見出し画像

Day1. アダルト・チルドレンを脱したいので「過去の痛みを知る」ワークをやってみる。

私は20代、両親はすでに亡くなっています。

自分の家庭が機能不全家族であり、自分がアダルトチルドレンであると自覚したのは、わりあい最近のことです。

親が亡くなった今でも、「常に罪悪感を感じてしまう」「正しくないといけないと強迫的になってしまう」というアダルトチルドレンの特性によって、日々に支障が出ていると常々感じています。

そんな自分が、アダルトチルドレン向けの本「子どもを生きればおとなにれる」を読んで、そこにある設問に答えた内容をまとめています。


第一章 過去の痛みの正体を知る

AC(アダルト・チャイルド)とは:
子供時代の痛みをかかえたまま、おとなになった人のこと。

生命力のかたまりで、周囲と絆によって結ばれた「自然な子ども」から引き離され、これ以上傷つかないように「コントロールする子ども」を身に纏うようになった。

アダルトチルドレンの子供時代に共通するもの

ACは、心の中に慢性的な喪失をかかえているが、自分が何を失ったかに気づいていない。
漠然とした喪失感を他のもので埋めても、むなしさは消えない。

自分が何を失ったのかを、確認してみることが必要。

共通するのは、「否認」「孤立」「硬直性」「シェイム(恥の感情)」

(1)アダルトチルドレンの子供時代の共通要素:否認

「話すな」「感じるな」「信頼するな」というルール。
「話せば聞いてもらえる」という信頼感を持つことができない。


あなたが育った家庭において、どんなことなら抵抗なく口にできたか、オープンに話すことがためらわれたことは何か、リストを作る。


私の場合はこうです。

<オープンに話すことができたこと>
知的とされるような会話。とくにたやすく話せたのは、父親の仕事柄、政治情勢に関することです。
家ではNHKかCNNがテレビについていました。それについてのコメントは容易に話すことができました。
しかし、曖昧な知識のまま「こういうことがあるらしい」と話すと、「ソースは?」「ソースがはっきりしないことを話さないように。」と言われました。

また愛犬についての話題も話すことができました。というより、それしか話せなかった時期もあったと思う。それくらい愛犬に我が家は助けられていたといえます。

<オープンに話すことがためらわれたこと>
私が学校生活で感じる苦痛や、悩んでいること。そういったものを出すと、「弱い人間」だと思われたり、無視されたりするのが怖くて、話しませんでした。

性的なこと。恥ずかしいと思うこと。私は、父親が、小学校高学年になっても、風呂を一緒に入ることを強要し、断ると激昂して怒鳴るのが嫌でした。しかし、それを面と言って話せたことはなかったと思います。

疲れた、とかそういう感情。
一回、父親と母親と、葛西臨海公園というレジャー施設に行きました。家から1時間以上かかる場所にあって、たしか暑い夏に、延々と電車を乗り継いだため、着いた時に、公園の入り口で、私は「疲れた〜」と言いました。
それによって父親は激昂し、「だったら帰る!」と言って、引き返して帰りました。私は大泣きした記憶があります。帰りの電車では誰も会話しなかったと思います。

いろんな率直な感情。小学校低学年のとき、「父親よりも母親が年上に見える(実際は同い年)」と言いました。母親は泣き出し、父親は激怒して私を別室に隔離し、いいというまで椅子の上に座っているように、と言いました。

柿の話。父親はなぜか、柿を憎悪していました。私が小学校低学年のころ、家の棚に、柿を模した飾りがあるのを見つけると、「これは俺への当てつけか!」と怒鳴りました。

父親の祖父母の話。私はよく、土曜日に祖父母の家に預けられていました。あるとき、私が祖父母の家にいると、遠くで祖母か祖父がコソコソと、「迷惑だ」みたいなことを、言っていました。私は聞いてはいけないことを聞いたと思い、多分、今も覚えているくらいだから多少ショックだったと思うのですが、親には言いませんでした。

服やオシャレに関すること。女性らしい関心。母親は、男女雇用均等法が施工されたばかりのころ就職をした世代で、リクルート事件があったころのリクルートでバリバリの営業をやっていた人間でしたが、「女性が嫌いだ。女に生まれてよかった。女と結婚しなくていいから。」「本当は仕事で女が相手だと面倒だと思っている。」と言っていました。それが影響したかは不明ですが、とにかく質実剛健(?)な、見た目をあまり気にしない自分であると見られようとしていました。実際に、そうしていると、「○○ちゃんは本当に見た目を気にしない」「抜けている」「他の人とは違うね」みたいに評価(?)されました。


(2)アダルトチルドレンの子供時代の共通要素:孤立

私たちが情緒的な孤立の中で生きることを身につけてしまったのは、本当のことを話せなかったため。

家族内の孤立は、家の外でも孤立をもたらすことが多い。私たちは自分や自分の家族の痛みを、他人に知られまいとする。

他の人が知ったら、どういう反応をされるか不安。

あなたが他の家族に感じていた親しさ、あるいは距離感を、絵にする。

私がこう言われて浮かぶのは、家のリビングの食事風景です。
ある時期からは、一人で食べるような状況も多かったですが、それはむしろ気楽で、多くの場合は、このような配置でした。

家の奥側に母と父。手前に私が座ります。
自分が何か不用意な発言や、誤った日本語の使い方をすると、即座に二人から訂正が入ります。

尋問されているようで、すごく嫌な配置でした。二人の親は威圧的で、あまり真っ向から見たくありませんでした。

時々、隣の椅子に愛犬を座らせるのが好きでした。

兄弟がいれば、叱られたり、怒られるのも2分の1となると思い、兄弟がほしくてしょうがなかったです。

しかし、弟のいる友人に高校生のとき、弟を紹介されたあとに、「◯◯も兄弟ほしい?」と言われたときは、「いらないかな」と言ってしまいました。

ものすごくほしいものを、持っている人間から「ほしい?」と言われるのは、「もっと美人になりたかったって思う?」って言われるのに似て、すごく嫌だったのだと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?