには時間も余裕もなくなったのだ。
理由もなく生き急いでいる彼らが酷く惨めに見えた。
そんなに切羽詰まっていては人生を謳歌することなどできない。
年相応に振る舞えない、早く大人になろうとする彼らは
こんな考えを持つ僕を軽蔑していたのだろうか。

どちらにせよ、僕は彼らと一緒にいるのをやめた。



僕は流されるまま社会に出た。
大学で興味のないことを散々勉強して、苦しまないで生活する方法を身につけた。大団円の中に溶け込んで、首を縦に振っていればいいだけだ。
心配事は気のせい。嫌なことはないふり。
僕にできないことはない。やろうと思えば何でもできる。
任せられた仕事は何でも引き受けるし、Deadlineまでにきっかり終わらす。恩着せがましいあの人とか、お節介なその人に手を借りずとも一人でこなすことができる。
いつだって全ては気持ち次第、僕には時間も余裕もある。



先輩は僕と距離を置いていたし、部下は僕を恐れていた。
「何も考えてなさそうなのに仕事ができる。」とか、
「友達がいない可哀想な人。」とか。
所詮ただの主観に過ぎないくせに誰かに押し付けて一般化しようとする。
共感の行先が正解だと思っている、盲目な人間。
この世界におさらばして、早く彼らのところに行きたい。

中原中也の「別離」より

さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に


僕を追ってこない、無関心な生物。
責任を感じるのは一瞬で、あとは過去の話。
全て忘れて仕舞えば良い。
心配事は気のせい。嫌なことはないふり、だ。
どうせ歩む未来がこんな風になるなら、
もっと大胆に傲慢に利己的に生きたい。



そう言って僕は目を覚ました。
世界が随分と明るく見える。温い教室は橙色に眩い。
隣の席の子のカフスボタンが光を反射する、幸福の鬱金色とでも名付けようか。



—今なら『こゝろ』の意味がわかる。
勿論、僕は長らく、頭の中の友達とは会っていない。


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