見出し画像

ロング・ロング・ロング・ロード Ⅲ 道北の蒼 道央の碧 編  6

 本当に午後から雨になるのだろうか?
 そう思えるほどの青空だった。
 心地好く過ごすはずだった稚内のホテルも、昨夜とんでもないことに巻き込まれてしまい、ゆっくりと休めなかった。シャワーのあとのクールダウンの間、PCで朝食が食える店を探したのだが見つからず、一昨日昼に立ち寄ったハンバーガー屋で朝食を食うことにした。
 荷物も積み終わり、相棒に跨ってヘルメットを被ろうとした。
 「おはようございます」
 うしろに停まったZRXから降りて来た男が、ヘルメットを脱ぎながら言っている。
 誰に言っていいるのかわからずに俺は辺りを見回した。けれど、俺以外には誰もいなかった。
 「道警の道上です。しばらくの間、宜しくお願いします」
 俺の目の前に立って俗にいう警察手帳をしっかりと開いて見せたあと、頭を下げる敬礼した。
 誰から、何を、どう言われて来たのか不安になった。もしかしたら、仲野の嫌がらせなのか?警察が尾行しているのはもうバレているのだ、だから堂々と、ということなのか。それとも、俺が見知った情報は本物のヤバい奴で、ボディーガードのために送ってきたのか?どちらにしろ税金の無駄遣いだ。
 「あの、なるべく邪魔にならんように、遠巻きでお願いするね」
 「はい。わかりました」
 本当にこっちの意図を理解出来たのか怪しかったが、腹が減っていたので出発した。確認は朝食時でも遅くはない。
 交通量の多い、朝の国道40号線を進んで行く。道上のZRXは、車一台分開けてついて来ている。街中だからそうなのか、これが360度抜けている景色の中だと、最低でも500メートルぐらいは間隔を開けてもらいたいものだと思った。
 途中でスタンドによって給油したあと、俺の腹の虫が大きく鳴った。お釣りを持って来た茶髪のおねえちゃんにクスリと笑われた。ハンバーガー屋には直ぐ着いた。
 道上の乗り方は堂に入っていた。白バイやパトカーではないとはいえ、うしろに警察がついているということに、何かムズムズとした感覚があった。
 俺は道上を気にすることなく店内に入る。匂いが堪らなく美味い。出発前にガラ携の画面に出しておいたクーポンを使って、朝メニューの玉子とソーセージのセットと、魚のフライのセットを注文した。それにしても何故、これほど腹が空いているのかがわからない。やはり昨夜の仲野と電話でバトルし過ぎたせいか。
 相棒の見える窓辺の席に陣取った。何故だか窓際は全部空席だった。見回すと、この店は奥から席が埋まるようだった。
 道上は、相棒の反対側に自分のバイクを停めて、そこで、ただこちらを見て立っていた。中へは入らないようだ。
 仲野へ連絡を取った。勿論、警察庁へ電話をかける。回されて、出たのはあの声の女、神村だった。
 俺の名前を出すと、「昨夜は失礼しました」と言った。電話を待つとだけ言って電話を切った。
 俺は手招きして、道上を店内へ呼び寄せた。急ぎ駆けつけた道上は息一つ乱れていなかった。現役警察官らしく体力もありそうだ。それでも念には念を入れて確認しなければならない。
 「何でしょうか」
 「座り」
 俺は手で前の席を指した。
 「はい。失礼します」
 なんとも杓子定規な奴だ。
 店員がトレイを二つ持ってきたので、俺が二つを受け取ってテーブルに置いた。
 「どっちがいい?」
 「いえ、自分は職務中なので頂けません」
 「ええっ。食うと思って2セット買うたのに……」
 「すみません」
 「腹、減ってない?」
 「はい。朝食はたっぷりと食べてきました」
 「そう……」
 「コーヒーぐらい飲めば?」
 「いえ、そういうことは規則違反になります」
 「ほな、百円出せ」
 「えっ」
 「ええから百円出し」
 道上は訳が分からぬ様子のまま財布から百円玉を一枚取り出し、俺の開けた掌の上にその百円玉を置いた。
 「まいど」
 俺は玉子とソーセージのセットのコーヒーを一つ、道上の目の前に置いた。
 「これで君は自分の金でコーヒーを飲むんや。これでええやろ」
 「だったら消費税分を払わないと……」
 道上は再び財布を開こうとした。
 「アホやなぁ、税込みや。あそこに貼ったあんの見てみ。それにセットで買っとんねん。百円でも、こっちは大儲けや」
 キョトンとしている道上に、俺は平べったいポテトを食いながら説明する。 カリカリしていて心地良い。
 「ええか、もしこれをバラバラの単品で買うたんなら、このコーヒーは100円や。このバーガーは250円。イモが120円。合計470円や。セットはクーポン使うて350円や。イモ一つ分、120円安い。120を3で割ると、一つ40円。俺は100円で君に売ったんやから、40円の儲けや。それだけやないで」
 俺はコーヒーを一口飲んだ。
 「こっちの魚の方は、クーポンなしやからセットでも一品20円引きにしかなってない。そやから、こっちのコーヒーを君に売ってたら、20円損するところやったんや」
 道上はポカーンとしていた。
 「さぁ、冷める前に飲みや」
 これだけ訳のわからないことを初対面でいきなり話されたら、鬱陶しい奴だと俺を避け気味に行動してくれるに違いない。そう思いながら、道上の前で二つのバーガーとポテトを一気に腹に収めた。案外すんなりと入ったのには驚いた。
 それにしても、ここに来るといつも、俺の意に反して満腹になるのはどういうことだろうか?相性が悪いのか?
 道上はトイレにまでついてきた。自分も催していたらしい。俺は小便器で、道上は個室で扉を締めずに用を足した。
 「獅子王さんは凄いですねぇ。そういう考え方があるのだと感心しました。色々と学ばせていただきます」
 そう道上はジョロジョロと音を立てながら言った。俺の作戦は失敗だったようだった。
 席に戻って、残りのコーヒーを飲み終えると、やっと着信音が鳴った。仲野からではなく番号が表示された。あっ、登録を忘れている小池からだった。昨夜の情報メールのお礼だろうか。時任は現場から引っ込んで取調官になるそうだ。あとは小池とやり取りせぇと、一昨日の夜の電話で時任本人が言った。
 「もしもし」
 ――ゴラァ。オンドレ、公安にサシやがったなぁ。大阪府警ナメとったら承知せんど、オオッ――
 かかってきた電話番号は小池のものだったが、第一声は、明らかにキレている時任の声だった。
 ――すみません。公安が強引に捜査資料を持っていってもうたんで、時さん怒ってはりまして。当たるとこないから、獅子王さんに当たってるだけで、すみません――
 時任から電話を取り返した小池は冷静だった。そのうしろで、時任の「許さんど、ボケ」の怒声が響いていた。
 周りに羽交い絞めされている姿が浮かんで、俺は思わず笑ってしまう。それにしてもあんな男をよく取調官に取り上げるものだと、大阪府警の人事責任者の顔を見てみたいと思った。
 漏れ出た時任の怒鳴り声を聞いた道上は、顔に隠せない緊張の色を浮かべていた。最後の“大阪府警ナメとったら”が効いたのか。
 「それで小池君、どうしたん?こっちは今、目の前に道警の人がいてはるわ。俺の尾行……。いや密着やな。ハハハハハッ」
 ――なんや、そっちも大変やないですか。あっそうそう。昨日送ってもろた件ですけど、京都の絨毯屋の方は借金苦の自殺で処理されてます。店ももうありません。神戸の家具屋は事故死ですわ。こっちはまだ店はありますわ。でも、どっちも管轄外やし、再捜査するにはよほどの裏付けがないと厳しいですね――
 確かにそうだろう。でも、死体発見が大阪府内だったら?
 ――遺体発見場所だけでも大阪府内やったらすぐにでも動けるんですけどねぇ――
 そういうことか。
 「そらあかんなぁ。公安も出てきたことやし、俺はこの状態やしなぁ。まぁ、このまま手ぇ引くことになりそうや」
 キャッチホンが入った。
 「ほな、時任のおっさんにも言うといて。また何かあったら連絡するわ」
 切り替えて、また電話に出る。仲野だった。
 ――お気に召しませんでしたか?――
 「いや、ほんまもんかどうかの確認ですわ」
 ――彼、ちゃんと最初に身分を明かしませんでしたか?――
 「道警の道上君で間違いないかな」
 俺は道上の目を見ながら言った。いきなり自分の名前を口に出されて、緊張の色が増していった。
 ――ええ。しかし、彼は公安の人間ではありません。昨年まで白バイ隊員でしたから、バイクの運転は間違いないですよ。あなたの足手纏いになるようなことはないと保証します。それに彼は武術にも精通していますので、いざという時にも安心してもらって結構ですよ。公安は、もうあなたへのマークを解きました。ご自由に旅を楽しんで下さい――
 「じゃあ何故彼を?」
 ――私の一存です。万が一、あなたのことが向こうに漏れている可能性を考えてのことです。あくまでも、万が一ですが――
 俺には仲野の本心が読めなかった。どうせ俺がこのまま手を引くとは思っていないのだろう。
 電話を切ったあと、道上が声を出した。
 「公安とか、大阪府警とか、ちょっと……」
 道上は理解が出来ないようだった。
 「じぶん、元白バイ乗りらしいな。今回、何て言われて来たん?」
 「じぶん?私ですか?」
 「そうや。あっ、じぶんじゃ伝わらんか。ごめん。で、何て言われたん?」
 「えー、自分が指示を受けたのは、ある事件の協力者を密着警備し、すべてを報告しろというもので、危険性は極めて薄いと聞いています」
 「その通り。間違ってない」
 「でも、危険性は……」
 「大丈夫、大丈夫。俺を相手にしても得るものがない。さぁ行こか」
 俺は不安げなままの道上を気にすることなく席を立った。
 道道889号線までは直ぐに着いた。一昨日来た時は遠く感じたのだが、いつものとおり、のんびりと走っているつもりなのだが、うしろにいる奴が気になって感覚が鈍っているのだろう。風が弱いのもそう思う一旦かもしれない。
 右折して上っていく。
 一昨日と変わらぬ蒼が美しかった。
 風も穏やかで、行ったり来たりしながら写真を撮りまくった。
 たまに道上が邪魔になったので、その都度合図を送り、身を隠させたり、移動させたりした。
 風が止むと、日差しがジリジリとした。
 ひととおり満足したところで、宗谷岬への道との丁字路を、今日は真っ直ぐに進んで行く。
 幾つも白い風車が立ち並ぶ蒼の波に乗る時が来た。
 下り坂になった。心地好さが堪らない。
 少し先の道に、赤と白の棒がクロスしていて、よく見る進入禁止の大きなマークが道を塞いでいた。
 どういうことだろう?ゆっくりと進んだ。
 土砂崩れがあって先へは進めないと看板が立っていた。
 「それやったら、もっと前に知らせろや」
 ヘルメットの中で怒鳴っていると、隣に道上が停まった。
 「ずいぶん前から通行止めになってますよ。ナビに出ていませんでしたか?」 
 そう呑気に言った。不安は解消されたのだろうか?
 「悪かったのう。俺は地図派じゃ」 
 俺はタンクバッグの透明シートから見える地図を指先で強めに突っついたあと、Uターンして国道まで戻った。
 道上のヘルメットシールドには、レシーバーのようなものが内側に張り付いていた。あれで連絡を取っているのだろう。
 国道へ出るまでの道中、何処にも通行止めの看板は設置されていなかった。
 一旦停止で路肩に停まって、俺はどの道を通って行こうか模索した。少し空港の方へ戻ると道道1077号線があるのに気がついた。その道で宗谷岬を横断することに決めた。
 道道1077号線も蒼の丘の中を進む道だった。時折、対向にダンプが走るぐらいで交通量は皆無といってよかった。幾分スピードを速めたが、道上は一定の距離を置いたままついて来た。
 本当ならここから出てくる予定だった道道889号線との丁字路にも通行止めの看板は立っていなかった。
 また軽い怒りが蘇った。空の青さだけが救いだった。
 何もないまま海に出た。
 国道238号線を右折、猿払の道の駅までは見覚えのある変わらぬ景色が続いた。
 道の駅の建物が右手に流れて消えた。ここから先はまだ見ぬ世界だ。
 道東に勝るとも劣らない、北海道の広大さが身に染みる道が延びていた。交通量がまだあるせいか、100メートルほど後ろを走る道上のカワサキカラーは気にならなかった。
 『通称エサヌカ線入口』と書かれた小さな標識を見つけて左折する。
 突き当りにはオホーツクが待っていた。そこを右折して、一枚写真を撮った。撮ったのだが、撮り切れていなかった。切り取っただけだということを痛感する。ここは体感しなければわからない素晴らしさなのだ。
 撮影を止めて、この青と蒼しかない世界を全身で感じることにした。
 道上がいなければ貸し切り状態だったのに、凄く悔やまれる。
 角々と何度か曲がって、蒼だけではなく、色とりどりの花が咲いているのに気がついた。
 前方には薄っすらと低い山並みが見えている。うしろを振り返ると何処へ続いているのかわからないような、道しかない風景が続いていた。
 最後のクランクを過ぎると、直線の向こうに木々が並んでいるのが見えてきて、それを裂くように道が続いていた。
 あそこが終点だ。
 俺は路肩に停めて道上を待った。
 「ちょっと独りで走らせてくれる。また戻って来るから」
 南から北へ向かうと、またこれはこれで乙な風景になっていた。バックミラーで見るよりも、とても気持ちが良かった。
 道上は俺の言葉に素直に従ったようだ。
 貸し切り状態のエサヌカは感動ものだった。
 長い直線は、目的地の見えない地平線に向かうだけの道だった。突き当りまで行ってUターンする。
 戻りは、時々立ち上がって周りを見渡した。
 座っている時には見え隠れしていたオホーツクも、立ち上がると綺麗に姿を見せていた。
 充分とまではいかないが、俺の中でエサヌカを満喫出来た。
 道上は跨ったまま待っていた。俺はヘルメットの中で「忠犬ハチ公か」とツッコんでいた。
 「お待たせ。行こか」
 シールドを上げ、それだけ言って俺は先に進んだ。
 白鳥が羽を広げた浜頓別町のカントリーサインが牧場地の広がる中、ポツンと立っていた。
 浜頓別の街に入ると急に交通量が多くなり、他府県ナンバーをつけた、荷物を満載にしたバイクがゾロゾロと走っていた。何処から湧いてくるのだろうか?
 そして、暖かかった。エサヌカではまだ寒さを感じていたのに、少し南に行き海から離れるだけでこうも気温が変わるのか。夏だからな。と、独りで納得する。
 よくよく考えてみると、皆はキャンプツーリングをしているのだ。朝飯を食って、テントを畳んで。だから今の時間に動き出す。
 国道238号線が左折し、右折すると国道275号線になる十字路の交差点。信号待ちをして、見えた向こう側のスタンドで相棒に餌を呑ませる。相変わらずガス欠恐怖症は治らない。道上もガソリンを入れた。
 国道238号線へは出ずに、国道275号線を進んだ。道北のネックになりそうな中頓別町と道の駅を始めに消しておくのだ。そうすれば、道北の内陸の音威子府村からのY字は、中川町の片側だけで済む。
 スタンドのあった交差点付近はゴミゴミとしていたのに、色んな顔がある街だった。そして浜頓別のだだっ広い中を進んで行く。
 山間部に差し掛かったのに涼しさが一つもなく、段々と暑くなっていった。そんな中、ショッキングピンクの上下を着たランナーが緩やかな上り坂を走っていた。
 俺は邪魔にならないように、随分手前で速度を落とし対向車が行き過ぎるのを待って、反対車線まで出て彼女を追い越した。頑張れよの意味で、追い越し様に左手でサムズアップを送った。
 高砂橋の袂に中頓別町のカントリーサインは在った。そして少し走ると寿公園の中に戦闘機とSLが展示されていた。
 心惹かれたが、うしろの道上に笑われそうで止まれなかった。そのまま道の駅ピンネシリまで直行した。それにしても、高砂だの寿だのおめでたい。
 ヘルメットを脱ぐと、久し振りに感じる照りつけるお天道様だった。道上も「暑っ~」と言いながら歩いている。
 夏なのだから当然なのだが、ずっと寒い中を移動していたので、気温の変化が身体へもたらす負担は大きそうだった。
 道の駅の建物の中はこじんまりとしていた。スタンプを押してから奥へ入る。
 ソフトクリームをスタンプ帳の割引価格で買って食べた。牛乳感が強く旨かった。食べ終わっても喉が渇いていたので、店員さんお勧めの牛乳を飲んだ。良く振ってと言うので、俺はしっかりと振った。隣で道上も振っていた。
 二人並んで牛乳瓶をシェイクする画は、何だかとても間抜け過ぎる。シュールにもほどがあった。
 いざ一口『なかとん牛乳』を飲んでみると、これが濃厚で甘くて、そのくせ飲み終わりに濃厚さの名残があるのに爽やかで、とても、とても旨かった。今までのナンバー1に輝いた。
 道上の顔にも笑みが漏れ出ていた。
 俺は直ぐに飲み切って、もう一本を買って、今度はゆっくりと、噛み締めるようにして飲んだ。香りも爽やかに抜ける。二本目も間違いない旨さだった。
 大満足で外に出ると、お天道様がニッコニコだった。
 ヘルメットを被る前に、タンカースジャケットのジッパーを腹のところまで下げ、中に着たパーカーのジッパーも開けた。
 来た道を返す。
 風が吹いていないので、進んでも暑さが纏わりつくだけだった。
 やはり我慢出来ずに寿公園へ入った。
 相棒に乗りながら、展示されている戦闘機やSLの写真を素早く撮った。
 道上も戦闘機だけはスマホのカメラで撮影していた。
 寿公園から国道へ出る時に、もたついている道上を待つのを含めて一旦停止をしていると、反対車線の歩道をショッキングピンクの彼女が走ってきていた。
 彼女は俺に気づくと遠くから手を振った。
 まだシールドを閉めていなかった俺は、手を振り返し「頑張って」と声をかけて、跳ねるように過ぎていく彼女を見送った。
 サングラスと帽子で隠れてはいたが、白く輝く歯を見せた彼女は美人だった。
 今朝から面倒を背負って旅をすることになった俺なのに、ちょっとした触れ合いで、こうも気持ちが上がるものなのかと思った。これが普通の感覚なのだろうか?それとも、単に俺が飢えているだけなのか?
 やっと道上がうしろについた。
 「さぁ行くか」俺は独り呟いた。
 海沿いに出ると、とても寒く感じられた。下げていたジッパーを胸元まで急いで引き上げた。
 やっぱり、視界が開けていないと気持ち良くなれない。そんな贅沢病に俺は罹患してしまったようだ。
 神威岬への道は閉鎖されていた。仕方がないのでそのままトンネルへ入った。トンネル内が涼しく感じて気持ちが良かった。抜けた先で枝幸町のカントリーサインに出逢った。北見神威岬公園で何枚か神威岬の雄姿を撮ってから直ぐに先に進んだ。
 枝幸の街へ入る手前のウスタイベ千畳岩で休憩をしようと思っていたのだが、家族連れやグループが楽しそうにバーベキューをしていたので、場違いな俺は足早に立ち去った。それは、道上も同じ思いだった。
 枝幸の街の中を迂回するように国道238号線は引かれてあった。
 ダンプもトラックもかなり飛ばしている。俺は何度も左にウインカーを焚いてやり過ごし、のんびりと快適なスピードで進んで行く。うしろの道上がペースの遅さにストレスが溜まっていないか、少しだけ気になったが、仕事だからしようがないと決めつけた。
 船の形をした道の駅マリーンアイランド岡島で、スタンプを押して直ぐに先へ進む。あんなに朝食べたのに、お腹が空いていた。
 雄武町の毛蟹に日の出のカントリーサインに出逢う頃には、空に灰色の割合が増えていた。
 街並みから浮き出た感のある、道の駅おうむの建物に入りスタンプを押す。目的地は直ぐ傍だ。
 入院中に見たテレビ番組で、その店でタレントが旨そうにパクついているのを見て、俺もいつかはこんな風に食べることが出来るのだろうか?そう思ったことを思い出す。
 道の駅横の交差点を海の方へ下る。二本目を右に曲がるとその店の正面だ。
 路肩に相棒を停めて『Jun』に入った。続けて道上が入って来たが、俺の後方の離れたテーブルに座った。
 あまりにもスピードが遅過ぎて、俺に不満を抱いたのかもしれない。そうでなければ、何かが起こったかだ。
 俺は気にしないで注文に入った。腹ペコサイズのカツカレーを注文した。
 道上も腹が減っていたのか、俺より上のスーパー腹ペコサイズのカツカレーを注文した。
 先ずサラダが運ばれてきた。北海道は野菜まで旨いのだ。あっという間にサラダが消える。
 少し間があったので、持ち込んだ地図で西興部の道の駅までの距離を目で測った。雨が降る前に済ませたかった。
 やっと運ばれてきた腹ペコサイズ。だが、俺は同じように運ばれていったスーパー腹ペコサイズの量を見て驚いた。あの量を食えるとは、若さが羨ましかった。
 久し振りのカツカレーは最高に旨かった。野菜が旨いのだから当然か。
 一匙一匙、味わって食べ進んだつもりだったが、俺は他人よりだいぶと早食いらしかった。
 「食った、食った」と、声に出して道上に知らせた。そして店員さんを呼んで食後のコーヒーを注文した。
 コーヒーを頼んだのだから急いで食べる必要はないのに、うしろからスプーンを忙しなく使う音が聞こえてきた。
 その音は、コーヒーが運ばれてきて、ゆっくりと半分ほど飲んだところで途絶えた。
 明後日の夜からは紋別で連泊だ。船長の三宅雅和に会って、夜は本宮直樹が営んでいる酔興亭へ連夜通う。もしかすると、木村勇作も訪れるかもしれない。
 そんなことを想像し、地図に没入しながらコーヒーを味わった。
 チラリとうしろを盗み見ると道上の姿がなく、店員さんがテーブルの片付けをしていた。何かが起こったのだと思った。
 勘定を済ませて店を出ると、道上は自分のバイクに跨っていた。ヘルメットを被りシールドまで下ろしている。何やら無線でやり取りしているようだった。
 チラリと俺を見たあとも道上はエンジンをかけようとはしなかった。
 俺は相棒に火をいれて暖機した。
 道上もエンジンをかけた。そして、俺の出発を待っているようだった。
 知らんぷりを決め込んで俺は出発した。
 今日の宿までは十分ほどで到着だ。荷物を預けたら西興部へ向かう。
 雨はまだ降らなさそうな雲の色だった。白の中、薄い灰色の塊が所々にある程度だ。
 それよりも、何があったというのだろうか?
 日の出岬にあるホテルの敷地に入る手前の人気がまったくない道で、道上は急に俺を追い越して、左手を広げ止まれの合図を出した。
 合図に従い相棒を路肩に停める。ガキの頃、中央環状線の太陽の塔の下で白バイに捕まった時の苦い思い出を呼び起させた。
 道上は素早くバイクを降りるとシールドを上げながら近寄って来た。
 「先ほど、恒星会の丘崎が、アジア系外国人グループに襲撃され札幌の病院に入院しました」
 「えっ……」
 俺の頭は一瞬で混乱を来たした。高峰が殺されたならわかるが、丘崎が襲われるなんて……。
 「怪我の程度は軽く、ニ、三日もすれば退院出来るようです」
 「おい、こんな白昼に襲われたんか?」
 「はい。丘崎が襲撃にあった時刻は13時20分頃。場所は、札幌市手稲区にある石積公園の駐車場です。暴行中に車が二台入って来たのでグループは逃げ去り、大事には至らなかったようです。丘崎本人が、犯人達はアジア人のようだったと話しています」
 石積公園といえば、俺が浜チャンポンを食いに行き、迷った時に前を通った公園だ。
 襲撃犯が五十川達ではないのが、俺には不思議に思えた。ならば、もうブツは彼らの手に渡ったということか。続けて数々の疑問が浮かんだ。何故、丘崎は、あんな場所に一人でいたのだろうか?取引が済んだのだとしたら、何故まだ北海道にいるのだろうか?そして、丘崎を襲ったアジア系外国人達は、丘崎が北海道にいるという情報を何処で掴んだのだろうか?それとも、今回のブツの入手先なのだろうか?だとしたら、トラブルは高峰にも波及するはずだ。高峰はどうしたのだろうか?それよりなにより一番の疑問は、何故、この情報を、仲野は俺に与えたかだった。
 「じゃあ道上君は、もう俺のお目付け役は終了やな」
 「いえ、気を引き締めて警護しろと言われました」
 どういうことだ?俺には知らせないだけで、何か俺を的にする情報でもあるのだろうか?それならそれで構わない。降りかかる火の粉は大歓迎だ。いや、嘘だ。降りかからなくてもいい。俺はこの旅を全うしたい。
 「そしたら、これからもよろしゅう」
 「はい。お任せください」
 ヘルメットを被っているせいか、道上は挙手の敬礼をした。
 スッキリしないままホテルへ向かう。
 ホテルで荷物を預かってもらう時に、道上はフロントで交渉していた。
 「獅子王さん、晩飯はここで食べるんですか?」
 「うん、毛蟹付きのプランやからここで食うよ」
 「毛蟹ですか?二泊とも?」
 「うん」
 かなり悩んで道上は、一日目だけ毛蟹付きにして、差額を現金でその場で支払う間、俺は西興部への近道を教えてもらっていた。
 雲色を気にしながらクラッチを繋いだ。
 ホテルマンに教えてもらった道道883号線は、ホテルから国道に出て直ぐを右折だった。多少の路面の悪さはあったが、対向二車線の、牧場があったりする快速な道だった。
 国道239号線を右折して直ぐに、牛がギターを弾いている西興部村のカントリーサインに出逢った。
 そのまま山道を進んだ。道の駅にしおこっぺ花夢までは、ここが北海道なのか本州なのかわからない、どこにでもある山道という景色だった。
 花夢の建物に入ってスタンプを押す。すると笛の音が流れ出し、建物のホールにあるからくりオルガン「音木林」が動き出した。
 五分間の演奏を男二人、じっと聴き入っていた。
 何の会話もないまま出発になった。
 気まずさを感じないのは、相性が良い証拠なのだろうか?
 行きに西興部村のカントリーサインに出逢った地点で、牛が帆立貝を持っている興部町のカントリーサインに出逢う。
 そのまま国道を進み、興部の街で道の駅に立ち寄った。
 雲はまだ白く、雨はまだ落ちるのを我慢している。
 スタンプを押して、休憩がてらにまたソフトクリームと牛乳を飲んだ。どちらも旨かったが、やはり丘崎襲撃事件のことが頭に居座っていて、感動を覚えるどころではなかった。
 チェックイン時間を過ぎたのでホテルに戻ることにする。途中でお茶と寝酒を買い込むことは忘れなかった。
 国道238号線の北向きは、何故だか車が連なっていた。
 あと少しでホテルというところで、雨粒がポツポツとシールドに水滴を貼り付けた。スピードを上げて庇のあるホテルの駐輪所に飛び込んだ。エンジンを切り、ヘルメットを脱ぐのを待っていたかのように、雨は爆音を立てて降り落ちた。 
「間一髪でしたね」
 道上は、地面で跳ね返る雨粒の勢いを見ながらそう言った。
 俺はタンクバッグを下ろし、「うん」とだけ口に出してホテルに入った。機嫌が悪かったのではない。ただ、頭の中で、丘崎が襲撃されたことに納得がいかなかっただけだった。
 振り分けられた部屋は隣同士で、道上の部屋の方がエレベーターホールに近い部屋だった。
 ドアを開けると、窓が大きくとられていて、雨さえなければ綺麗な海が見えそうだった。日の出岬のネーミング通りの日の出を望める部屋のようだ。
 荷物を解いて、いつも通りに配置していく。
 PCを開けて、札幌の地域ニュースを調べた。けれど、まだニュースにはなっていなかった。
 徳永との伝言板代わりのサイトやメールソフトを開いてみたが、それらには何も書かれていなかった。
 今、俺に出来ることはないか?と考え、身体の根っこに溜まった疲労をここの温泉に浸かってとることに決めた。
 Tシャツに下はスウェットに替え、ブーツをハイカットのスニーカーに履き替えて部屋を出る。
 エレベーターホールに向かう側にある隣の部屋の呼び鈴を鳴らした。
 直ぐに道上が顔を出した。
 「温泉に行こうと思う」
 「わかりました。同行します」
 そう言うと道上は、一旦ドアを閉めて、十五秒後ぐらいにタオルを手にして出てきた。足元はブーツのままだった。
 「他に靴はないの?」
 「すみません。これしか持っていません」
 「スリッパにすれば?」
 「えっ、スリッパでの館内移動は駄目だって……」
 「気にすんな。あかんかったら、ちょっと文句言われるだけや」
 「ならば、このままで行きます」
 どうも四角四面な奴だった。
 大浴場に向かう途中、道上がこっそりと耳打ちをした。
 「あのう、失礼ですが、師子王さんは温泉に入っても大丈夫なのですか?」
 「何が?」
 「いえ、余計なことでした」
 何が言いたいのかわからなったが、入り口に書かれていた【入れ墨の方はご遠慮下さい】の文字を見て、道上の言いたいことを理解した。
 俺は道上と並んで脱衣所を使った。そして、スウェットを脱いだあと、道上に背中を向けてTシャツを脱いだ。
 「なんも書かれてないやろ」
 道上は「はい」と言ってから「すみません」と言った。
 丁寧に体を洗ってから湯船に浸かる。
 手足を伸ばし湯に浸かるのは気持ちが良いものだった。
 充分に温まってから露天風呂に向かった。道上は金魚の糞のようについてくる。
 海風が心地良い露天風呂だった。先客が二人いたが、俺たちと入れ替わりに出て行った。
 「師子王さんて、昔、ヤクザだったのですよね?」
 「うーん。どうなんやろ。ちゃんと杯は貰ってないねんけど、警察的にはそう捉えてるみたいやなぁ。まぁ俺もそう思ってた」
 「もっと上から下まで紋々が入っているのだと思っていました」
 「それは残念。俺を拾ってくれた人がな、墨は入れるなって言うたんや。肩で風切って生きていける時代はすぐ終わる。これからのヤクザは、どう世間に紛れて生きるかやって。けど、俺を弾いた弟分はちゃんと杯を受けとったんやけどな。ようわからん世界やったわ」
 道上は、どう言葉を返して良いのか考えあぐね、ただ引き攣った笑みを浮かべていているだけだった。
 雨は勢いを弱めていたが、その先にある海を綺麗には見せてくれなかった。

よろしければ、サポートお願い致します。全て創作活動に、大切に使わせていただきます。そのリポートも読んでいただけたらと思っています。