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運動会②

運動会①の続きです


運動会といえば これまで色々な思い出があります
 
幼稚園の年少の頃 生まれて初めての運動会は9月下旬開催
登園の段階で園庭には既に観覧の為に保護者がずらりと周囲を取り囲んでいて、これまでの練習の時との状況の違いに大きく動揺

開会式の段階から涙を流しながら、行進をしていたり、家族との昼休憩から午後の競技の為にみんなの席に戻るのに中々母から離れられなかったりと
いったことがありました

当時の私は全く理解も共感も出来ずに戸惑った事を思い出します
今思い返すと 当時は先生から運動会ってどんな事するの?と
たくさんお話はあったのだろうけど、一斉説明ではキャッチは出来ていなくて 初めての事、いつもと違う雰囲気の事、見通しの立たない事への大きな不安でいっぱいだったのだろうなと感じています 
これも少しずつの経験でその後の年中、年長では運動会とはこういうものというのが徐々に解ってきて そういった不安からくる症状は出にくくなっていきました

年少、年中での表現発表では ほぼ立ちんぼ状態だったダンス
年長では組体操が行われ、先生の笛の合図のみで動きが変化する過程に
連動している様子にただただ感動したことを思い出します
 
小1の時は5月下旬開催で小学校の初めての運動会、生徒の応援席に着席すると、自分の荷物からプログラムを取り出し自分の予定を何度も何度も確認する姿に、不安にのまれるだけでなく、自ら情報を確認している姿に
入学して約2ヵ月、運動会の練習からわずか1か月で覚えた表現発表のダンスを踊りきっている様子に成長を感じました
 
小3の時はコロナ休校があり、秋開催となった運動会
名称も体育参観となり、午前中のみの開催という情報
担任の先生からの発信を中々キャッチできず、密にさせない為のプログラムが中々決まらず、学校側も苦慮されている状況
息子は中々情報を得られない事に不安が募り、行き渋りが起きたり、運動会にも出たくない、出たとしても親には見て欲しくないといったやり取りがありました
 
そしてこれまで運動会といえば、見に来られない祖父母の為に写真やビデオに撮っていたことを小5になって初めて本人から拒絶してきたこと
これは本人の中に得意でない事をしている姿を撮られたくない、後で見られたりするのも嫌だということが解りました

これまでそんなことは全く解らず、親の自己満足で撮影していたり、撮ったものを上映会と称して本人の前で見たりしていた事も本人にしてみたら
言葉では表現出来てなかったけど 苦痛なことだったのでしょう

この約束は今でも継続中で本人と私達 親との約束として写真やビデオを撮らない事で
運動会を見に行く事にしています

運動会というものを9年間通して振り返って思う事
幼稚園時代の自分に向けて伝えたい事
ゆっくりさんでも必ず成長していること 
比べるべきは同級生ではなく、我が子のこれまでと比べてどんな変化があるか? どんな事が出来るようになったか気づいてそれを我が子に伝えてあげる事
この日を迎えるまでにどれほど必死に取り組んでいたかを感じてあげる事
それを労うことが大切だなって思います