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成果が見えないことを続けるのも意味がある

昨日の話とは真逆のような話になるんだけれど、成果が全く見えないような作業が実はものすごく重要だと思っている。

実際、真逆というわけではなくて成果が見えない作業を繰り返していると自分が前進しているのか後退しているのかすらわからない状態に陥りがちなので、あえて成果をすぐに確認できる作業をすることも必要という話。

言いかえると成果が見えない作業を本気でこなすために成果が見える作業をするということ。

成果が見えない、つまり先の見通しの立たない作業、創作活動や新規プロジェクトの立ち上げもそうだろうし、見知らぬ何かに挑戦することにはクリエイティブな部分が含まれている。


成果の見えない何かに挑戦するということ自体がクリエイティブだということを最近仕事をしながら感じることがある。

僕は製造現場で働いている。
製造現場でマニュアル通りモノづくりをするということは成果を確認できる作業である。作業者もそれが分かっているからその作業をすることに何の疑念も抱かない。

毎日決まった時間に現場に入って毎日同じ作業を繰り返して同じ成果物を製造して、文句が無いわけではないんだろうけどきっちり成果を確認しながらまた次の日も同じことを繰り返す。


ただそこに明確な前進はない。変わらず同じことを繰り返すことを是とする考え方のもとに文字通り繰り返しているだけなので。

だからこそ成果の見えにくい作業が重要になってくる。
例えばそれが製造現場であれば製品のクオリティを上げることだったり作業負荷を削減することだったり作業効率を上げることだったりする。

こういうのが職場の思想であり方針であったりするのだが実際働く人たちには伝わりにくい。なぜなら結果がすぐに目に見えないから。
実感として染みつかない。
だからこそ繰り返して説明したり、習慣になるように仕組み化する。

さすがにドライヤーあてながら200回ジャンプするとかは「ないなー」と思うけど(笑)

根付いて風土や文化といったものになるには一定の時間がかかる。
つまりクリエイティブは成果を出すのに一定の時間が必要だということ。
ただし時間がかかったとしても物事の本質はクリエイティブなところからしか生まれない。


というようなことを日々自分に言い聞かせてお仕事させてもらってます!




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