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【東京・銀座編】教会建築巡りで見るカトリック築地教会、聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂、銀座教会の特徴

執筆日:2023年11月25日(土)
更新日:2023年11月27日(月)

オフィシャルサイト(ポートフォリオサイト)


はじめに

教会・教会建築の専門知識や牧師の子として教会で生まれ育った五代目クリスチャンのアイデンティティーを活かして、東京や横浜などの教会をご案内しております。教会は、どんな人に対しても教会堂に入ることができる開かれた場所ですが、開かれているとは言えノンクリスチャンにとって教会は敷居が高く、なかなか入りにくいのではないでしょうか。カトリック教会は、ミサが行われる日曜日以外の平日も入り祈ることができますが、プロテスタント教会は、礼拝が行われる日曜日以外は閉まっていることがあります。その理由は、プロテスタント教会は、日曜日の礼拝で行われる説教(牧師による聖書の説き明かし)などに重きを置くことからでしょう。
そこで、教会や教会建築、教会美術などのことを数多くの人に知って頂きたいと考え、毎月1〜2回のペースで、毎週土曜日に各地域の教会を3時間ぐらいでご案内しています。2023年春から始まった教会めぐりのツアー「まいまい東京」は、参加者のほとんどがノンクリスチャンの教会建築などに関心のある人々がご参加しております。お陰様で開始当初からたくさんのご参加希望があり、2〜3倍の倍率となっております。また、リピーター率も高く、半分ぐらいの人々が2〜3回と、ご参加を重ねて頂き感謝です。
この記事では、参加したくても参加できなかった方、これから参加を予定している方、東京や横浜などの教会に関心がある方などに対して、各教会の特徴などを紹介したいと思います。

↓自著が取り上げられたじゃらんニュース記事↓


都内の教会を自著『東京の名教会さんぽ』でご紹介しています。


「まいまい東京」とは何か。どのようなツアーを行っており、どのようにしてツアー参加するのかについては、下記をご参照ください。


【銀座編】教会めぐり

2023年11月25日(土)にご案内します。


2024年1月27日(土)にご案内します。


カトリック築地教会

創立140年を超える東京最古*1のカトリック教会

*1 :近代日本最初の教会堂は、神奈川のカトリック山手教会。長崎にある国宝・大浦天主堂の3年前に献堂された

 1854年(安政元)、開国を迫るアメリカのペリーとの間に通商条約が結ばれ、キリスト教が再び日本の地に宣教の根を下ろす。その後、1869年(明治2)、東京はようやく外国人の居留を受け入れ、横浜から派遣されたマラン神父とミドン神父(共にパリ外国宣教会)による宣教が始まる。
 1874年(明治7)、聖霊降臨*3後最後の日曜日に聖ヨセフを守護聖人として設立し、1878年(明治11)にパリのサント・シャペル*4にならった煉瓦造の旧聖堂が献堂されるが、関東大震災によって焼失してしまう。
 1927年(昭和2)、レイ大司教の希望によりギリシア建築のパルテノン神殿のような教会堂が、正面や内部にドリス式オーダーが立ち並ぶ2階建ての木造(モルタル)として再建され、明石町一帯は、第2次世界大戦中の空襲を幸いにも免れ、当90年以上が経つ今も当時の姿を残している。

*3:キリスト教3大祝祭のひとつ。キリストの降誕祭の「クリスマス」、復活祭の「イースター」、聖霊降臨祭の「ペンテコステ」 
*4:13世紀初頭のゴシック全盛期に建てられた聖堂

鈴木元彦 著『東京の名教会さんぽ = 73 Most Beautiful Churches in Tokyo』
(エクスナレッジ, 2018.1)


カトリック築地教会
カトリック築地教会 ファサード

教会堂は、1999年(平成11)に東京都景観条例により歴史的建造物に選定され、2001年(平成13)に中央区からも文化財に選定される

古代ギリシア建築に見られる柱の装飾方法である「オーダー」(英: order)は、古典主義建築の基本単位となる円柱の構成法で、独立円柱(基壇、柱身、柱頭)と水平梁(エンタブラチュア)から構成されている。一般的に、ドリス式、イオニア式、コリント式の3種類があり、 オーダー(秩序、順序、配列)という名のとおり、柱と梁など部材相互の秩序ある組み合わせのことである。

ドリス式オーダー:下図の左側。ギリシャのパルテノン神殿に見られる最も古いオーダーで、柱頭の装飾がなく、柱が太く短く、フルートと呼ばれる溝が柱施されている深い特徴がある。

イオニア式オーダー:下図の中側。柱頭部の渦巻模様の装飾、柱の膨らみであるエンタシスが目立たない、フルートの彫りが深い特徴がある。


コリント式オーダー
:下図の右側。ローマのパンテオンや迎賓館赤坂離宮に見られるオーダーで、柱頭部のアカンサスの葉や蔓を模した装飾、エンタシスがほとんどなく、華麗で派手な特徴がある。

3種類のオーダー


カトリック築地教会
カトリック築地教会 礼拝堂

三廊式バシリカ礼拝堂は、1878年(明治11)から1920年(大正9)まで司教座が置かれた教会であった。それ以降は、カトリック関口教会に司教座が移転する


カトリック築地教会
カトリック築地教会 礼拝堂後部

一般的に信徒らが出入りする扉が左側にあり、中央の扉は、聖職者や結婚式等の儀礼で使用される。2階はギャラリー


カトリック築地教会
カトリック築地教会 鐘

1876年(明治9)に鋳造された「アンジェラスの鐘」は、旧教会堂で使用されていたものであり、「江戸のジャンヌ・ル・ルイーズ」という名が付けられている


関白豊臣秀吉が発布したキリスト教禁令は、徳川家康によりさらに強化され、3代将軍家光により鎖国令へと発展する。日本の教会において、長く厳しい時代の訪れである。以来300年もの間、多くのキリシタンが信仰の故に尊い血を流し、故国を追われたのだ。

鈴木元彦 著『東京の名教会さんぽ = 73 Most Beautiful Churches in Tokyo』
(エクスナレッジ, 2018.1)

教会堂名:聖ヨセフ
設計者:不明
建築年:1927年(昭和2)
構 造:木造(モルタル)
住 所:〒104-0044  東京都中央区明石町5-26
電話番号:03-3541-8185
礼拝時間:毎土曜日 18時分〜ミサ 毎日曜日 9時30分〜ミサ
開門時間:要問い合わせ
アクセス:地下鉄有楽町線「新富町駅」より6番出口徒歩6分、地下鉄日比谷線「築地駅」3・4番出口より徒歩8分 ※別路線有



聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

病院の心臓である近代ゴシック建築の礼拝堂

 キリスト教宣教医ルドルフ・B・トイスラーが夢見た聖ルカ礼拝堂は、鉄筋コンクリート造7階建の聖路加国際病院旧館内にある。病棟や外部から足を踏み入れると、そこは、中世ヨーロッパの教会にいるかのような錯覚を覚える。
 5層の薄暗い礼拝堂には、大きなステンドグラス、薔薇窓、六分交差リブ・ヴォールト*1、尖頭アーチの開口部があり、静寂で、厳粛な雰囲気を醸し出している。
 堂内の後方に設置されたパイプオルガンは、17〜18世紀の歴史的なオルガンを基本に設計された。パイプ総数2077本から奏でられる音色は、神への賛美と合わさり、「キリスト教への愛」を常に示し続けている。
 大学・病院の礼拝堂は、患者、その家族、医療スタッフ、職員、ボランティア、地域と社会の人々に対して、欠かすことができない「祈りと慰め」の場所となり、今も生き続けている。

*1 :横断アーチと、その対角線上のアーチを中央で組み合わせた天井形式

鈴木元彦 著『東京の名教会さんぽ = 73 Most Beautiful Churches in Tokyo』
(エクスナレッジ, 2018.1)

参考:『ルドルフ・ボリング・ トイスラー小伝

聖路加国際病院の理念

This hospital is a living organism designed to demonstrate in convincing terms the transmuting power of Christian love when applied in relief of human suffering. Rudolf B.Teusler(1933)

キリスト教の愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる この偉大な愛の力を だれもがすぐわかるように 計画されてできた生きた有機体がこの病院である                     ルドルフ・B・トイスラー(1933)

聖路加国際病院の理念
出典:https://hospital.luke.ac.jp/about/philosophy/index.html

聖ルカ礼拝堂の理念

聖ルカ礼拝堂の理念(ミッション・ステートメント)
神の恵みにより建てられた聖ルカ礼拝堂は、病院・大学の礼拝堂としての特性を踏まえ、これらの存在基盤である「キリスト教の愛」を、常に示し続ける使命を担う。具体的には、病院の礼拝堂としては、患者、その家族、医療スタッフ、職員、ボランティアに対して、国際大学の礼拝堂としては、学生、教職員に対して、教会としては、地域と社会の人々に対して、祈りと慰めの機会と場を提供していくとともに、これらの人々と教会員が、神の愛のみ旨を成し遂げていくことができるようにささえ合い、ともに働きつづける。

聖ルカ礼拝堂の理念
出典:https://www.nskk.org/tokyo/church/luke/facilities/index.php

1901年(明治34年)米国聖公会宣教医師トイスラー博士により建てられた聖路加病院の礼拝堂として発足、現在の礼拝堂は、1923年(大正12年)の関東大震災や2年後の火災を経て、1936年(昭和11年)に完成し、聖別式が行われました。当時はどの病棟からも礼拝堂のバルコニー席に出て祈ることができ、患者さんの精神的な支えになっていたと言われています。

出典:http://www.luke.ac.jp/church/

人生の重要な場面を見守る礼拝堂

毎朝、回診前、白衣を着て静かに座る医者の姿・・・
点滴スタンドを引っ張り、車いすで聖堂の前方で
じっと座ってため息をつく患者さん・・・
小さい時から憧れていた看護師。
憧れから目標に変わり、緊張した表情で入学感謝礼拝に臨む看護学生・・・。
無事に生まれてありがとう、これからのことは不安だけどよろしくね、と
新生児を抱っこして祭壇の前に立つ父母・・・
手術室の入口で大事な人と別れ、落ち着かず、
礼拝堂に来て必死に助けを求める人・・・
病気がきっかけでこれからの歩みをイエスさまにお預けしたく
洗礼を受けて、ホッとした笑顔を見せる患者さん・・・
「あなたとともに生涯を送ります」と誓い合う職員の輝かしい姿・・・
愛するお嬢さんと一緒にバージンロードをゆっくりと歩く入院中の父親・・・
夜勤明け、少し疲れた顔で気になっている患者さんを
神さまにゆだねる看護師・・・

出典:http://www.luke.ac.jp/church/


キリスト教の愛を大切にする礼拝堂

各病棟から礼拝堂のギャラリー席に出て祈ることできる設計は、礼拝堂が「キリスト教の愛」を中心として、病院の心臓であることを証明している。天に召された日野原重明先生から伺ってはいたもの当時のことは知らない世代であったが、下記の写真を見られたことは幸いなことである。

竣工時内観
竣工時内観。当時、病棟の3~6階からはバルコニー席を通して直接礼拝することができた
出典:https://www.shimz.co.jp/heritage/column/report/46.html


聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 礼拝堂

聖壇周りは、楢(ナラ)材による腰壁、イタリア産のトラバーチン*2などによる床で仕上げている。
*2:緻密・硬質で縞状構造をもつ石灰岩


聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 パイプオルガン

フランスのマルク・ガルニエ・オルガン工房製のパイプオルガン


聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 聖壇


聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂
聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 六分交差リブ・ヴォールト天井

礼拝堂のリブ・ヴォールト天井。世界でも希少な自然石による全面抗火石(こうかせき)貼り


洗礼所。小空間ながらステンドグラスや四隅の扇型ヴォールトなど濃密な装飾がひろがる
出典:https://www.shimz.co.jp/heritage/column/report/46.html


改修後の礼拝堂
改修後の礼拝堂。できるだけ意匠は変えず、安全性を高められている
出典:https://www.shimz.co.jp/heritage/column/report/46.html

下記の引用からもわかるように、聖ルカ礼拝堂の意匠は、直線的でモダンな建築を手がけてきたレーモンド(代表作:カトリック目黒教会)の構造的骨格を感じつつ、バーガミニの直線的で幾何学的なアールデコ(装飾美術、1925年様式)装飾やテラコッタ装飾が柔らかさを感じさせ、温もりをも感じさせてくれる。

初めに設計を担当したA・レーモンドとB・フォイエルシュタイン(※1)は、直線で構成されるモダニズム建築を採用し、引き継いだJ・V・W・バーガミニ(※2)はそこにテラコッタ装飾やアールデコ装飾を加えます。大きなガラス窓と温かみのある室内装飾により、快適な病室が実現しました。
当社は、同じく米国聖公会が設立した立教大学での仕事が評価され、本病院の施工を受注。工事は1936(昭和11)年の礼拝堂竣工まで約10年に及び、昭和恐慌で経営不振に苦しむ当社を救うことになります。当社は、同じく米国聖公会が設立した立教大学での仕事が評価され、本病院の施工を受注。工事は1936(昭和11)年の礼拝堂竣工まで約10年に及び、昭和恐慌で経営不振に苦しむ当社を救うことになります。
※1  A・レーモンドとB・フォイエルシュタイン
ともにチェコ出身の建築家。来日後、レーモンドは自身の設計事務所を開設、後にフォイエルシュタインが事務所に加わり、東京女子大学の設計で協働している
※2  J・V・W・バーガミニ
米国人宣教建築家。関東大震災後に施設復興の使命を帯びて来日。立教女学院の講堂や聖マーガレット礼拝堂を手掛けている


祈りの場であり続けるために
病棟中央の尖塔(せんとう)の背後にある礼拝堂は、バーガミニによりリブ・ヴォールト(※3)やステンドグラスを持つ本格的な近代ゴシック様式で設計されました。
荘厳な堂内にステンドグラスから色彩豊かな光が差し込みます。竣工時、病棟の3~6階は礼拝堂のバルコニー席とつながっており、「神の許(もと)での医療」を体現していました。
※3 リブ・ヴォールト
ゴシック建築でよく用いられたアーチ天井


2018(平成30)年に天井材の破片が落下したため、2023(令和5)年に当社設計施工で改修工事を実施。
リブ部分に耐震化を施し、天井材は一部を残して石こうボードとし、全体と調和した塗装で仕上げています。ステンドグラスとバラ窓は破損部分の補修を行い、内側に落下防止ネットを設置しました。
安全性に最大限配慮した礼拝堂は、これからも祈りの場として使われ続けます。

出典:清水建設
https://www.shimz.co.jp/heritage/column/report/46.html


竣工時外観
竣工時外観。現在は病棟中央部と背後の礼拝堂のみ保存されている
出典:https://www.shimz.co.jp/heritage/column/report/46.html
聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂 外観

北側の外観。十字架の鐘楼からは、聖歌のメロディーが1日3回流れる


5年ぶりに復活!聖ルカ礼拝堂に響き渡ったパイプオルガン「祈りの場」(2023年4月28日)

聖ルカ礼拝堂 竣工記念礼拝【高画質】
https://www.youtube.com/watch?v=tldOlqFAmO4

聖ルカ礼拝堂 竣工記念礼拝【高画質(ダイジェスト)】
https://www.youtube.com/watch?v=wk79tW8THYI


「聖路加」の正しい読み方は「セイルカ」となる。これは、聖ルカという聖人の当て字だ。ルカは、新約聖書のパウロの手紙で、「愛する医者ルカ」と呼ばれ、パウロの宣教旅の同伴者であった。

鈴木元彦 著『東京の名教会さんぽ = 73 Most Beautiful Churches in Tokyo』
(エクスナレッジ, 2018.1)

教会堂名:ー
設計者:アントニン・レーモンド(病院基礎設計)、J.V.W.バーガミニ(チャペル設定)
建築年:1936年
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造 B1-7F-PH3)
住 所:〒104-0044  東京都中央区明石町10-1
電話番号:03-3541-5151(代表)
礼拝時間:毎日曜日 10時〜日曜学校 10時30分〜聖餐式・説教
開門時間:病院敷地内のため、病院の開館時間に準じる
アクセス:東京メトロ日比谷線「築地駅」より徒歩6分、東京メトロ有楽町線「新富町駅」駅より徒歩7分


日本基督教団銀座教会

日本基督教団 銀座教会“築地から銀座へ”

現在の銀座教会の前身である「築地美以(みい)教会」が1875年(明治8年)に宣教師 J.ソーパーによって居留地の築地11番に設立されてから、148年(2023年現在)

メソジスト監督教会の日本伝道開始
日本に最初に足跡を印したメソジスト監督教会の宣教師は、1873年(明治6年)6月11日に横浜に着いた R.S マクレー夫妻であった。同年8月マクレー宅で日本ミッション創設組織会が開かれ、W.ハリス監督はマクレーをミッション総理に、ジュリアス・ソーパーを東京にA・H・コレルを横浜に、J・C・デヴィソンを長崎に、M・C・ハリスを函館にそれぞれ任命した。ソーパー宣教師は、築地江戸ホテルの仮住居に青年を招き、聖書を読み訳し福音を説いた。

築地美以教会の設立
1874年(明治7年)ソーパーは築地10番、11番(現在の明石町)に土地と大きな家を購入して移り住んだ。7月にはその伝道館で日本語による公の説教を初めて試み、9月から讃美歌、祈祷、聖書研究を含んだ日曜日の集会を、すべて日本語で行った。出席者は2名から15名(平均8名)であった。
こうして1875年(明治8年)10月2日、メソジスト監督教会の規則に従って最初の四季会が組織された。これは地域管理単位の会議で、任命を受けている全員によって三カ月毎に開かれる大切な会議である。マクレー総理夫妻、ソーパー夫妻、スクーンメーカー、津田仙夫妻他20名で、これが東京伝道の母教会であり諸活動の中心である築地美以教会の創設された記念すべき日である。

銀座教会第一次会堂
1890年(明治23)、桑港(サンフランシスコ)福音会から帰国して築地美以教会の牧師を勤めていた小方仙之助は、たまたま通りかかった当時京橋区西紺屋町20番地(現在の教会所在地)にある煉瓦建三階屋「銀座会館」に「家付き売地」の貼り札があるのに目を留めた。
築地美以教会の努力と米国親教会の支援も得て、この土地(113.2 坪) 建物を購入、築地の教会から男女会員70余名が分かれて同年7 月23 日、小方仙之助を初代牧師とする銀座美以教会が創立されました。

第二次会堂
銀座美以教会は創立から10年を経て教勢が順調に伸び、会堂も手狭になってきた。そこで1900年(明治33)には隣接の土地建物を買い取り、それを併せて新しい会堂を建築する計画が進めらた。そこで1902年(明治35)には、築地美以教会と銀座美以教会が合同して中央美以教会となり、新会堂建設の機運はますます高まった。
1911年(明治 44)年 3 月に起工、翌 1912年(明治45)に竣工・献堂した第二次会堂は、建築面積 120坪(土地面積 181.58 坪)の美しい石造りの教会らしい建物で美しい尖塔は、銀座の風物の一つになった。しかし1923年(大正12年)に起きた関東大震災で無残にも焼失崩壊した。

第三次会堂
第三次会堂建設には、大きな困難があった。その一つは、大震災の被災地全体の区画整理が提起され、その対象になったこと。翌年1924年(大正13)米国移民法が制定され、国民の対米感情が反米に移り、米国との関係が深いキリスト教会が敵視される風潮が生まれました。「銀座の中心に宗教施設はいらない」と言う声に抗して「商業の街だからこそ魂の支えが必要」と運動を粘り強く続け、1927年(昭和2)換地見合せの決定を得た。こうして第三次会堂は1927年(昭和2)起工、翌年竣工、献堂された。その後、第二次世界大戦中、1945年(昭和20)1 月27 日、B29爆撃機による東京大空襲で焼夷弾の爆撃を受けたが、奇跡的に一部を焼失しただけで全焼免れた。

第四次会堂
東京大空襲で被災した第三次会堂は、戦後2度の修復工事を行って維持に努めてきたが、徐々に老朽化が進み、特に周辺の地下鉄と地下道工事の影響を受けて建物地盤に問題が生じ、耐用検査の結果東京都から「可及的速やかに建て替え」を勧告されるに至った。多くの教会が都心を離れて郊外に移転する中、1982年(昭和57)12月、第四次会堂は竣工・献堂し現在にいたる。

出典:教会めぐり銀座編_パンフレット.pdf


銀座の鐘物語 -長崎出島から銀座へ-

「銀座の鐘」として親しまれた初代の鐘
現在教会入り口の階段右手にある、第三次会堂の鐘は、もともと長崎大浦外人居留地四番館監督教会所有であった。1878年(明治11年)英国ブリュース社がその教会のために鋳造したものである。
戦時中、役所から金属献納を命じられたが鐘楼の構造上取り外しがなかなか難しく、日が経つうち終戦を迎えて危うく難を逃れ、戦後も銀座に美しい音色を響かせ続けた。
二代目は大・中・小の三つの鐘
現在の第四次会堂の鐘楼には大・中・小の三つの鐘が取付けられ、主日礼拝、毎正午礼拝、結婚式、葬儀に鳴らします。また、東日本大震災後、毎年3月11日午後2時46分に追悼の鐘を1分間鳴らします。
三つの鐘は、第四次会堂のために英国ホワイトチャペル社が鋳造し、正面上部に、大は「GLORY BE TO THE FATHER」(栄光 父なる神にあれ)中は 「GLORY BE TO THE SUN」(栄光 子なる神にあれ)小は「GLORY BE TO THE HOLY SPIRIT」(栄光 聖霊なる神にあれ)という文字が浮き彫りになっていて、三つの鐘で「三位一体」をあらわしている。

出典:教会めぐり銀座編_パンフレット.pdf


ステンドグラスには、「神は愛なり」 「神の言葉はとこしえに立つ」「聖なる光」 「イチジク」 「ナツメヤシ」 「ぶどう」 「葡萄の木」がある。作家は、ダルグラスとエポキシ樹脂による新しい手法「ロクレール」 の開発者であり、 六本木ヒルズ森タワーや、東京国立博物館など国内外に建築物を彩る作品を多数手がける、三浦啓子(みうらけいこ)である。最後の作品は、日本バプテスト連盟大井バプテスト教会・あけぼの幼稚園の礼拝堂に設置されている。

彫刻 には、「聖なる手」 「葡萄」 がある。作家は、新制作協会展新作家賞、中原悌二郎賞、東京国立近代美術館賞・神奈川県立近代美術賞ダブル賞、高村光太郎賞、長野市野外彫刻賞、神戸須磨離宮公園賞などを受賞した掛井五郎(かけいごろう)である。

1957年には「受胎告知」にて第21回新制作展の新作家賞を受賞し、その後も「処女マリア」(1958年)、「ヨブ」(1961年)、「使徒」(1962年)などキリスト教の信仰から生み出された作品を数多く発表しています。18歳で洗礼を受けた掛井にとって、聖書に由来する作品を制作することは、聖書の解釈の手段であるとともに、人間という存在の本質を問う自身の思索を表現する行為でもありました。また、掛井は、素材の多様化や若い世代の作家による自由な表現が大頭した1960年代の現代美術の新動向に与することなく、自身の制作のモチーフを極めて古典的な「人間」に拘り独自の具象表現を愚直に探求し続けました。

出典:タカイシイギャラリー
https://www.takaishiigallery.com/jp/archives/28446/



版画には、「最後の晩餐」がある。敬虔なクリスチャン(プロテスタント)として知られる型染め版画の第一人者であり、日本を代表する染色工芸家・芹沢銈介に師事し、紅型染色技法を学び、1947年にそれを応用し制作した、型染め版画の処女作「ルツ物語」で日本民藝館賞、国画賞(国画会)を受賞した渡辺禎雄(わたなべさだお)である。以降、聖書の世界を型染め版画で表現し続け、日本の現代キリスト教美術を代表する作家の一人として活躍した。



おわりに

今までの教会めぐりやこれからの教会めぐりの予約ページのリンクを下記に貼りました。少しでも教会建築に関心をもって頂ければ幸いです。

今までの教会めぐり

【本郷編】2023年4月29日(土) 14:00~17:00


【横浜編】2023年6月10日(土) 9:00~12:00


【本郷編】2023年8月5日(土) 15:00~17:30


【御茶ノ水編】2023年9月16日(土) 14:00~16:30


【芝編】10月21日(土) 14:00~17:00


これからの教会めぐり

【銀座編】11月25日(土) 13:30~16:30


【横浜編】2023年12月2日(土) 9:00~12:00


【銀座編】2024年1月27日(土) 14:00~17:00


日本全国の教会めぐりは、共著『日本の最も美しい教会』でご紹介しております。

共著『日本の最も美しい教会』の新装版『日本の美しい教会』が、2023年12月に刊行されます。


教会めぐり【銀座編】のQRコードをご友人やご家族などと教習して頂けましたら幸いです


「励ましのお言葉」から「お仕事のご相談」まで、ポジティブかつ幅広い声をお待ちしております。


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