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コロナ大学生のジレンマでも語っとくか

私(2001年生まれ21歳大学3年生)は、コロナウイルスの恩恵で大学の授業がオンラインになり、授業形態や先生とのコミュニケーションも便利なアプリを使って、ある意味想像できなかった大学生活を送っている。

うちの大学はTeamsというアプリを主に使って授業の連絡や出席、グループ作業を行なっているが、他大学でも他の形態でそれと似たような、便利なフォーマットで授業を行なっているらしい。

私が中高生の頃に想像していた大学生といえば、なんといっても「出席票」とか「階段教室」とかそんなのがキャンパスライフの象徴な印象を持っていた。
しかししかし、そんなものはいずこへ。
出席はforms。
大人数だとオンラインが多い(うちの大学は小さいし専門系だから対面が多いが)
先生とのやりとりはメールでなく「チャット」だ。

オンラインプラス思考

これはもうめちゃくちゃ便利で、officeアカウントさえ持っていれば自分でformsを作れるし、
チャット機能で時間や場所を気にせず、学内の人と簡単に連絡を取ることができる。
グループワークもファイルの共有が簡単で、オンラインでもみんなで作業が進められる。
パソコンでもスマホでも作業ができるため、電車でも作業ができる。

オンラインマイナス思考

でもこの便利さがゆえに、今の大学生が自由、というか大学生らしさを奪われている気がするのだ。
オンラインでも作業ができるという手軽さゆえに、対面時のコミュニケーションが廃れてしまった。「後で話し合えるよね。」で終わらせ、時間内に行われるはずの濃密なディスカッションが行われない。

私は大学生は考えるべきだと思っている。人生の夏休みと言われるが、その夏休みを利用して、行動して考えて考える。たまには考えないで、それを経験して考える。それでその先の人生をそういう方向に進むのかまた考える。
だから、オンラインだと、生活に溶け込みすぎて家に帰ってそれについて深く考えたり、もっと学んでみたりすることができなくなっている。
なんか、のぺーっとしている。

あと、チャット機能により、ただでさえ多いコミュニケーションツールが増えてそれがストレッサーになっている。
チャットで「誰かお願いします」といえば済んでしまうのだから、こんなにも責任逃れのツールは既読という文化のあるLINE以来だと思う。
まさか、読んだか読んでないかも確認される時代になるとは。(読んだらgoodボタンを押してくださいとかいうあれ)
大学生にもなって自主性を疑われているのだ。悲しむべきことだと思う。

つまりどういうジレンマかっていうと

私はコロナ禍以降の大学生活しか送っていないから、それ以前がどうだったか分からない。
けれど一つ言えるのは、今の大学生はかなり幼くなってしまったというか、いや、正しくは、思考停止した人とそうでない人との大きく差が開いてしまったというべきなのかもしれない。
便利さと、それにより思考停止してしまったジレンマを抱えながら、大学3年生の11月という岐路に立っている私である。

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